広島県の鞆の浦は坂本龍馬一色でした! | 南海トラフ地震・津波よ、来るな!

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南海トラフ地震と津波災害の予測がされている高知県から自分の身を守る、家族の身を守る、周囲の人を守る防災を考えていきます。
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先日、福山市である会合があり、四万十市から往復8時間強なので、日帰りは厳しいと、宿を取ることにしました。

 

そこで泊ったのが鞆の浦のホテルでした。

 

もちろんこの地は、坂本龍馬が大洲藩から借用した「いろは丸」が、

紀州藩の「明光丸」と衝突し沈没したので、鞆の浦港に寄って、沈没したいろは丸の損害賠償交渉をしたというあの有名な事件の現場ですが、この件は周知のとおりです。

 

その鞆の浦のホテルに宿泊する機会になったので、早速鞆の浦を散策しました。

 

すると、正に坂本龍馬のオンパレードでした。

■これは土佐藩が陣取った商家で「龍馬の隠れ家」とありましたが

■この中に龍馬の隠れ部屋が残されていました。

■土佐藩と紀州藩が談合した商家が残っていました。

■正面に「いろは丸展示館」を遠望

■江戸時代の街並みがかなり残っていて、タイムスリップしたような

魅力的な雰囲気がありますね。

これは渡船ですが「平成いろは丸」と命名されてました。

■この商家も古いままですね。

■いろは丸展示館

海底に沈んでいる「いろは丸」の展示はオモシロかったですね。

すでに原型を留めていないので、本体の引き揚げは無理のようです。

この展示館の中も龍馬の情報で圧倒されます。

 

時代の流れが変わってしまいました。

物流が陸上輸送になった関係で、鞆の浦の役割は終わったのですが、だからこそでしょうか、鞆の浦の町は今に150年昔の雰囲気を

伝えていますね。

 

龍馬ファンの皆さんは、一度は訪問する価値がありますね。

 

いや、ずっと昔に見学しましたよですって?

それは失礼いたしました。