高野山御礼参拝 10月11日② | しこくあるく

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四国霊場歩き遍路の記録を中心に、寺社巡りや城郭探訪など旅の日記と徒然の感想を書き連ねています。

(つづき)
金剛峯寺では四国別格二十霊場の御礼参拝を行った。本堂前には特別ご開帳されている弘法大師と五色綱が繋がっている。五色綱の前には行列となっている。列に並んだ。自分の前のご婦人が綱を持って一心に祈って綱を放そうとしない。自分はお気の済むまでと待っていたが、遂に後ろの人が痺れを切らし「後ろ並んでるよ!」と言い放つ。やはりこういう時はお互い様だ。
本堂前でお四国の御礼参拝だろう白衣の方が静かに読経を行っている。その後、本堂前で燈香し読経を行ったが4人で読経したため、注目の的となった。ここは通常と同じく拝観料が必要である。受付で行列、中に入り、納経でも行列である。待って貰うのは気の毒なので3人には先に行って貰い自分一人納経の列に加わった。待っていると前に並んでいる女の子が話しかけてくる。「”だんじょうがいらん”ってここから近いんですか?」「ん?”だんじょうがらん”ね。歩いて5分もかからないよ。」と少し話をする。聞けばMISIAのコンサートで何と熊本から来ているそうだ。無論、高野山は初めて。チケット代は8,500円とのこと。下世話な話だが、このうち金剛峯寺の実入りはいくらなんだろうと思った。
金剛峯寺は秋の特別拝観で秘仏としている弘法大師のお姿が拝めた。やはり立派なお姿である。


金剛峯寺 枯山水庭園

先に行って貰った3人とは大広間で合流した。

金剛峯寺をあとに、母親にいつもの高野山大師香を買って欲しいと頼まれたので高野山の街を散策がてら奥の院方向へと歩いた。大師香の向かいは苅萱堂(かるかやどう)である。3人には苅萱堂を参拝して貰い、自分のみ大師香の店に入った。いつもの線香とミニボトルの塗香を購入した。

再び合流し、途中で土産物を買って浪切不動尊へと向かった。途中、無量光院に寄り土産を車に積み込むと小僧さんが出て来てチェックインをして欲しいとのこと。30分程で帰ってくると告げ、浪切不動尊のある南院へ向かった。無量光院からは5分とかからない。ここにまず参拝して奥の院へ向かうのが習わしと謂われている。御本尊は国の重要文化財に指定されており、全国にある浪切不動尊の元祖である。

浪切不動尊

弘法大師(空海)が唐から帰国の途にある時、船が難破しかけた。弘法大師が恵果(えか/けいか=空海に真言密教の全てを授けた唐の高僧)和尚から授かった霊木で不動明王を刻んで祈念すると、不動明王が浪を切り裂いて船の行く手を助けたのだそうだ。そして高野山を開いた時、その不動尊をお祀りしたのだそうだ。
近畿三十六不動霊場の結願寺となっている。
 御詠歌   ありがたや 生死苦海(しょうじくかい)の 浪風を 切りはらいたまふ 智慧の御剣(みつるぎ)
燈香読経の後、納経印を頂き4時半過ぎに無量光院へと戻った。戻りがてら遠くにMISIAの音楽が聞こえた。漏れてくる音楽が聞こえるのも贅沢で良いものだ。

チェックインは代表者の自分のみが宿帳に記入だけでよいとのことだ。高校生ぐらいの小僧さんに部屋まで案内して貰った。奥の方へ進み、階段を上がり部屋へと入った。お茶と茶菓子も用意してくれた。宿坊の説明があった。6時に部屋に夕食を運んでくるという。部屋にはテレビがない。入浴時間は4時から8時までで朝風呂はない。また、翌朝6時よりお勤めで浴衣での参加は不可、朝食は7時半以降になるという。翌朝、奥の院参詣の後、まだ行事があるので早くならないのか訊ねたが無理だとのことだ。


部屋の床の間

夕食までに入浴を済ませた。途中、トイレに寄った際、用意してくれていたタオルを何処かで無くしてしまったので、部屋まで戻り持参したタオルで入浴した。宿坊で用意してくれるタオルはフェイスタオル一枚のみである。バスタオルが必要な人は持参するしかない。宿坊に宿泊すると云うことは、参籠(さんろう)という修行だから当然と云えば当然だ。参籠者は団体あり家族連れあり、外国からの観光客ありで満室である。


無量光院の庭園


6時になり部屋に食事が運ばれた。運んできた修行僧の話っぷりが中国か韓国の方のようだ。般若湯(はんにゃとう)を頼んだ。つまりアルコール、早い話がビールと熱燗である。”葷酒山門に入る”だ。食事は肉魚を一切使用していない、精進料理である。高野山名物、胡麻豆腐が殊の外美味である。土産で何度か買って帰ったことがあるが、全然別物のようだ。


夕食の精進料理

食事が終わり、最初に案内してくれた小僧さんが膳を下げに来た。Nさんが話しかけると、やはり高校生で住み込み修業をしている。大阪出身で寺の子弟ではなく自ら僧侶の道を選んだそうだ。宿坊はおろか、この無量光院にはテレビは一切無いとのことだ。修行に俗世の情報は不要ということである。食事を運んできた方は中国出身の修行僧だそうだ。弘法大師が中国からもたらした真言密教を逆に中国の人が学びに来られている。
1200年の時間は宗教や文化をこれほどまでに変えてしまう。いや、逆に真言密教は弘法大師の時代からさして変化せず脈々と受け継がれていると云うことだ。日本人は新しいものを持ち込み咀嚼して自身の形に合うように取り込むことには長けているが、大胆な革新を求めない国民性を持っている。特に仏教は鎌倉時代以降、思想体系の大変革がない。ゆえにかつて思想を輸出した側の方達が古い仏教の教えを求めて来日されるのではないか?

食事を終え、テレビが無い部屋でたまには語らうのも良いものだ。Nさんが最近刊行されたばかりの高村薫の”空海”を貸して下さった。昨年、地方紙に連載されていた”21世紀の空海”を本にまとめたものだ。帰宅したらゆっくり読ませて貰うことにした。
Hさんからショッキングな話が出た。大峰山裏行場の行場の一つ、蟻の戸渡りで滑落死者が出たのだそうだ。行場では山先達と呼ばれるガイド人が登り方を指南してくれるのだが、どうやら経験の浅い山先達が足の掛け方をしっかり教えていなかったようだ。無論、警察沙汰となった。もう既に大峰山の行は終えているが、来年5月の山開き以降の裏行場での行は行われないのではないかとの見方が強いそうだ。裏行場もあっての新客修行というものだと思うのだが、警察から命令が出れば中止はやむを得ないのかもしれない。

結局、9時には消灯し床に着いた。1時間ほど寝ただろうか、隣の会話に眼が醒めた。廊下側は襖なので隣の声がよく聞こえる。女性達が大きな声で話している。それでも11時頃には就寝したのだろう静かにはなった。

こうして無事に初日を終えた。感謝。

たかの山 山ではあらで はちすばの 花坂のぼる 今日のうれしさ(高野山御詠歌第一番〔妙遍〕)
南無大師遍照金剛