ゆみこちゃんと怪獣博士 | をもひでたなおろし

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2024年に還暦を迎えた男のブログ

小学1年生になり、「帰ってきたウルトラマン」の放送開始から、僕の「怪獣熱」は

ますますヒートアップしていった。そもそも幼稚園児の頃から怪獣については

かなり自信(?!)を持っていた。

 

僕の住んでいた町内には1970年代後半まで「紙芝居のおっちゃん」がやってきていた。

おっちゃんは公園にやってきては拍子木を打ち鳴らし紙芝居を始めることを伝えて廻る。

子どもたちは小銭を握りしめ、おっちゃんのところに走った。紙芝居の題目は

僕らの頃は「チョンちゃん」(サザエさんのような新聞4コマ漫画のような物語だが

どこで笑っていいのか解らないもの)と絵物語(たとえば黄金バットなど)が1本。

そして皆お待ちかねの「クイズ」のコーナーというのが毎日の流れだった。

 

 

この「クイズ」に答える権利があるのは、紙芝居を始める前におっちゃんから水飴や

「イチゴ」と呼ばれていた今なら絶対食べない合成着色料が入ったドギついピンク色で

まるでチクロが入っているようなペースト状の食べ物や「型抜き」などがあったが

そのいずれかを5円から10円也で買わなければ参加出来ない仕組みだった。

 

 

おっちゃんは水飴を買ってくれた子どもにはニコニコしながら、「さあさあ前においで」と

紙芝居を前の方で見ることが出来たが、金を出さなかった子どもには「買ってない子は

後ろだよ!」と般若のような顔で結構キツく言い放って後ろに追いやる。

今考えれば、子どもの頃から「待たざる者」の悲哀を感じざるを得ない瞬間であった。

 

僕はこの「クイズ」のコーナーに一日の全てを掛けていた。

クイズの1問目はほとんどの場合「怪獣(宇宙人)」の名前当てなのだ。

おっちゃんは敢えてゆっくりとクイズの表紙をめくっていきながら

「この怪獣の名前はなんでしょう!」と煽り気味に叫ぶ。後はどの子が最初に

手を挙げるかで回答権が確定する。僕は目を凝らし学校では出さないような元気な声で

「ハイ!ハイ!」と手を挙げ、おっちゃんの指名を受けおもむろに答えるのだった。

「ザ・ラ・ブ・星・人」。皆の注目を浴びながら正解のご褒美の水飴やイチゴを

GETする快感といったらなかった。なんてイヤなガキだろう。

 

やがて僕のあだ名は「怪獣博士」になった。怪獣のことならあいつに聞け。とばかりに

ちょっとした人気者になったがそれはそれで辛いものがあった。

怪獣に対する知識を勉強し続けなければならない。と勝手に思い詰めていたのだ。

 

第一次怪獣ブームの間、怪獣に関するモノは沢山発売されたが、僕の集めていたのは

ソフビの怪獣人形と怪獣図鑑の2本柱だった。特に本が好きだった僕は怪獣図鑑や

小学館の学習雑誌で怪獣の情報を集めていた。図鑑の付録には怪獣の鳴き声が収録された

ソノシートなどもついていた。例のオヤジの「成金ステレオ」は瞬く間に僕の

おもちゃとなり怪獣の鳴き声や特撮モノの主題歌が流れるだけの代物に成り下がっていた。

怪獣図鑑には「切りぬき」型の画報などもあり、僕はかなりのバリエーションを集めていた。

それもこれも「怪獣博士」の地位を守るための涙ぐましい努力だった。

 

 

小学1年生も後半となった秋頃のこと。

母が「もう1年生なのだからいい加減に怪獣怪獣いうのはやめなさい!」と言い出した。

母の命令は絶対である。僕は怪獣に関するモノを買って貰えなくなりチョっとしたピンチに

陥ってしまった。やはりキツい親だった。母からの命で伯母にもねだる事が出来なくなった。

 

怪獣の情報に飢えていた僕は、仕方なく街の本屋に出入りし立ち読みで情報を得ていた。

ある時本屋の本棚に「原色怪獣怪人大百科」という凄まじい名前の図鑑が並んでいた。

普通の図鑑とは違い、店で中身を確認することが出来ない仕様の本だった。

僕はその中身が見たくて仕方がないのだが「怪獣博士」としては「誰か持っていない?」

と、素直に聞いて廻ることが出来なかった。変なプライドがあるガキだったのだ。

 

そんなある日のことクラスの女の子のゆみこちゃんが「原色怪獣怪人大百科」を

持っている。という情報を得た。何故女の子が「原色怪獣怪人大百科」を持っているのか?

どうやらゆみこちゃんは女の子なのにその手の類が好きらしく、色々持っているらしい。と

クラスの別の女子の話を小耳に挟んだ。住んでいる家も近所だった。

これはもう行くしかない。僕は放課後いそいそとゆみこちゃんの自宅訪問を実行した。

ひとりで女の子の家に遊びに行くのは初めてだったが、そんな気恥ずかしさもどこかへ

吹き飛んでいった。とにかく僕はそれほど「原色怪獣怪人大百科」が見たかったのである。

 

ゆみこちゃんに中身を見せてもらい、何故立ち読み出来なかったかすぐに理解できた。

「原色怪獣怪人大百科」はページを綴じてある本ではなく、A3判のポスターが八つ折で

30~40枚くらい箱に詰められているというスタイルのものだった。これでは立ち読みは

無理だ。両面印刷で16体の怪獣が掲載されており、まさしく「大百科」という体裁だった。

この本が発売されたのは1971年の秋か初冬だったのでまさしく「第2次怪獣ブーム」を

当て込んだ書籍だった。版権の関係など当時は知る由もなかったが円谷プロや東映、東宝

ピープロなどの制作会社に縛られず全部の怪獣を網羅していたのも大仰な名前に相応しい

ものだった。

 

 

僕はゆみこちゃんとゆみこちゃんのお母さん(確か美容師さんだった)にお礼を述べて

図々しくもまた遊びに来て良いか?と尋ねた。それからしばらくの間「怪獣博士」は

ゆみこちゃんと熱心に「怪獣の研究」に勤しむのであった。

 

ずっと大人になってから知ったのだが、この「原色怪獣怪人大百科」は勁文社の発行で

ダイエーの中内功を描いた「カリスマ」や讀賣の正力松太郎の評伝「巨怪伝」を書いた

僕の好きなノンフィクション作家である佐野眞一さんが企画編集を手掛けたものだった。

コラムニストでプロ野球のユニフォーム研究で有名な網島理友さんも勁文社出身だそうだ。

結局「原色怪獣怪人大百科」は53万部のベストセラーとなり、勁文社はのちに

「ケイブンシャの大百科シリーズ」でプロ野球やアイドル歌手、アニメ番組や

ファミコンソフトの攻略法などを取り上げて子どもたちの愛読書となっていったが

2002年に経営破綻した。