すべては1975年からはじまった。Vol.4 | をもひでたなおろし

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2024年に還暦を迎えた男のブログ

1975年のことを、「ニューミュージック元年」と僕は勝手に思っている。

ラジカセから流れる唄が歌謡曲でもなくフォークでもなく、もちろん演歌でもない。

いままでの曲とは、ちょっと違ったものが流れ出したのがこの年だった。

 

バンバンの唄う「いちご白書をもう一度」は、70年安保運動の学生側の敗北を

切ないメロディに乗せた歌だということはずっと大人になって知ったのだが

こんな切ない歌を創った人は一体誰なんだろう?と思ったのが小学5年生の僕だった。

「月刊明星」の付録の歌本(というものがあったんです)で調べると「荒井由実」と

いう名前が出てきた。どうやら僕の好きだった三木聖子の「まちぶせ」も彼女が

作ったらしい。

 

そのうちにラジカセから独特の歌声で流れてきたのが「あの日に帰りたい」だった。

この時僕は荒井由実(松任谷由実)の歌声を始めて聴いた。この曲もなんとも切ない

歌詞と、僕の世代には少し大人びた歌声は心の中に引っかかった。

 

 

♪ 青春の 後ろ姿を 人はみな 忘れてしまう

  あの頃の わたしに戻って 

  あなたに 会いたい ♪

 

♪ いま愛を 捨ててしまえば

  傷つける 人もないけど

  少しだけ にじんだアドレス

  扉にはさんで 帰るわ あの日に ♪

 

  (あの日に帰りたい / 詞 荒井由実)

 

当時の僕に、歌詞の意味はわからないが、男と女の別れを唄った曲だというのはわかった。

アイドルの唄う歌とは違う、いわゆる私小説をそのまま詞に書いてしまった。という

感じはフォークと似ているけど、フォークとは違う新しさというかおしゃれ感が

曲全体に漂っていた。ニューミュージックの語源はどこから来たのか僕には

わからなかったが、とても新しく感じたことはハッキリ覚えている。

何だかデビュー当時は「女拓郎」「女陽水」などと呼ばれた時もあったらしいが

荒井由実はそこではない、全く新しいものを日本の音楽シーンに齎したと思う。

荒井由実の登場で女性シンガーソングライターが多く登場したのは間違いない。

 

1975年には荒井由実の曲だけでなく今でも思い出に残る多くの歌が僕にはある。

深夜放送を聞いていれば、テレビでは流れない歌が耳に入ってくるのだ。

たとえばイルカの「なごり雪」は深夜放送で覚えたし、吉田美奈子の「夢で逢えたら」

なんていうのもそうだった。少し毛色が違うけれどこの年大ヒットした太田裕美の

「木綿のハンカチーフ」も最初はラジオで聴いた。そういう意味では昔の子どもは

今の子ども達より少し背伸びした音楽を聴いていたのかもしれない。

 

 

 

1974年秋からの話になるが、日曜日の夜に放送されていたCX「カルピス子ども劇場」の

番組内容を覚えている人はどのくらいいるだろうか?今を時めくアニメ監督で

世界にも通用する作品を作り出した宮崎駿が場面設定を担当し、その盟友で

アニメ界に多大な功績を残した高畑勲が監督で、「機動戦士ガンダム」で一世を風靡した

富野由悠季が絵コンテを切り、「ウルトラマン」「お荷物小荷物」で実験的な脚本を

執筆した佐々木守が脚本を書いていた「アルプスの少女ハイジ」が放送されていた。

これだけのビッグネームが揃って作るのだから面白くない訳がない。

その裏番組でひっそりと始まったアニメがYTVの「宇宙戦艦ヤマト」だった。

 

僕は「ヤマト」に全く興味がなかったわけではなく、「冒険王」で連載されていた

松本零士先生の原作は読んでいたが、家族全員で「ハイジ」を観ていたので

アニメの「ヤマト」は全く見ていなかった。クラスの話題も「ハイジ」が中心で

脚の悪いクララが立って歩く。という最終回へ向かう頃には皆「ハイジ」でクラス中で

盛り上がっていた。そう、一人を除いて。

 

 

玩具屋さんの子だったミツル君だけはハッキリと「宇宙戦艦ヤマトは面白い」と語り

僕らにも「ヤマト」を観るようにクラスで折伏活動を始めた。クラスの大勢は

「ハイジ」であり、後番組の「フランダースの犬」を観ていた者が圧倒的だった中で

この慧眼は玩具屋さんの子どもだったことも理由のひとつかも知れないが、後から

考えると凄い感性だと思う。あの当時最初から「ヤマト」が面白い。と言った子どもは

殆どいなかったろう。「ヤマト」の人気は再放送……しかも何度も繰り返しやっていた。

どうやら高い金額で版権を買い取った東北新社が元を取ろうと必死で地方局へ売り込みを

行ったらしい……で、火が付いたとされている。僕も再放送を見て、のちに「ヤマト」の

劇場版が完成した時に劇場へ並んだクチだ。今でも「ヤマト」を見る度に、玩具屋の

ミツル君を思い出す。ちなみに僕は「ハイジ」が終わった後はTBSの「猿の軍団」を

観ていたことを付け加えておく。「フランダースの犬」はどうにも話の筋が暗く

何とも馴染めなかったのだった。

 

「ヤマト」の話は、いずれまた。先のお話という事で。

 

=1975年はまだまだつづく=