私のように、仕事以外の活動(志事=こころざしごと)などをやっていることで、
人事当局からよくない印象をもたれるのではないか、
社内・庁内で出る杭は打たれるのではないか、
と心配する人がいます。
課外活動の当事者と人事当局やその他職場の人たちとの関係。
これについては、正解はないんだと思います。
以前、そのあたりのことを、下記のブログ記事でも書きました。
課外活動やってる暇があったら、本業を頑張れ!と思う人にぜひ知って欲しいたった1つのこと
http://ameblo.jp/shimada10708/entry-12242653239.html
以下、当時の記事からの転載です。(ちょっと長いので飛ばし読みでも結構です)
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課外活動やってる暇があったら、本業を頑張れ!と思う人にぜひ知って欲しいたった1つのこと
それは、課外活動をやめたからって、本業でより大きな成果が出るわけではないということ。
課外活動が本業の仕事との間で“食い合う”可能性のあるリソース(資源)は、その人の“時間”です。
しかし、課外活動をやめたことで確保した時間を仕事に投入したからといって、要は残業時間を増やすだけ。
課外活動をしていることで毎日2時間しか残業をしていなかった人が、課外活動をやめることで毎日の残業時間が4時間になったとして、それでより大きな成果が出るのでしょうか?
そこは、8時間+残業2時間に、さらに残業2時間を足すことによる僅かな作業の上積みは可能かもしれませんが、そもそも夕方までの8時間で効率的に終わらせるべきですし、課外活動をやめたことで上積みされた2時間分の作業結果は、残業代というコストに見合った成果なのか、よく考えるべきだと思います。
それどころか、課外活動をやっていることで、本業にいい影響があると、私は考えています。
例えば、どんな課外活動をやるかにもよりますが、職場の外の、バックグラウンドや考え方が全く異なる人と協力し合いながら進める活動であれば、異なる考えのメンバーと調整し合いながら活動を進める中で協調性や調整能力が高まったりする他、所謂、フラットな関係で活動を進める中でリーダーシップ(特にトップダウン的なものではなく、サーバント的な)も身に付きます。
加えて、本業と時間というリソースを食い合うという話を上述で持ち出しましたが、課外活動のために毎日1時間確保したいと思えば、本業の仕事を如何に17時までに効率よく進めて終わらせるかということを真剣に考えるので、結果的に仕事の効率性も高まります。
もちろん、課外活動なんかやらなくても仕事の効率性を考えて仕事をしている人は多いと思いますが、一方で、自分がやりたいと思うことのためなら、それまで以上に仕事を早く終わらせようと一所懸命に工夫し、努力できるということは、皆さん感覚として理解できるのではないでしょうか。
この手のことを、あまり推測で言うのはフェアでは無いかもしれませんが、「課外活動をやってる暇があったら、本業をもっと頑張れ!」と言う人の多くは、課外活動をやっている人のことを“仕事中であっても趣味のことで仕事が手につかず、暇さえあればネットで趣味に関する情報を眺めている”みたいな先入観で見ているのかな?って思うことがあります。
課外活動をやっている人を直ちに、「本業に集中できていないのではないか」と疑うのは、何だか非常に前時代的と言いますか、自分とは異なる考えを持つ人と本質的なところで向き合っていないのではないかと感じることも。
あとは、これも条件反射なのかもしれませんが、人生において頑張るのは仕事で、それ以外のことを頑張るということは、仕事への頑張りが減ると思っている人が、まだまだいるということ。
仕事で頑張ることを否定するつもりは全くありません。
むしろ、仕事には全力で挑むべきだと私も思っていますし、私自身も全力で挑んでいるつもりです。
しかし、公務員であっても、民間企業の社員であっても、所謂“社畜”として、組織が求める作業を効率的にこなせる“人型タスク処理装置”としての処理能力を高めることがスキルアップであり、人材としての価値向上に繋がるという時代では、もはや無いと思うんです。
それよりも、「うちの組織にそんな経験、要るの!?」と思えるような経験をして、組織内で他に持つ人のいないような考え方や能力を持ちながら、それらの経験・考え方・能力をその組織のミッションやその組織の強みとどのように結びつけて相乗効果を生み出せるのかを考えられる人材が、その組織の社会での価値をより高められると思うのです。
そして、そういう人材こそが今いる組織で益々求められ、だからこそ、他の組織からも求められるようになる。つまりは、職業人として組織に頼ることなく、一人の人材として安定した存在になれる、そう私には思えてなりません。
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転載ココまで。
ここからが今日のブログ記事のメインです。
この転載したブログ記事は、主に
課外活動をやってる暇があったら、本業をもっと頑張れ!
人生において頑張るのは仕事で、それ以外のことを頑張るということは、仕事への頑張りが減ると思っている
という人に向けて書いた記事でした。
では、
活動をしている当事者の側に伝えるべきことはないのか、と考えたときに、思うことがあります。
それは、
当事者ではない人(例えば人事当局の担当者とか職場の同僚とか)の言うことや、言外の雰囲気とか、
気にする必要無いよね
ということ。
確かに人事当局や職場の人たちが認めてくれたり、応援してくれたら嬉しいし、心強いし、場合によっては組織として何らかの支援も得られるのかもしれません。
でも、
それって、無かったら活動ができないようなものかな~?
ある意味、居心地よく活動するとか、活動による影響力に下駄を履かせてもらえるとか、付加価値的な効果はあると思うのですが、
無ければできないのか
という点で言えば、少なからず「?」と思います。
よりよい活動にする為に、より当事者として気持ちよく活動する為に有効なことであることは認めますが、
いや、無くてもやっちゃえばいいじゃん
というのが私の考えです。
組織が認めてくれないなら、組織と繋がりのないところでやればいい。
組織を裏切りながらやる必要はないけれど、違法でも無く、職業倫理に反することでもないのなら、業務外のあらゆる活動を、イチイチ職場に掌握させる必要はありません。
もし人事当局や職場に認めてもらってないことを居心地が悪いと感じるとしたら、
あえて言えば、それは
やりたいという気持ちの強さと覚悟の問題
です。
強く強く強く強く強く強くやりたいと思っていて、それをやることが組織で温かく扱ってもらうことより大切だという覚悟を持っていれば、
無駄に空気なんて読まないし
人事の考えを忖度したりしない
と思うのです。
私は、いつか、こういう活動をしている人を見て
課外活動をやってる暇があったら、本業をもっと頑張れ!
とかいう人がいたら軽蔑されるような世の中を作りたいと思っています。
社会人として100年人生のキャリアを考えたら、そういう活動をしてなかったらおかしいでしょ、とか思われる世の中になるだろうと思っているんです。
そういう社会に向けて、今活動している人たちと一緒にやりたいなって思うのは、
萎縮せずに、威風堂々、顔を上げて前を向いて活動をして、その姿を多くの人に見てもらうということ
です。
そのためには、空気も読まないし、忖度もしないし、自分がやるべきと信じたことを、信じた限りにおいて全力を尽くすということだと思うんです。
気にしなければ何も怖くない。
むしろ気にしすぎて、やるべきことに全力を尽くせない方が怖い。
皆さんはいかがお考えでしょうか。