夜泣きしそうな日本映画 | をもひでたなおろし

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2024年に還暦を迎えた男のブログ

僕は1964(昭和39年)生まれなので、日本映画の黄金時代は知らない。

日本映画のピークは1960年(昭和35年)らしいので、娯楽の中心が映画からテレビへ

移行していく端境期に育った世代と言って良い。しかし、オヤジも母も、そして伯母も

映画好きだったので小学校低学年まではよく映画には連れて行ってもらった。

 

僕が映画に行った一番古い記憶は、1968年のイギリス・アメリカの合作ミュージカル映画

「チキ・チキ・バン・バン」だった。母と行った記憶がるのだが、母はミュージカルが

大嫌いなので自分から進んでミュージカル映画に行くはずがない。しかし僕の頭の中には

今でも「チキ・チキ・バン・バン」の独特の主題歌が頭から離れていないので

観にいったのは間違いないのだが、残念ながらストーリーさえ覚えていない。

あれは夢(?!)でも観たのだろうか。少し謎が残る。

 

 

次に母と行った記憶のある映画は、「スパルタ教育くたばれ親父」(日活・1970年8月公開)

石原裕次郎と渡哲也が共演のプログラムピクチャーで、裕次郎がプロ野球の審判役という

良く解らない設定の映画だった。一応原作は石原慎太郎だったようだが企画の段階で

既に映画界の斜陽っぷりが良く解る。この映画の内容も覚えていないが、帰りに寿司屋に

立ち寄り大好きな穴子巻を食べた事だけは覚えている。

 

オヤジと行った映画で覚えているのは「トラ・トラ・トラ」(20世紀FOX・1970年8月)と

いう日米合作の戦争映画。1941年12月の日本軍真珠湾攻撃を題材とした映画だったので

大好きな特撮怪獣映画に近い感覚で楽しく観ることが出来た。日本側からの監督に深作欣二と

舛田利雄、脚本に黒澤明が関与していたようで、日本人キャストも数多く出演していた。

オヤジが特に戦争映画が好きだったのかどうかは判らないが、次の記憶は「海軍特別年少兵」

(東宝・1972年8月公開)反戦映画という触れ込みだったので激しい特撮があるわけでもなく

全体的に暗いムードで小学生低学年にはかなり難しすぎる映画だった。

こうして記憶を並べてみると8月公開の映画が多い事が解る。

 

これは想像なのだがおそらく夏の暑い時期冷房(エアコン)などが家庭にない時代に

涼を求めて映画館へ足を運んだのではないかと思う。何にしても子どもには全く興味が

持てない内容の映画ばかりに連れて行ってもらっても有難味がない。

 

 

伯母は違った。子どもが行きたがる映画、「東宝チャンピオンまつり」や

「東映まんがまつり」という子ども向けのプログラムを選んで僕を連れていてくれた。

僕のお気に入りは「東宝チャンピオンまつり」の方で、再編集版のゴジラ映画と

テレビまんがのブローアップ版が3~5本上映されるという内容だった。初めて観た

ゴジラ映画は「チャンピオンまつり」の「ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃」

(1969年12月公開)大人になってあらためて見るといろんなゴジラ映画からの繋ぎ

合わせで変な映画だったが当時はゴジラの新作映画として子どもたち受け止めていた。

伯母の家から東宝の封切館が近かった事もあり、見に行くのはもっぱら東宝でそれからは

「モスラ対ゴジラ」「怪獣大戦争キングギドラ対ゴジラ」「ゴジラ対ヘドラ」と春、夏、冬と

続けて観に連れて行ってもらった。テレビの怪獣特撮モノも好きだったが映画館で観る

「特撮の迫力」と「映画館の非日常の体験」というのも中々楽しいものだった。

 

 

もう一方の「東映まんがまつり」は長編アニメ(長靴をはいた猫etc)が好きになれなかった

僕は「まんがまつり」に連れて行って欲しい。とは言わなかった。

少し後になって東映の「仮面ライダー」が「まんがまつり」の方のプログラムに加わったが

気の小さい僕は伯母にライダーが見たい。とも言い出せずゴジラ映画中心の

「チャンピオンまつり」を観に行っていた。後に「まんがまつり」の長編アニメは

劇場用新作「マジンガーZ対デビルマン」や「マジンガーZ対暗黒大将軍」に代わっていくが

そちらの方が子ども達の人気は高かったように思う。

 

そんな伯母だったが、ひとつ大きな勘違いを犯した。1973年の年末に連れて行って

くれた映画が東宝の「日本沈没」だったのだ。どうやら特撮映画=怪獣映画と思い込んで

いたのだろう。内容はご承知の通り、日本列島が大地震や大津波に巻き込まれたあげく

海の底に沈んでしまう。というものだ。

 

 

この映画は小学生低学年にはかなり刺激が強すぎた。小野寺俊夫(藤岡弘)はいつまで

たっても仮面ライダーには変身せず、田所博士(小林桂樹)のマッドサイエンスぶりも

D-1の中田(二谷英明)の冷静さも、山本総理(丹波哲郎)と渡老人(島田正吾)の

有名なやりとり「このまま何もせんほうがええ」(!)という登場人物全ての血管の

切れそうな芝居も。何しろ東京大震災で火災から逃げ回る群衆も。全て夢に出てきて

思わず夜泣きをしそうな映画だった。映画を見終わった後、伯母と二人で黙って映画館を

出たことを今でもハッキリ覚えている。インパクトが強すぎた。

今でも「日本沈没」は僕の日本映画ナンバーワンだと断言できる。

 

伯母は何故「日本沈没」に僕を連れて行こうと思ったのか。やはり単なる勘違いなのか。

伯母が元気なうちに聞いておくべきだった。と今更ながら思っている。

「日本沈没(1973年版)」を見た事のない御仁は是非DVDなどでご覧いただきたい。

 

多分、観た夜は大人でも夜泣きするかもしれないが。