自分が望む社会を支えるということ(後編) | 公務員 島田正樹 〜仕事と私事と志事と〜

公務員 島田正樹 〜仕事と私事と志事と〜

仕事も家族・友人との私事も楽しみながら、魂を燃やして挑む“志事”で社会を変えていきたい! 地方公務員として働きながら、NPO活動、講演、執筆、ワークショップデザイナーなどに取り組む“公務員ポートフォリオワーカー”として活動しています。

昨日(11月15日)のブログ

自分が望む社会を支える(前編)
http://ameblo.jp/shimada10708/entry-12095485985.html

今日はその続きです。


昨日のブログでは、

「私たち読者を取り巻く恵まれた環境を私は愛していて、それを
守りたい、支えたいから、本を新刊書店で買う。」

という行動を私が選択しているという話、そして、

「これを出版業界以外にも普遍化
して言ってみれ
ば、自分が望む環境のためにお金を払うことで、その商品やサービスを消費することで、その供給者と供給システムを支える、ということ。」

であり、

「この考え方は、出版業界に限らず適用され得るものです。」

とお伝えしました。




自分が望む環境のためにお金を払い、その商品やサービスを消費することで、その供給者と供給システムを支える



その考え方自体は目新しいものではなくて、学校の教科書にも「経済的投票行動」というキーワードで載っていることがあります。(すべての会社の教科書で載っているわけではないかもしれませんが)



例えば、経済的投票行動として研究が進んでいる分野では、環境に配慮した企業の製品を購入する「グリーンコンシューマー」が知られています。




私の考えは(恐らく出版業界における有川浩さんの考えとも近いと思いますが)、社会的な課題のように大きく捉えなくても、自分の消費が自分の望むものを殺しもすれば支えもするんだということを、もっと自覚しながらお金を払ってはどうか?ということです。





時々、こんな会話を耳にしませんか?

近所のクリーニング屋が潰れちゃって、クルマで駅前のクリーニング屋まで行かなきゃいけなくなっちゃったのよ


近所の和菓子屋さんの支店が撤退しちゃって、本店まで買いに行くの面倒だから、東京の職場の近くで帰省のお土産を買ったの




どちらもお店の商売が悪くてビジネスとして成り立たなくなった、というのはひとつの側面ですが、言い換えれば、その地域にはそれらのお店を支えるだけの消費力が無くなったということでもあります。




だから、私は県外の人へのお土産は必ず近所の梅林堂(本店は埼玉県熊谷市)で買いますし、毎年冬物のクリーニングは必ず近所のおじいちゃんがやってる個人経営のお店でお願いしてます。




それは、それらの企業・個人店に対して経営面を評価しているとか、社会的に価値があるとか、そういう意味ではなくて、

私自身がこういうお店が近所にあると嬉しいから。

もちろん、近所にあると嬉しいと感じるくらいに、その商品やサービスは評価しています。



それらのお店が近所で営業を続けてくれるかどうかは、私の行動だけで決まるわけではなくて、他の人たちの行動との総和で決まるのですが、何かの決定に影響を及ぼすというのは常にそういうものですよね。


にも関わらず、

自分の行動だけで決まるわけではないから


と言って、何かに影響を及ぼす行動を諦めるとしたら、自分の行動はまったく世の中に影響を与えることができなくて、ただただ会社で働いて上司に指示された仕事を仕上げて、それに対してもらった給与で、ただ安くて、ただ早くて、ただキレイで、ただ便利なだけのものを、ボーっと消費するだけの人生ですよね、それって。




出版業界だけではありません。
クリーニング屋やお菓子屋だけの話でもありません。
近所のお店だけの話でもありません。



全てです。



好きなお店が潰れたときにガッカリするくらいだったら、安さや早さや便利さだけで衝動的にお店を選んだり、商品を選ぶのではなくて、自分の払ったお金が誰に届くのか、どのお店の営業を支えるのか、もしくは今日のこの選択がどの個人商店を殺す可能性があるのか、それを自覚しながら選択するということが大切



好きなお店が潰れたとグチを言うくらいなら、日頃から買うということ。



繰り返しになりますが、これは正義の問題ではなくて選択の問題であり自覚の問題です。小さなお店から買うべき(逆に大型商業施設なんかで買わないでね)という話では決してありません




消費するという行動はお金というチカラを誰かに届けます。それは電線を伝う電気のように、誰かのところに届き、そこで事業の明かりを灯すエネルギーとなります。




私の消費行動は、皆さんの消費行動は、私たちがそれぞれ望ましいと思う事業の元へと届いているでしょうか?


こんな事業が望ましい、そう思いながら、自らが嫌悪する事業の元に届くような消費行動を採っていないでしょうか?



自らが望む商品やサービス、事業は
常に自分の選択が支えている



その自覚と覚悟を持つことが、自分が望む商品やサービスを世の中にもっともっと増やすチカラになるということを多くの人が自覚してくれると嬉しい、そう思って今回のこの長い長いブログを書かせていただきました。






そして、今回は消費の話を中心にお伝えしましたが、

自らの行動が何かに影響を与えるのは
経済の世界だけの話ではない


というのは、ここまで読んでいただけた皆さんならお気付きですよね。




消費ではお金がエネルギーとして波及しますが、私たちが行動することで伝わるエネルギーや影響力は多種多様。




私たちは世の中に対して、その影響力という点で無力でいることは不可能なんです。

それにも関わらず、私に出来ることなんて何も無いから、という声が何と多いことか。

まぁ、長くなりましたのでそちらのお話は、また別の機会にでも。





最後に、

これ以上、話を広げると議論がボヤけてしまいそうですが、実はこのことは、私が仕事としている地方創生や地域活性化でも同様なんです。



雇用が欲しい
公共サービスが欲しい
商店街に賑わいが欲しい



それを支えることができる地域では、それらは実現しますが、それを支える消費力がなければ適いません


「え?公共サービスは消費力と関係ないのでは?」


確かにそうです。


でも、公共サービスもその地域の人口が激減してしまえば、利用する人もいなくなり、支えるための税金も足りなくなり、やはり支えきれなくなる。


公共せービスを支えるチカラの大きさは、一人ひとりの消費(利用)行動だけではなく、そもそもそこの地域に住む人の量によって左右されてしまいます。


今までは税金を多く投入して、支える消費力がない地域でも、生きながらえることができたものが、地方財政のダメージにより純粋に地域による消費力で支えることが求められる時代になっているのです。




今回は非常に大きな話でしたが、
一方で、全ては繋がっているということ。



成しうるアウトプットやアウトカムだけではなく、
どんな行動を選択するのかという
判断そのものが世の中を動かすエネルギー



おっと、これ以上、書いているとそれだけで、また一本の記事になってしまいそうですね(^^;

公務員に効くビジネス書