風見志郎はカッコいいお兄さんだった。 | をもひでたなおろし

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2024年に還暦を迎えた男のブログ

1972~1973年といえば、「仮面ライダー」の変身ブームから「特撮ヒーロー」が

各TV局でしのぎを削っていた。特に小学2年~3年生の僕には幸せな時代だった。

毎日のように大好きな特撮番組が放送されても、母とのチャンネル権争いには

勝てない僕だったが、母と観たい番組が被らない時はある程度の番組をリアルタイムで

観ることが出来た。そして1973年の2月の「仮面ライダーV3」の放送開始で変身(特撮)

番組ブームは頂点を迎えることになる。

 

そんな1973年のゴールデンウイークに僕は生まれて初めてひとりで電車に乗って

福岡市内に住む従弟の家に遊びに行くことになった。母から往復の電車賃と

「何かあった時のために」と予備の1000円札を貰い、張り切って家を出てから

早速駅のキオスクで予備の1000円で月刊漫画雑誌「冒険王」を買ってしまう

ダメなガキであった。

 

黙って電車に乗っていれば博多駅に着いて、迎えのオヤジの妹(つまり僕の叔母)と

従弟が迎えに来ているのだから「一人旅」という大袈裟なものでもない。ただ初めて一人で

電車に乗って遠くへ行く。というのはそれなりに冒険だった筈なのだが、電車内の僕は

漫画「冒険王」に夢中で旅の余韻など楽しむ事もなく1時間少しで博多に着く。という

あっけない初めての冒険であった。

 

僕が博多に出掛けた最大の理由は、当時まだ存在した「福岡玉屋」という

百貨店の屋上で「仮面ライダーV3ショー」が行われ、それを観に行くためであった。

今でもショッピングモールなどで開かれているヒーローショーは当時も大盛況で

ちびっこファンが多数押しかけていたものだ。現在のように「大きなお友達」は

居なかったようだが。

 

 

ショーの流れも今も昔もそんなに変わらない(と、思う)。

まず司会のお姉さんがちびっこ達に声をかけて客席を温めていると、悪の組織が

やってきてお姉さんが襲われたり、人質ということでステージに客席のちびっこが

上げられたりして会場に緊張感が走る。そこにヒーローがやって来て…という流れだ。

 

ところがその日、僕の観たショーは少し違っていた。まず司会のおじさんが

(V3に変身する)風見志郎を呼ぶと、なんとTVと同じ風見志郎が登場した。

つまり本物の宮内洋さんが現れたのだ。その後、デストロンの戦闘員が3人くらい

出てきて宮内さんと軽い立ちまわりがあり戦闘員を倒した後、宮内さん本人の唄う

「戦え!仮面ライダーV3」の歌唱がありレコードを買ってくれたちびっ子には

サインと、確か500円でツーショットのポラロイド写真を撮ってくれる。という

まるで演歌歌手のキャンペーンのような内容だった。

 

 

結局(着ぐるみの)ライダーV3も怪人も登場せず、風見志郎が仮面ライダーV3に変身する

ことのない「仮面ライダーV3ショー」だったのは子ども心に正直少し残念であった。

 

宮内さんはとても優しそうな笑顔のお兄さんで、右手でサイン、左手で握手をしていた。

サインの順番が回ってきた時、無礼にも僕は左手にソフトクリームを持っていて

右手で握手を求めてしまった。宮内さんはのちの「快傑ズバット」で早川健の見せた

首をすくめる仕草をして右手のペンを置き、握手していただいたことを今でもハッキリ

覚えている。後に僕は沢山のプロ野球OBスター選手にサインをいただいたが、この

宮内洋さんのサインがスターから貰った初めてのサインであった。

子どもだったので無くしてしまったが、今ならお宝として大切にするのに…残念でならない。

 

ここまでライダー関連の思い出話でかなり文字数を使ってしまったが、それほど僕の小学校

低学年の頃の思い出はライダーとテレビの特撮モノばかりだった。あの頃の思い出といえば

学校での出来事よりTVの特撮番組と母とのチャンネル争いだけ。と言っても言い過ぎでは

ないような気がする。

 

一応、当時(1971~73)観ていた特撮番組を順不同で少し挙げてみると……。

 

 

*シルバー仮面(シルバー仮面ジャイアント)1971/11/28~1972/5/21

 

 「伝統の」タケダアワーの時間帯。日曜19:00~19:30の放送で、母の

 「アップダウンクイズ」にチャンネル争いで敗れあまり見せてもらえなかった記憶があるが

  何故か第一話は観ていた。とにかく画面が暗く何をやっているのか白黒テレビでは

  良く解らない印象しかなかったが、大人になって観ると中々面白い。「ジャイアント」編に

  岸田森が出演するようになってから画面が締まった印象がある。

 

*ミラーマン 1971/12/5~1972/11/26

 

 で、その「シルバー仮面」の裏にぶつけてきた本家円谷プロの作品。たまに日曜に見せて

 もらえた時はミラーマンの方をみていた。「帰ってきたウルトラマン」とはムードが

 違ったし、初めの頃は同じ怪獣が何度も出ていた。後に大ブームを呼ぶ「マジンガーZ」の

 前番組。

 

*ウルトラマンA 1972/4/7~1973/3/30

 

 「帰ってきたウルトラマン」の後番組。空が割れて超獣が登場する光学特撮は

 見応えがあったが、ウルトラ兄弟の設定とウルトラの父の登場に馴染めず途中で挫折。

 大人になって観ると意外に楽しめた。市川森一作の最終回はただ感動。

 

*人造人間キカイダー&キカイダー01 1972/7/8~1974/3/30

 

 

 裏番組が「8時だョ!全員集合」という怪物番組の割には善戦した特撮番組。

 特に脚本が長坂秀佳の「ハカイダー登場編」になってからは俄然面白くなり

 よく一緒に観ていた伯母が真剣に観ていた記憶がある。どうでもいいが長坂秀佳の

 書く脚本を演ずる俳優達はどうして皆、血管の切れそうな芝居になるのだろう。

 「特捜最前線」や、映画なら東宝の「小説吉田学校」とか…石ノ森章太郎先生の

 少年サンデー連載も好きで良く立ち読みしていた。なお、石ノ森先生は

 「キカイダー」にはペン入れしていなかったのを後に知る。

 

*愛の戦士 レインボーマン 1972/10/6~1973/9/28

 

 

 地球侵略を狙う悪の組織はなぜ日本にばかり攻めてくるのか?という設定上の疑問に対して

 見事に理由付けした番組。これも登場人物全てが血管のキレそうな演技だった。

 まあこれは70年代の特撮番組全体に言えるのだが。特に僕の好きな平田昭彦(ミスターK)の

 イカレタ演技が当時は怖かった。今観ると「死ね死ね団」の「日本人皆殺し作戦」の数々は

 リアルで恐ろしい。

 

 

まだまだあるのだが、書いていくとキリがないのでこの辺で。