「中高生のための高知の歴史」って本に出合って思ったこと!
について書きたくなりました。
この本との出会いは市民病院の待合所でした。
診察が終わって、会計から呼ばれるまでの時間に
なにげなく雑誌類の中にこの本がありました。
多分教科書だけでは補えない地元高知県の歴史情報を
この本に託して作ったのでしょう。
何気なく気になった部分を読んでみると、最近私が学んだことが
書かれてなかったりで、問題提起しますね。
この教科書は丁寧に作られているようで、時代時代ごとに
高知県全体のマップ(地図)を作っていました。
私は高知県西部(四万十市)に住んでいます。
そこで幕末のマップを見てみるとこんな具合なのです。
全く幡多地方の記述が無いのです。
そこで私が作るとすればこうなります。
つまり誰が書いたか知りませんが、随分と幕末の歴史から
幡多地域の情報を無視しているとしか言いようがありません。(泣)
この教科書は少なくも高知県下の中高生に配布されたと聞いています。
そこで調べてみました。
何と幡多郡だけで4200名の生徒が居るらしい。
彼ら全員にこの教科書が配布されていると云うことになるのです。
幾つも言いたい部分がありました。
私も知らなかったのですが、幕末の戊辰戦争についてこの本で
どのように書かれているか、ご紹介します。
紙面が少ない中、よくまとめて書かれています。
しかしこれだけの説明では幡多地域の生徒には、戊辰戦争の真実は何も伝わらないのです。
実際には、この迅衝隊には現四万十市地域から84名が参加して
いて、何名か戦死者もいたのです。その名簿が残っています。
この事実を70歳過ぎるまで、知りませんでした。
又、それ以上に市内の蕨岡地区には「蕨岡村史」を編纂しており
その中に貴重な記述があったのです。
何とこの中に蕨岡地区から戊辰戦争に迅衝隊として参加していた
記述がありました。
幡多郡郷士隊とか庄屋・浪人隊の名称が見え、迅衝隊の中の部隊の構成が見えて面白いですね。
この迅衝十二番隊半隊長の桑原戒平こそ、樋口真吉の一番弟子でもあった人物です。
まあ難しい問題です。
あくまで高知県全体の歴史教科書ですから。
ただ言えることは、このままなら4200名の生徒さん達の知識は、
今の私と同じだけで大人になるんでしょうね。
一体どうすればいいのでしょうか。(続編をご期待ください)







