すべては1975年から始まった。 Vol.1 | をもひでたなおろし

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2024年に還暦を迎えた男のブログ

1975年、僕は小学5年生になった。

前年のハンドベースボールで、クラスのヒエラルキーでは「中堅」の中に加われた

僕は友達の誘いもあり、放課後のソフトボールクラブに入部することになった。

チームはこの年創設されたばかりであり、まだユニフォームもないチームだったけれど

初めて学校外で友達と遊び以外で何かをする。という事が目新しくて、毎日ワクワクして

いたことを覚えている。

ワクワクしていた理由は他にもある。これだ。

 

一緒に住んでいたオヤジの妹が家から出ることになって、荷物になるからということで

彼女が友達から譲ってもらった。という立派なラジカセを置いて出て行ったのだ。

このラジカセはソニーのCF-1980という、後に名機と呼ばれたもので僕のおもちゃに

なるにはちょっと高価すぎる代物だったと思う。何しろ当時定価で42800円もしたのだから。

大口径のスピーカーは良い音を出し、販売台数70万台を記録するベストセラー機だったようだ。

 

このラジカセで僕の生活はちょっと変わった。

テレビだけではなくラジオを聴くようになったのは小学生としては革命だった。

まずはテレビで観ていただけの歌番組から流れてくる歌謡曲やテレビアニメの主題歌を

片っ端からカセットテープに録音して遊んでいた。特にテレビのスピーカーから

録音するときは周囲の雑音を気にしながらラジカセの内臓マイクをテレビのスピーカーに

近づけただけで録音していたので、母の「ごはんよ!」なんて声が入ってしまうのは

どこの家でも「お約束」ではなかっただろうか。

 

このラジカセでいろんな歌を聴いた。いままでのテレビで流れていたアイドルの

曲だけではない「テレビでは流れない曲」が僕の心を揺さぶった。何故か僕はガキのくせに

小椋佳さんの歌が気に入り、テープに録音しては繰り返し聴いていた。この頃の

小椋佳さんの曲では、布施明も歌った「シクラメンのかほり」が有名だが

僕の好きな歌は「めまい」という曲だった。

 

♪ 時は私にめまいだけを残していく

  だから ワイングラスの角氷

  眠りにつこうとする愛に

  ささやかないで

 

  時は私にめまいだけを残していく

  だから 小舟を運ぶ潮風よ

  眠りにつこうとする愛を

  揺り起こさないで

 

  鏡に残ったあなたの後ろ姿

  青い青い海が見える

  さよならを書こうとした口紅が

  折れてはじけた ♪

  

    (めまい / 詞 小椋佳)

 

僕は何故この曲を気に入ったのだろう? 自分自身今ではわからない。

ただ、小学生5年生の僕の琴線に触れたことだけは間違いない。1975年11月発売の

この曲を、僕は秋の「緑の教室」へ行く際のバスの中で熱唱し皆を「ポカーン」と

させた事だけははっきり覚えている。とはいうものの、当時の子どもは少し背伸びして

「大人の歌」を歌っていた。例えば同じタイミングでクラスのシモゾノくんが唄ったのは

石橋正次の「夜明けの停車場」だったのだから。(少し古かったけど)

石橋正次は特撮テレビドラマの「アイアンキング」に静源太郎役で子どもたちの間でも

人気のあるスターだからまだしも、小学5年で小椋佳はちょっと渋すぎた。と思う。

 

ラジカセで広がった世界は更にとめどなく広がっていく。ラジオの深夜放送を始めて

聞いたのも小学5年の秋だった。夜遅くまでラジオが聞けるのは次の日が休みの

土曜日しかない。日曜にはソフトボールチームの練習がある。なのに僕は

「鶴光のオールナイトニッポン」にドハマりしてしまったのだ。

夜も更けてくると番組自体がお色気ムンムンになってきて、意味が解らないなりにも

凄く興奮して(?!)放送を身悶えながら聴いていた。夜中3時にリスナーの女の子に

電話して「乳頭の色は~」とか「かぶせは~」(ここは解る人だけ解ってください)なんて

それはそれは刺激の強い番組だった。令和の世ならセクハラで即放送禁止だろう。

当時だって結構クレームが来ていたそうだが、スタッフは苦情をモノともせず

オンエアしていたのだから、今の制作側と比べたら根性が座っていたのだ。

聴いている途中で眠くなり寝落ちしてしまい、いつのまにか朝5時からの

「おはよう浪曲」に番組が変わってしまっていた時は悔しくて堪らなかったものだ。

 

「鶴光のANN」で知った曲や(テレビにはあまり出ない)アイドル歌手も多かった。

荒井由実の「まちぶせ」は石川ひとみの曲だと思っている人は多いだろうが

真っ先に三木聖子を思い出す人は多くないだろうし、木之内みどりなんて「鶴光のANN」では

毎週と言っていい程曲が掛かっていた。アイドルでも少し年齢の高めのお兄さん達が

ファンになるような人たちを僕は5年生で知っていた。それだけで少し大人になったような

気分になったものだ。

 

 

でも僕はやはり小学5年生だった。浅田美代子の次に僕が熱を上げたアイドルが

この1975年にデビューしたのだ。そのアイドルの名前は……

 

=つづく=