1978年「夏」をもう少し。 | をもひでたなおろし

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2024年に還暦を迎えた男のブログ

折角なので「1978年・夏」の思い出をもう少し。

僕の中では1978年の夏は、いわゆる「歌謡曲」の思い出が強い。

 

〇「夏のお嬢さん」榊原郁恵

言わずと知れた夏になると必ず一度は耳にする曲。僕が最初に聴いたのは

確か7月最初の金曜の「つボイノリオのANN」だったと記憶している。

夏らしいポップな唄で元々好きだった榊原郁恵最大のヒット曲となった。

この年から放送を開始したTBSの「ザ・ベストテン」では最高5位までの

ランクインだったが、それ以上に街中では耳にした気がする。

やはり彼女の魅力は「健康美」で夏にぴったりのアイドルだったように思う。

これがキッカケで僕はこの年の初冬まで、榊原郁恵の俄かファンになってしまった。

秋にはTBSドラマ「ナッキーはつむじ風」で主役を演じ、お茶の間に健康的な魅力を

振りまくことになった。

 

 

〇「わたしの首領(ドン)」石野真子

このブログでも取り上げた、「スター誕生」からセンセーショナルなデビューをした新人。

夏休みに入る頃には僕の周囲でも石野真子のファンという男子が増えてきていた頃に

リリースされたシングル第2弾。阿久悠作詞・吉田拓郎作曲はデビュー曲の

「狼なんか怖くない」と同じ布陣。吉田拓郎のラジオ番組にゲストで出演した際に

拓郎から「あなたは頭が良い」「あなたはラジオよりテレビの方が面白い!」と

絶賛されたらしい。暑かった夏も終わる8月27日には所沢の西武園で「1万人コンサート」を

開催し、集まったファンと「夏休みの宿題」対策を行う。という一風変わった

ファンの集いを開催し、話題になった。この曲の振り付けはピンクレディーで

おなじみの土居甫のもの。右手の指を2本そろえて額に添える振り付けが可愛かった。

 

 

〇「勝手にシンドバット」サザンオールスターズ

猛暑のこの年、暑い中だからこの曲はヒットしたのではないか?と思わせる

言わずと知れたサザンオールスターズのデビュー曲。

当時はものまねグループのハンダースと同じようなコミックバンドのような扱いであった。

何しろ曲名が前年にヒットした沢田研二の「勝手にしやがれ」とピンクレディーの

「渚のシンドバット」を合わせたものであり、そこから思えばその扱いも

仕方ないのかも・・・と今考えれば思う。「16ビートに日本語を乗っけている曲って

あんまりないから、変わって聞こえるんじゃないかなぁ」とは当時の桑田佳祐の言。

当時は「歌詞の意味がよくわからない」と一部の既成の作詞家達から非難され

「日本語の良さを無視した内容」と当時の石本美由紀作詞家協会会長から厳しく

指摘され「こんなに詞が乱れて先行きどうなるのか」と嘆いたという。

最近のJ-POPの一部を聴いていると、小学生のポエムのような歌詞も多く

どうやらその心配は杞憂に終わりそうだが。

本当に「勝手にシンドバット」を夏に聴くと、一瞬で1978年の夏に戻れるから不思議だ。

 

 

この年のプロ野球は昨年同様、王貞治選手の800号本塁打達成に注目が集まり

8月30日の対横浜大洋戦で800号を記録し「夏休み中の達成」という公約は

達成できたが、この日ジャイアンツは後半リリーフの新浦寿夫が打たれ

逆転負けを喫し、記録達成に華を添える事は出来なかった。

この頃までジャイアンツは広岡達郎率いるヤクルト・スワローズに4.5ゲーム差をつけて

首位の座を守っていたが、このあたりから雲行きがおかしくなってきたような記憶がある。

スポーツ紙は「巨人V3の灯が見えた」と書き綴っていたが、ベテランの多いチームは

猛暑の疲れが徐々に出てきているように見えた。

 

 

水不足の解消の見込みはなく、あいかわらず時間断水は続いていた。

夏休み、学校から出掛けた2泊3日のキャンプは3日とも雨に祟られ、そんな中

英彦山登山を強行した、我が中学のバカ教師は道を間違え、あわや遭難。という

酷い目にあったことも思い出として書き残しておきたい。あの時食ったカレーほど

不味いモノを食べた事は未だにない。どうやったらあれだけ不味くカレーを作れるのか

未だに僕にはわからない。そんなこんなで夏休みが終わる頃にはめっきり涼しくなってきたが

この年の秋、衝撃的な出来事が僕を襲う事になるとは

このときはまだ夢にも思っていなかった。