世に言う和田合戦において、三浦義村は和田義盛に味方すると伝えていたのだが、密かに北条義時に内通し、義時に義盛の御所襲撃日を告げた。
それを聞いて義時は歓喜した。
「よく仰って下さいました。やはり三浦殿は我らのお味方だ」
義時は嬉しそうに目を細めた。
「これで和田殿には勝ち目がありません。鎮圧には多少時間がかかるやもしれませんが、問題ないでしょう」
義村は義時の嬉しそうな顔を見ていると、段々腹が立って来た。
「執権殿 、一つよろしいか」
「何でしょう」
「俺が和田を見捨てたことを貴殿はどうお考えか。貴殿は随分楽しそうだが、今、俺がどんな気持ちで貴殿の目の前にいるか一度でも考えたことがあるか」
「……」
「貴殿には武士の矜持がないらしい。どうりで大江殿と話が合う訳だ」
義時は流石に一瞬顔を強張らせたが、義村に落ち着いた口調で言った。
「何か誤解をなさっているようですが、此度の三浦殿の決断を、私は軽い物とは思っておりませぬ。苦渋の中でのご決断だと重々承知しております。私に武士の矜持がないとは心外です」
義村は最大限の侮蔑を込めて言ったつもりだった。今の言葉で、刀を抜いて斬り合いになってもおかしくない状況だった。
だが、義時はそれに煽られることなく冷静に対処した。
義村は釈然としなかったが、ここで義時と言い合いになっても無駄なだけだと言うことは理解していた。
「失礼を申し上げた。少々気が立っていたようだ。ご無礼、お詫び申し上げる」
「とんでもございません。私の不用意な発言で、三浦殿をご不快にさせてしまいました。私の方こそお詫び申し上げます」
――どこまでも冷静な男だ。
義村はそう感じた。そして、この義時に和田義盛では逆立ちしても勝てないであろうと思った。
二日間続いた合戦は、和田義盛の敗北で幕を下ろした。
これで義村は、心気なく三浦氏を束ねられるかと言うとそうでもなかった。確かに、和田氏の影響は排除出来たが、三浦一族全体の力は昔に比べて落ちている。
――何とか挽回せねば。
だが義村が挽回する事なく、時は流れ、三代将軍実朝が甥の公暁に殺される事件が起こると、ここでも、義村と義時は協力をしてことの解決を図った。公暁は捕らえられ殺され、幕府は将軍を失った。
次の将軍が決まらぬまま、実朝の母の北条政子が代行の棟梁として 幕府をまとめると、四代将軍の擁立のために朝廷と幕府との交渉が始まった。
幕府側は、後鳥羽上皇の子息の雅成親王を四代将軍として願い出たが、朝廷がは拒否したため、頼朝の姉の子である三寅を将軍として迎え入れることとなった。
それから二年後、後鳥羽上皇が愛妾の亀菊に与えた所領について、 朝廷と幕府が任じた地頭との間で揉めていることを引き合いに出し、幕府側側に引き下がるよう命じた。
だが、幕府はこれを拒否し、様々な交渉を重ねた結果、ついに北条義時に、追討の院宣が下ったのであった。