1978年「夏」 | をもひでたなおろし

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2024年に還暦を迎えた男のブログ

1978年春、中学2年になった僕はやっと中学生生活にも慣れ

日々の生活にも漸く余裕のようなものが出てきた。クラス替えもあり

僕をバカにしていた輩達とは違うクラスになり、少し前向きになれてきていた。

 

この春は前年に「普通の女の子に戻りたい」と引退を宣言していた

キャンディーズのファイナルコンサートが後楽園球場で開催された。

キャンディーズは僕らの少し上の世代に熱狂的なファンが多く、深夜放送の

「オールナイトニッポン」では「VIVA!キャンディーズ」というキャンペーンを張り

その引退を盛り上げていた。僕らの世代ではどちらかというとピンクレディーの方が

人気があった。1978年の春の新曲は「サウスポー」で、「背番号1の凄い奴」を相手に

魔球を投げ込む女性左投手というシチュエーションが,水島新司の漫画「野球狂の詩」に

登場する女性プロ野球投手水原勇気を連想させた。フジテレビは女子野球人気に乗っかり

「ニューヤンキース」という軟式野球女子チームを結成、あの大下弘さんを監督にし

プロ野球OBチームや芸能人野球チームとの試合を土曜日のゴールデンタイムに中継を

始めたが、こちらの人気はいま一つであった。

 

 

この年は暑い夏だった。という記憶があるので気象庁のHPで改めて調べてみると

やはり高温と少雨の年であったようだ。福岡県では水源が枯渇し、一番酷い時は

15時から21時までの6時間給水という給水制限があった年だ、僕らは水の確保に追われ

家中のバケツや鍋に水を貯め込んで生活用水の不足を補った。我が家のYショップでは

コカ・コーラが飛ぶように売れ、アイスクリームの業者が1日に3回も4回も

補充にやってきた。暑い夏はお盆過ぎるとスッと涼しくなり、今のように10月まで

30度を超える日がある。という訳ではなかった。

 

夏休みには待望の「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」が8月5日に公開された。

僕は博多の中州大洋に出掛けたが物凄い人の波で最後まで立見だった記憶がある。

 

 

未見の方がこのブログに辿り着くことはないと思うのであらすじ等は省くが

観客動員数400万人、興行収入43億円、配給収入21億2000万円で、1991年の

「魔女の宅急便」が21億5000万円で更新するまで日本アニメの興行成績の記録を

保持していた。

 

 

 

多感な時代だった。僕はこの映画に感動し涙したのだ。

特にラスト近く、古代進が沖田十三と会話を交わすシーンの内容は今の僕の

人生の行動指針になっているほどだ。

 

満身総意でエネルギーも底をついたヤマトにもはや戦う術はない。

絶望的な状況の中で、古代は沖田のレリーフに問いかける。

 

 

沖田さん…ぼくは、ヤマト艦長古代はどう、どうすれば…。

沖田さん、あなたなら今どう戦いますか?

教えてください、沖田さん

 

沖田:古代よ、わしにはもうお前に教えることは何もない。

   お前は立派に成長したヤマトの艦長だよ。

   古代、ヤマトの艦長ならヤマトを信頼するんだ。

 

古代:ヤマトを信頼する?

 

沖田:そうだ。お前にはまだ武器が残されているではないか。戦うための武器が…

 

古代:お願いです沖田さん教えてください。何所にあるんです? 何が武器なんです?

 

沖田:命だよ。

 

古代:えぇっ?!

 

沖田:お前にはまだ命が残っているじゃないか。

 

   なぁ、古代。人間の命だけが邪悪な暴力に立ち向かえる最後の武器なのだ。

   素手でどうやって勝てる? 死んでしまって何になる?

   誰もがそう考えるだろう。儂もそう思うよ。

 

   なぁ、古代。男はそういう時でも立ち向かって行かねばならない時もある。

   そうしてこそ、初めて不可能が可能になってくるのだ。

 

   古代、お前はまだ生きている、生きているじゃないか。

   ヤマトの命を生かすのはお前の使命なんだ。命ある限り戦え! わかるな、古代。

 

このやり取りは僕の人生の中で大きな決断を行わなければならない時に、かならず

頭に思い起こすシーンである。たとえ絶望的で勝てる見込みがない時にでも

「男はそういう時でも立ち向かっていかねばならない時がある」という沖田のセリフに

何度勇気を与えてもらったことか。

 

このアニメは当時ラストシーンが特攻礼賛と言われたりもしたが、このラストを

まっすぐに受け取ったファンには「特攻礼賛」というような気持ちは抱かなかったと思う。

「生き抜くこともまた人間の道ではないか」と古代が島に語るシーンで

あくまでも生き抜く事の方が辛い時もある。と言わせているからだ。

 

大ラス、特攻していくヤマトに観客からすすり泣く声が聞こえ、当然僕も涙した。

全て終わったあと、スクリーンにはこのメッセージが現れた。

 

 

今考えると、こんなメッセージを出さなければ良かったのだ。事実、舛田利雄監督は

「こういうものを出すな」とプロデューサーの西崎義展に進言したらしいが、それを

敢えて無視して、このメッセージを出したのだ。

手塚治虫は終生、西崎義展を虫プロ倒産の時の所業から許さなかったそうだが

西崎と手塚の唯一の共通点と言って良い部分は「物語を敢えて悲劇的に描く」という

部分ではないか?と僕は思っている。

 

厚顔無恥というか、「宇宙戦艦ヤマト」はシリーズ化され何度も地球の危機を

救う事になるのだった。あの暑い夏に流した僕の涙を返してくれ!と時々、思う。