吉備津彦神社と吉備津神社参拝 平成28年6月25日(土) | しこくあるく

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四国霊場歩き遍路の記録を中心に、寺社巡りや城郭探訪など旅の日記と徒然の感想を書き連ねています。

朝から梅雨空である。しかし、カメラを買い換えたので試し撮りに行きたいと先日からウズウズとしていた。


曇天ならばアジサイだろう。三室戸寺に参拝したばかりだが、どんぐりさんに頂いたコメントに刺激されて、熊野本宮大社で頂いた御朱印帳をバッグに忍ばせて吉備津神社(きびつじんじゃ)へと車を走らせた。

 

まずは、備前國一宮の一つ(備前の一宮は二社ある)吉備津彦神社(きびつひこじんじゃ)へ車を向けた。

因みに、もう一社の備前國一宮は石上布都魂神社(いそのかみふつみたまじんじゃ)である。岡山市東区にある安仁神社(あにじんじゃ)が本来の備前國一宮とされていた。しかし、藤原純友(ふじわらのすみとも)の乱の際に、純友方に荷担したため朝廷から一宮の位を剥奪され吉備津彦神社に遷された歴史がある。なお、安仁神社は備前國二宮となっている。

 

さて、それはさておき、吉備津彦神社へは自宅から30分ほどで到着する。駐車場には車が多い。参拝者もそこそこおられる。9年ぶりに訪れたが以前はこんなに人がいなかった。

随神門(岡山県指定重要文化財)

パワースポットブームや御朱印帳ブーム以来、殊に一宮への参拝者は増えたと思う。きっかけが何であれ神仏を敬うことは喜ばしいことだ。

 

神社紹介
 所在地 岡山県岡山市北区一宮1043
 
主祭神 大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)
 
相殿神 吉備津彦命(大吉備津彦命の子)、孝霊天皇、孝元天皇
       開化天皇、崇神天皇

       彦刺肩別命(ひこさしかたわけのみこと)
        天足彦国押人命(あまたるひこくにおしひとのみこと)
        大倭迹迹日百襲媛命(おおやまとととひももそひめのみこと)
        大倭迹迹日稚屋比売命(おおやまとととひわかやひめのみこと)
        金山彦大神(かなやまひこのおおかみ)
        大山咋大神(おおやまくいのおおかみ)
 
社格  備前國一宮、旧國幣中社、別表神社

 

吉備津彦神社は吉備の中山(きびのなかやま)と呼ばれる神奈備山(かんなびやま:古くから信仰の対象として崇敬される山)の東麓にあり、朝日の宮(あさひのみや)とも呼ばれる。
主祭神の大吉備津彦命は第7代孝霊天皇(こうれいてんのう)の第三皇子で四道将軍(よつのみちのいくさのきみ/しどうしょうぐん)の一人として山陽道の平定に遣わされたと日本書紀と古事記に記されている。


江戸時代初期、この地を拝領した池田利隆(いけだとしたか:池田光政の父)が本殿を造営し、岡山藩2代藩主の池田忠雄(いけだただかつ:利隆の異母弟)が社殿を整えた。その後、池田綱政(いけだつなまさ:光政の子で光政系池田家岡山藩2代藩主)によって本殿が改築され、境内が整備された。しかし、昭和5年(1930年)の失火で社殿を焼亡した。現在ある拝殿や本殿は昭和11年(1936年)に再建されたものだ。

手前から、拝殿・祭文殿・渡殿・本殿(改修中)

綱政時代に造営された社殿では随神門のみが残っている。なお、本殿は今、改修中である。
参拝を済ませて御朱印を頂いた。

 

アジサイを見に向かった吉備津神社は吉備津彦神社から僅か2km足らずである。歩いても30分かからない。吉備津神社は三備一宮となっている。つまり、古代吉備國が備前、備中、備後の三国に別れたが、吉備國の総鎮守社であると言うわけだ。一般的には備中國一宮である。これほど隣国の一宮との距離が近い場所は国内では他にないだろう。

 

吉備津神社も吉備津彦神社も大吉備津彦命の住まいがあった場所だとされている。しかし、吉備津神社の方が歴史が古いようで、どうやら吉備津神社が元々あり、安仁神社が一宮から外されたために、新たな備前國一宮として吉備津彦神社を造営し吉備津神社の御魂を分霊したというのが本当のところなのだろう。

 

駐車場に車を駐め、手水で手口を清めて石段を上がる。

参道

吉備津神社は吉備の中山の北西麓に位置する。総社市にある古代の城跡である鬼ノ城(きのじょう)には、温羅(うら)という、まつろわぬ民(つまり、大和朝廷への抵抗勢力)が盤踞していてそれに睨みを効かせるため、この場所に陣取っていたというのが正しい見方なのだろう。

 

神社紹介
 所在地 岡山県岡山市北区吉備津931
 
主祭神 大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)
 
相殿神 御友別命(みともわけのみことのみこと)
        仲彦命(なかつひこのみこと)

              日子刺肩別命(ひこさすかたわけのみこと)
        千千速比売命(ちちはやひめのみこと)
        倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)
        倭迹迹日稚屋比売命(やまとととひわかやひめのみこと)
        彦寤間命(ひこさめまのみこと)
        若日子建吉備津日子命(わかひこたけきびつひこのみこと)
 
社格   式内名神大社、備中國一宮、旧官幣中社、別表神社

 

石段を上がると北随神門を抜ける。国の重要文化財に指定されている。

北随神門(国の重要文化財)

さらに建物を抜けると拝殿へと至る。

お守り授与所のある建物

礼拝を済ませて御朱印を頂いた。この神社の拝殿は本殿から延びた軒のようになっている。本殿の方が遙かに大きく、比翼入母屋造りと呼ばれ吉備津造りとも言われる。

室町時代前期の建物で国宝に指定されている。

本殿と拝殿(国宝)


本殿を撮影していると祈祷殿の軒下に置いてあるベンチで猫が気持ち良さげに寝ていた。

ベンチで昼寝

アップ

おしりの方から

カメラを至近まで近づけても一向に目を覚まさない。死んでいるのかと思ったが呼吸で腹が動いている。爆睡中と言ったところだろう。猫は自由気儘で良い。

 

本殿の右脇に回廊が延びている。この神社独特のものである。

回廊(岡山県指定重要文化財)

その途中、左側の斜面にアジサイ園がある。三室戸寺ほどには広大ではないが、そこそこの広さである。坂道の参道が延びており、その先に岩山宮がある。

岩山宮鳥居とアジサイ園

岩山宮参道とアジサイ園

アジサイと岩山宮

やや終わりかけのアジサイではあるが、それでも人が多い。

レンズを取っ替え引っ替え写真を撮った。概ね青いアジサイが多いように思う。

 

 

 

 

 

結構な斜面なのでお年寄りにはちょっときついかな。

 

アジサイ園を後に、回廊を更に歩き右手へと出た。御竈殿がある。江戸時代初期の慶長17年(1633年)に建てられたもので、国の重要文化財となっている。

御竈殿(国の重要文化財)

この中には竈があり、鳴釜神事(なるかましんじ)というご託宣行事が行われる。釜の鳴動で吉凶が占われるのだが、竈の下に大吉備津彦命が退治した鬼の首が埋められており、釜がグォングォンと鳴るのは、その鬼のうめき声なのだそうだ。中に入って見学出来るのだが、撮影は禁止である。

御竈殿の前にはレトロな丸ポストがある。

レトロな丸ポスト(現役のポスト)

1時間近くブラブラと吉備津神社を散策した後、午前中に帰宅した。

 

参拝に感謝。
彌榮