以前、
湿った木に火を着けるために膨大なエネルギーを消費するのではなくて、既に渇いた木に火を着けたらいい
そう助言をしてくれた友人がいました。
先日、
コーチングは「私は変わりたい、どうにかしたい」と思っている人にこそ機能するもので、その意欲がないとあまり意味がない
そう教えてくれた人がいました。
最近、こういうこと、私の周りでよく聴きます。
それは私自身が問題意識を持っていて、耳がダンボになっているからかも。
NPO法人二枚目の名刺で公務員が2枚目の名刺を持ちやすい雰囲気を作るにはどうしたらいいか考えるときも、
公務員キャリアデザインスタジオで公務員志望者や現役公務員にもっとやりがいを感じてもらうにはどうしたらいいか考えるときも、
常に考えるのは
誰に価値を届けて
誰に変わってもらいたいのか
誰に行動してもらいたいのか
その“誰か”は自ら変わる気なんて全くないような、“湿った木”のような人たちなのか、変わりたいけどどうしたらいいか分からない“渇いた木”のような人たちなのか。
私自身が公務員であるから。
そんなことを言い訳にはしたくありませんが、どこかで明確に大多数を占める“湿った木”に火を着けることに価値があると思い込んでしまうときがあります。
多くの人に影響を及ぼすことが、社会により大きな価値を届けているかのような錯覚。
でも、やっぱり火は簡単には着かないし、着いたとしても、かなり大きなエネルギーを消耗しちゃってる。
きっとそうじゃないんですね。
数は少ないかもしれないけれど、“渇いている木”に片っ端から火を着けて、みんなで一緒に燃え上がって、
その熱で湿った木を乾かすことから始めるんですね。
私のこの手のひらにある小さなエネルギーで、湿った木を乾かすのではなく、カラッカラの乾いた木に小さな火を着けて、次々に燃え広がって、大きな炎で湿った木を乾かす。
そうすれば、湿っていたはずの木もいずれは乾き、火が着く瞬間が訪れるかもしれません。
この感覚、忘れずに大切にしよう。
教えてくれた友人に感謝です。
