「私はただ平穏に暮らしたいだけなのに。どうして、いつもこんな目に合うのでしょう」
珍しく義時は弱音を吐いた。
「平穏に暮らしたいだけとは、よく言うものだ」
「本当のことです。私が昔から祈っているのはそのことだけです」
普段、評定では滅多に口を開かない男が、義村の前では饒舌になっていた。
評定では誰もが執権の沈黙を恐れていたが、古い付き合いの義村は知っていた。
――喋るのが億劫なだけだな。
「貴殿らしくないではないか、いつも通り飄々とことを成せば良い。やるべきことは決まっている」
義時は黙り込むと、義村の目をじっと見た。
「兄と同じことを言うのですね」
「ん」
「いえ、こちらの話、愚痴ばかり申し上げて失礼致しました。本題に入りましょう」
義時は、何事もなかったかのように、戦のことについて話し出した。
――確か執権には、旗揚げ時に戦で亡くした兄がいたらしいが。
そんなとうの昔に死んだ人間のことを持ち出して、義時が何を言いたいのかわからなかった。
後鳥羽上皇による北条義時討伐の院宣は上手くはいかなかった。上皇側が想定していたよりも多くの武士が、幕府側に付き、朝廷側は破れ た。
後鳥羽上皇、順徳上皇などは配流となりが島流しになり、幕府は朝廷を監視するために都に六波羅探題を設置した置き、朝廷の監視を行った。
三浦義村は、都での戦後処理を終えると報告のため、御所を訪れ、今は鎌倉殿の代行となっている、政子に謁見した。
一通り報告を終えると政子が口を開いた。
「執権もそなたには、随分と感謝をしていると述べていました」
そう言って、政子は義村の顔をじっと見た。
義村が不審に思っていると、
「そなたには一度、伝えたいと思っていました。執権、我が弟の四郎は昔から無口で無表情で、何を考えているのかわからない所があるのですが、兄の宗時にはそれは懐いていたのです」
政子が何を言いたいのか、義村は測りかねた。
「私や父の前では無口でしたが、兄の前ではそれはもう饒舌で。それが、兄が討ち死にした時から、すっかり元気がなくなって」
その後に政子が放った言葉は、義村の想像以上の物だった。
「私は覚えていますよ。四郎が目を輝かせて、姉上、三浦殿は兄上にそっくりなんですよって。まあ、私はそうは思いませんけどね」
「……」
「四郎が元気になったのは、三浦殿のおかげだと思っています」
「私は何もしておりませんが」
「人の思いなどその様なものです。真実よりも、己が何を信じるのかが大事なのです。四郎はそなたを兄だと思う事で立ち直ったのでしょう」
義村は政子の前を退いた。
ふと、御所の庭が目に入るった。 手入れが行き届いている夏の庭だ。
生暖かい湿った風が義村の頬を撫でると、義村はいつだったか、義時と庭を眺めて話した時のことを思い出した。
「私は三浦殿のことは友だと思っています」
蝉の声がけたたましく、義村は聞こえないふりでもしてやろうと思ったが、この際、はっきり言おうと思った。
「悪いが、俺は貴殿を友だと思ったことは一度もない」
「そんなことはありません」
義時は即座に否定した。
義村が二の句を継げずにいると
「そうだ、今度三浦に遊びに行ってもよろしいですか」
義時は目を輝かせて言った。
「何」
「私は三浦殿の生まれ育った所を、じっくり見てみたいのです。三浦ならそう遠くはないでしょう」
義村がいくら断っても、義時は強引に三浦に押しかけて来るだろうと 思った。
「ならば、我が一族を上げて、執権殿をおもてなし致そう」
「ふふ、楽しみにしています」
そう言って義時は、初めて会った時と同じ様に、笑うのであった。
完