受け身ではなく | 公務員 島田正樹 〜仕事と私事と志事と〜

公務員 島田正樹 〜仕事と私事と志事と〜

仕事も家族・友人との私事も楽しみながら、魂を燃やして挑む“志事”で社会を変えていきたい! 地方公務員として働きながら、NPO活動、講演、執筆、ワークショップデザイナーなどに取り組む“公務員ポートフォリオワーカー”として活動しています。

私自身、市役所からの出向ですが、
今の地方創生推進室のスタッフとして
自治体の方とお話しする機会があったり、

業務外であっても名刺をおわたしすれば
「あ、地方創生の……?」
といったお話になることがあります。


そんなときに結構多いのが、
「○○という制度は使いにくくて……」
とか
「○○の制度の担当者の対応が……」
なんていうご指摘やご助言です。


中には
「国の制度が○○だから、○○ができない」
といったようなお話もあったりします。


こういうご指摘やご意見はありがたいことで、
私自身で出来ることはあまり無いのですが、
一つひとつ真っ直ぐにお聴きしております。



ただ、それとは別の気持ちもあります。



それは、

「で?どうするの?」

ということ。



国の制度や役割が十分ではない、
というのは私も市役所での仕事で
いろいろと実感する機会がありました。

制度の話ではありませんでしたが、
国の役割の不十分さを捉えて、
本省の課長補佐に延々と説教したことも(笑)



国の制度の活用を検討するとき、
大切なのは地域として何をしたいのかであって、
その制度で何ができるのかでは無いと思うんです。


そして、地域としてやるべきことがあるなら、
その道具として国の制度を使うべきであって、
国の制度に合わせて地域でやることを
調整するというのはちょっと違うのかなと。


国の制度に合わせて地域での事業を曲げるのは、
国の影響を受けまくっているということ。

国が十分な制度を用意しなかったら、
地域を良くするのを諦めるんですか?
ということです。


国の制度や役割に対して、
どんなに文句を言ってもいいとは思いますが、

それで地域は1ミクロンも良くなりません

国の制度が善いか悪いかは
「影響の輪」の外側のこと。


それよりも、これからの地域は、
そして地方自治体の職員や組織は、

国の制度がどんなにヘッポコだったとしても、
地域のために良策として活用すること

が求められるんだと思うんです。


国の施策が愚策 → そのせいで地域がますます衰退
国の施策が愚策 → それでも良策に変えて地域活性化


受け身で前者を選ぶか、
主体性を発揮して後者を選ぶかは、
地域に委ねられています


はたして国の制度がイマイチだったら
地域を良くすることは諦める
のですか?


皆さんは、いかがお考えですか?