先日、長宗我部元親を頼って土佐まで来た『石谷頼辰』
について、触れました。
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長宗我部氏に仕え、中央での経験を買われて重用されて、
その給地は四十四町にのぼり、
娘は従兄にあたる元親の子・長宗我部信親(頼辰の甥)に嫁いだ。
しかし天正14年(1586年)12月12日、戸次川の戦いで
女婿・信親と共に戦死した。
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その後の石谷一族がどうなったか、気になったのです。
今便利なサイトがあります。
「名字由来.net」と言うのがあって、「石谷」で検索しました。
すると、全国に9000名の方が居られるらしい。
そこでその分布を調べることが出来るらしいのです。
これではわからないのですが、この地図上で都道府県名を
クリックすると、高知県に10名いらっしゃるようです。
念のため図書館に出向いた時、ついでに電話帳をめくってみました。
すると、高知市内に1家族、室戸方面に2家族が居られました。
10名というのは、この方々かもしれません。
一族の栄枯盛衰・・この視点で我が一族の歴史を振り返るのも
興味津々のテーマのように思います。
私は、尾張徳川家の若き当主に、パソコンを契約してもらった
ことがあります。
世が世であればお目にかかれなかった・・と思いながら
契約書に印をもらったことでした。
このサイトを使えば、全国の名字のランキングも出てきます。
ご自分の名字が第何位なのか、ご覧になって見てください。
完