名言と言語化と共感で気分最高・・・・それだけでいいのだろうか。 | 思考の散歩道

思考の散歩道

毎日いろいろなことを考えています。そんな思考の散歩で感じたことを書いていきます。

名言というのはありがたくもあり、厄介なものである。


名言は本質を言語化したものです。その形態は比喩であったり直球であったりしますが、改めて読み返すと見事な言語化としか言いようがありません。


到達点が明確でそこに全力で向っているトップアスリートにはコーチングによる言語化はとても成果があるそうです。でも到達点が明確ではなく抽象的で何をやっても長続きしない、中途半端な人には少なくとも私の経験ではあまり効果が期待できません。


明確な言語化によりその手の人たちは「すっきりした、目標が明確になりました」と言いますが、もともと目標に向って走る能力が備わっていないため「ゴールが目標の明確化」になってしまうからです。これは消費者の立場としての言い分ですが、後日セッションで経過はどうですかと聞かれたら、せっかく目標が素晴らしい言葉で言語化され明確になったのに何もやっていない、三日坊主でしたとはいえないので「順調です。こんないいことがありました」と言うぐらいの能力は中学生でも備わっている。じつは私もそうですから(笑)


クライアントの本当の声を聞くのはとても難しい。


ましてや対面でやっていなければ見抜くことなんて霊能者?超能力者?でなければ不可能です。


人を成長に導くのは難しいですね。


現在ネット上には名言や共感するような文章が溢れています。そんなブログを毎日楽しみにしている人は多いでしょう。


朝そんなブログにアクセスすると「今日も一日頑張ろう」「いいこと聞いた、今日も一日楽しんで生きよう」なんて気持ちになれる。素晴らしいことだと思います。でもそれで人間が変われるかと言えばNOです。


共感した名言やブログの記事を一日ずっと意識して実行できるか、つまり一日全ての行動がそのことに対して常に意図的であったか、そしてその反復とその積み重ねで人は初めて変われる。


共感だけでは変わらない。


決めただけでは何も変わらない。


これが現実。


でも共感は快楽である。だからその名言や文章に共感できる自分に陶酔してしまう。


ネットで見つけた名言


「いつの時代も自己陶酔にはまり込んだ巡礼者はでる。そして単なる目利きとなっていくが変化はしない。しかし、新しい生き方ををつくるかどうかは、その人次第で、コンテンツ提供者が責任をとることではない」


引用以上


相当皮肉が利いている。自己啓発は責任をとる必要が無い商売なので、今の日本では雨後の筍のようにカウンセラー、コーチング、セラピストが誕生している。


責任が無い仕事?が金になる時代。良いのか悪いのか(笑)


本物に出会えるのは「運」「感謝の力」「宇宙からのメッセージ」かもしれませんね。