方法序説を読む(1) | 代々木公園から見える風景

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日々感じていることを、つれづれなるままに書きます。

 ※本ブログは私見であり、学術的な解釈の解説ではありません。

 

 良識はこの世で最も公平に配分されたものである。① AT.VI.1

 

 デカルトは良識というものに対する信頼性をいただいている。例えば赤ん坊も老人も成人男女も良識が存在する。ただし公平ではない。赤ちゃんの良識と老人の良識が、同じく平等に存在するのではない。赤ちゃんは赤ちゃんなりの良識がある。老人にも老人なりの良識が存在する。では、その平等に存在しない良識に対して人はどう感じるのか?

 

 誰でもそれを十分に備えていると思っているので、他のどんなことにもなかなか満足しない人でさえも、自分がいま持っている以上を決して望まないもの ① AT.VI.1~2

 

 赤ちゃんは自らの良識が足りないことで、赤ちゃんは不平不満をいただくのか?老人が自らの良識が多分に存在することで、大いなる幸せをいだくのか?どちらも、「いだかない」というのが僕なりの解釈だ。

 

 つまり平等に存在しない自らの良識について、あれこれ不平不満を抱かない上、良識をさらに欲しがることもしないと。まぁ、その通りだろう。僕の良識が未熟で悩んでいた人、僕の周りで1人も見たことがない。

 

むしろそれは、よく判断して真と偽を区別する能力、すなわち本来良識あるいは理性と呼ばれているものが、すべての人において生まれつき平等であることを証拠だてているのである。① AT.VI.2

 

 良識を「理性」と言い換えている。理性は誰でも生まれつき存在する。「生まれつき」という点で「平等」だと言っている。「理性」とは何かも書いてある。理性とは「真と偽を区別する能力」であると。

 

というのも、よい精神を持っているだけでは十分ではなく、大切なことは、それをよく用いることだからである。① AT.VI.2

 

 「持つ」だけでは足りない。「もちいること」が重要だ。しかも、「よく」だ。例えれば、知識をつける事じゃなく、知識を組み合わせて活用することが必要だと、現代風に言える。理性を精神と言い換えている点も注目に値する。

 

 

 <引用文献>

①方法序説 /ルネ・デカルト 山田弘明 訳(ちくま学術文庫)