すべては1975年から始まった。 Vol.2 | をもひでたなおろし

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2024年に還暦を迎えた男のブログ

1975年当時、僕の日曜朝のルーティーンは前夜に「鶴光のANN」を聴いていたので

9時過ぎにのそのそ起きだして、9時30分からの日本テレビの「ミユキ野球教室」を

観る事から始まった。御幸毛織提供のこの番組は、タイトルに「野球教室」と謳っては

いたものの、内容は前週のプロ野球の話題(ジャイアンツの話題が多かったが)を

放送していた。特に技術的な事を教えてくれる番組ではない。1976年4月にCXの

「プロ野球ニュース」が始まるまではプロ野球の話題(一応)の情報収集に役立つ番組で

あった。僕はソフトボールクラブに入部したので、午後から練習がある。

ブランチ…などというお洒落な言葉は当時はなかったが…朝昼兼用のチキンラーメンなんぞを

採りながらTVのチャンネルはそのままで11時からの「スター誕生」を観ていた。

 

「スター誕生」僕らの世代には思い出深い番組名だろう。

当時人気絶頂の萩本欽一司会の「スカウトショー」ここでスカウトされた芸能人たちの

名前を出していたらキリがないほどの数を発掘した伝説の番組である。日曜の朝、僕は

ぼんやりこの番組を観るのが好きだった。この番組は「日曜日の朝のにほい」を

醸しだしていたと改めて思う。

 

僕が意識しだしたのはスカウトされるアイドル志望の若者

(といっても当時の僕よりもお姉さんお兄さんだったが)を観たいためではなく

スカウトの審査中に行われる「欽ちゃんのゲームコーナー」が楽しくて観ていたのだ。

「土ビン・茶ビン・禿茶ビン」なんて今ここで書いても、どんなゲームかわかる人は

まずいないだろう。会場からゲームに参加した素人を欽ちゃんが弄るのだが

それがまた面白くてこのゲームのコーナーで芸能界にデビューしてしまった素人さん

(黒部幸英や西山浩司etc)も現れた程だった。

 

ぼんやり観ていた割には強く記憶に残っている場面もある。

決戦大会で歌っているアイドルの卵を観ていて「この人はいける!」と強い印象を

持った娘がデビューすると「ああ、あの時の」と思い出すことがしばしばあった。

1974年北九州市小倉市民会館の予選で合格した黒木真由美と、その黒木と

8月の決戦大会で争った岩崎宏美がそうだった。

黒木真由美は色黒でエキゾチックな顔立ちで僕の地元福岡出身だったということ。

岩崎宏美は色白で姿勢が良く、とにかく歌が上手い娘だというこの2人の事を僕は

覚えていた。決戦大会で岩崎宏美は小坂明子の「あなた」を唄い、その歌唱力で会場を

魅了して僕により強い印象を与えた。黒木真由美は資料では平田隆夫とセルスターズの

「強いほうがいい」を唄った事になっているが、こちらは全く記憶にない。

結局岩崎をスカウトした会社は8社だったが、黒木は18社のスカウトを受けた。

僕は子ども心ながら、何故岩崎宏美が黒木真由美よりスカウトの数が少なかったのか

憤りを感じていた。この文章を書くまで、この2人が激突した第11回決戦大会の

最優秀賞は黒木だったと僕は思い込んでいたが、今回調べると岩崎宏美が最優秀賞だった。

スカウトの数が多かった黒木が最優秀賞だとこの項を書くまで僕は思っていた。

 

さて、どうしてここまでどうでも良い事をダラダラ書き連ねてきたか、勘の良い方は

もうお分かりだろう。僕は「スター誕生」の決戦大会からの岩崎宏美のファンだったんだぞ。

と書きたかったのだ。

 

1975年4月25日「天まで響け岩崎宏美」のキャッチフレーズで

「二重奏(デュエット)」でデビューしてからの彼女は瞬く間に売れていった。

 

 

僕が生まれて初めてアニメ以外のLPを買ったのは岩崎宏美の「ファンタジー」だった。

(ちなみにシングルレコードは布施明の「シクラメンのかほり」)

部屋にでかでかとポスターを貼ったのも岩崎宏美が最初だった。彼女は先んじて

デビューしていた「花の中3トリオ」と同世代だったが、山口百恵や桜田淳子、森昌子には

感じられなかった「透き通るような歌声」が僕の心を鷲掴みした。デビュー2曲目の

「ロマンス」は90万枚近い大ヒットで、この年の年末の歌謡祭の新人賞を総なめにした。

但し、日本レコード大賞の最優秀新人賞は細川たかしに奪われて僕はしばらくの間、真剣に

細川たかしを恨んでいた。日本レコード大賞は今より何十倍も格式が高く世間の注目度も

今よりずっと国民の関心事だった頃があったのだ。

 

この後の岩崎宏美の芸能界での活躍はここに書くまでもないだろう。

彼女のイメージで「髪のキレイな女の人」がずっと好きで、高校1年の時

色白で髪のキレイなオカッパ頭の女の子を好きになったり、何かのタイミングでふと

彼女の事を思い出して、今でもAppleのサブスクで彼女の曲を探しては聴いたりしている。

「飽きヤスの好きヤス」の僕の中で、50年近く僕の心の中に住んでいるアイドルだ。

 

 

最後にちょっとだけ彼女の性格を垣間見てしまったエピソードをひとつ。

彼女の曲の作詞は圧倒的に阿久悠先生の手によるものが多く、阿久先生が亡くなった際に

コメントを求められた岩崎宏美は顔色を変えずにこう言った。

 

「あんな顔をしていて、私たちの気持ちがどうして解るの?という詞を作っていただいた。」

 

 

 

と、言ってしまったのだ。あんな顔って…そりゃまあそうかもしれないが・・・。

 

最後に阿久先生の作詞で、僕が岩崎宏美の持ち歌の中で一番好きな、今でも(と思うけれど)

彼女のコンサートのアンコールで唄われている曲の詞を書きだしておく。

確かに「あの顔で…」この歌詞が出てくるのか。という、気持ちはわからなくも無いが……。

 

♪ 名も知らぬ 花が咲いています
  あなたを待つ日は なぜか薄曇りね
  下向けば 涙こぼれそうな
  そんな気持で ひとり立っています

  両手をひろげて 足りないくらい
  あなたをいっぱい 愛しています
  私たち多分 結ばれるでしょう
  きっときっと 結ばれるでしょう

  ただようの コーヒーの香り
  あなたと逢う日は なぜか雨もようね
  テーブルの 下で指をからませ
  じっとあなたの 顔を見つめてます
  明日の朝まで つづけていても
  いい足りないほど 愛してます
  私たち多分 結ばれるでしょう
  きっときっと 結ばれるでしょう

  両手をひろげて 足りないくらい
  あなたをいっぱい 愛しています
  私たち多分 結ばれるでしょう
  きっときっと 結ばれるでしょう ♪

 

 (私たち / 詞 阿久悠)

 

=さらにつづく=