ライダーカードと共に復刻 | をもひでたなおろし

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2024年に還暦を迎えた男のブログ

話の流れで、もう少し「仮面ライダー」について。

 

1971年の晩秋だったと思う。伯母の家で「仮面ライダー」をお泊りで鑑賞させて

もらった際に「カルビー仮面ライダースナック」のCMを観た。

 

 

どうやらスナック菓子に「仮面ライダーカード」がオマケでつく。といった代物らしいのだが

近所の駄菓子屋にもスーパーにもどこを探しても売っていない。

大人になってからその筋の本で知ったのだがライダースナックは1971年末から東京近郊から

先行発売されたようで、福岡に住んでいた僕は1972年の5月の運動会の日

(わが小学校は5月に運動会が開かれていた)に初めて買えたような記憶がある。

 

「カルビー仮面ライダースナック」はとにかく爆発的に売れたらしい。

先に挙げた本によると最盛期には1日100万袋、1973年1月までの終売までの

15か月間で6億2000万袋に達し、当時の男子児童1人あたり85袋購入した

計算になるとか。1袋20円とは言え、物凄い数だ。とにかくクラスの男子全員が

「ライダーカード」を集めていた、と言っても過言ではない。小学生低学年の小遣いが

1日20円~50円くらいの頃の話だ。頑張っても1日で2袋買えれば良い方だろうに。

1箱50袋入りのスナックを箱ごと買っている猛者ガキがいるらしい。と風の噂で聞いた。

 

 

僕はどうすればカードをいかに手っ取り早く集めることが出来るか。

毎日そればかり考えていた。1日の小遣いは確か20円だったので、ライダースナックを

買えば他の事には全く使えない。(主に)商店街の子が束になったライダーカードを

持っているのが不思議でならなかった。やっぱり「箱買い」の噂は本当だったのだろう。

これには絶対適わない。僕には1000円という大金なんて、正月のお年玉ぐらいしか

お目にかかることはなかったのだから。

 

しばらくすると、束でライダーカードを持っていた連中がカードを収納出来る

「アルバム」を持ち運びに使うようになってきた。聞くと「ラッキーカード」が

当たったとの事。ラッキーカードをカルビーに送るとアルバムが送られてくるのだ。

ずっと後に知るのだが「ラッキーカード」は1箱50枚につき1枚の割合で

封入されていたらしい。ライダーカードを収納して誇らしげに見せびらかす姿を

見せつけられると、僕はますますカードが欲しいという欲望と戦わなければならなかった。

 

 

とうとう僕は「ライダーカード」の誘惑に負けた。

小学2年生。このころから僕は「欲望」には忠実だったのだ。

母の隙を見て、いつも小遣いを出してくれている財布からこっそり500円札を

抜くことを思い付き実行した。まだ板垣退助の500円札の流通している時代だった。

どうせ抜くのなら1000円札(は、伊藤博文だったな)を抜けばいいのに、気の小さい僕は

それが出来なかった。気が小さいくせに大胆な野郎で、最終的にはバレて叱られる覚悟は

あったのだから1000円抜いても良かっただろうに。と後から思うのは「泥棒の論理(?!)」

なのだろうか。

 

しかし僕は大切な事を忘れていた。

500円で20円のライダースナックがいくつ買えるでしょう?

算数の苦手な僕が計算したところでは、25袋買えることになる。カードはともかく

スナックの入った袋はどうするのか、全く考えていなかったのだ。のちに語られるように

ライダースナックを買ってカードだけ取ってスナックは捨てる。というガキも確かに

存在したが、僕らの周囲にはスナックだけ持って帰る奴がいた。カズ君というその男子は

ライダーカードを集めてはいなかったが、カードだけ抜いて皆が要らなくなったスナック

だけを貰い集めて家に持ち帰り食べている。という。ライダースナック自体は甘ったるい

コーティングが施してあって必ずしも美味しいものではなかったが、彼の家では牛乳を

掛けて食べており、そうすると中々美味しく食べられるらしい。

 

僕は駄菓子屋で母からくすねた500円を出し、駄菓子屋のババアからライダースナック

25袋とカードを25枚受け取った。スナックは段ボール箱に入れてくれたので近所を

運んで歩くにも目立って仕方がない。僕は母に出会わない事を祈りながら。カズ君の家まで

段ボール箱を抱えて持っていった。カズ君は一瞬困ったような顔になったが、僕は半ば

無理やり押し付けたような形でカズ君の家を出た。

 

あれからカズ君はどうしただろう。いきなりライダースナックを25袋も貰うのはきっと

ありがた迷惑だったに違いない。僕はこの数日後、財布から500円札を抜いた事が

母にあっさりバレて死ぬほど叱られたが、何故か母はオヤジには言いつけなかった。

オヤジは子どもに手を挙げることが多々あったので、それを慮っての事だったのだろう。

不思議なことにくすねた500円で何を買ったのか。と聞かれた記憶がない。聞かれた事は

間違いないのだが、その辺の記憶がスッポリ抜けている。さっき母に聞いてみたが僕が

500円くすねた事さえ覚えていなかった。「わたしゃ過去に興味がない。」という事らしい。

 

「カルビー仮面ライダースナック」はその後「カルビースナック仮面ライダー」と名を変え

「仮面ライダー」放送終了の1973年2月頃まで、計546枚のカードが発行された。

「仮面ライダー」の続編となる「仮面ライダーV3」の放送開始とほぼ同時に

「カルビースナック仮面ライダーV3」が発売されたが、2週間に50枚というカードの

発行ペースが子どもたちの収集能力をオーバーしてしまい。「V3」になってからもカードを

集めている。という子は周囲にあまりいなくなった。そうしているうちにいつの間にか

V3スナックそのものが販売終了となってしまった。1973年8月末からカルビーはより

健康的なイメージの強い「プロ野球スナック」の発売を開始する。これはこれでカード

収集がブームになったが当時プロ野球に全く興味のなかった僕が収集する事はなかった。

 

ところで25袋も買ったライダースナックの中に、ラッキーカードは入っていなかった。

僕が4年生になった頃、ライダーカード収集に飽きたカワサキ君からライダーカードと

アルバムを譲り受け初めて手に入れたのだが、ブームも去った後で手に入れても特に感慨も

感激もなく、大人になってからの僕は「ライダーカード」が復刻されるたびに母の財布から

500円くすねた思い出だけが甦ることになってしまったのだった。