土佐国巡拝11月8日 30番~37番、別格5番 | しこくあるく

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四国霊場歩き遍路の記録を中心に、寺社巡りや城郭探訪など旅の日記と徒然の感想を書き連ねています。

開創1200年の車遍路、11月はじめの三連休の1日を利用して行こうと思っていたが生憎の雨だった。

満を持して翌週土曜日としたのだが、愛媛県地方の天気予報は曇。冬の久万高原を避けたいと思っていたし、晴れならば四十五番の白山行場へ行こうと思っていた。曇なら久万高原は小雨がパラつくかもしれない。結局、予定を変更した。お大師様から順番に打てと言われているような気がした。
言い訳が長くなってしまったが、つまりは前回の続き、30番善楽寺へ向かったということだ。

朝3時半過ぎに家を出た。いつものように水島ICへ。坂出ICで高速を下り国道11号、国道319号を経由し国道32号を高知市へとひた走る。この時期、夜明けが遅い。夜が白んできたのは大豊を過ぎた6時前だった。

岡豊城址の丘陵を脇目に善楽寺へ。途中、コンビニでホットコーヒーを購入し持参したパンで朝食を摂った。コンビニのドリップコーヒーは安くて、本格的で、同様の価格ならば缶コーヒーより断然旨くて良い。

朝食を済ませて善楽寺へと向かう。歩きの時に宿泊し、色々あったレインボー北星の前を通ったが、看板が法泉寺宿坊レインボー(漢字の当て字だが漢字は忘れた)と名前が変わっていた。しかも、営業しているのかどうなのか分からない感じがした。宿泊した際には、女主人は中を改築すると言っておられたのだが。


7時、善楽寺に到着。駐車場には1台の車もない。一番乗りか?と思いきや、境内を見ると5人ばかりのグループが大師堂で読経を終えたところだった。車は土佐神社の駐車場に駐めているのだろう。車を駐めると1台2台とやって来た。本日も遍路スタートである。

善楽寺境内

本堂、大師堂と読経を済ませ納経所へ。お目当てのTシャツを購入。納経所で「こちらのブログ拝見してます。ブログにこのTシャツ載っていたので購入したいと思っていました。」と初老の男性に話すと、あははと笑いながら「副住がやりゆうがです。」と、ブログの主は副住職様と教えて頂いた。

香川から高知へと走っていて気付いたが、四国はガソリン代が高い。岡山では現在152円/Lぐらいなのだが、香川では160円/L程度、高知では172円/L程度と岡山より20円も高い。運賃コストがかかっているということなのだろう。諸物価は概ね安いのだが燃料代はそうはゆかないようだ。

善楽寺をあとに31番竹林寺へ。8時前、到着。


竹林寺山門

50年ぶりに御本尊のご開帳を行っている。8時半より内陣に参拝出来るのだが拝観料は1,000円である。ご開帳されており、本堂前から獅子に乗られた文殊菩薩様のお姿を望むことが出来た。脇侍の4尊が付き従っている。遠くからでも拝むことが出来たので8時半まで待っての拝観は割愛した。
竹林寺は京都府天橋立にある切戸(きれと)智恩寺、奈良の安倍文殊院と共に日本三文殊と呼ばれる。次男の大学合格祈願を行い、今年、無事に合格出来たので御礼参りを兼ねて参詣した。
主だったお寺では納経所でバッジなどの開創1200年記念品を販売しているが買い揃えているとキリがない。善楽寺で購入したTシャツを最後にした。

32番禅師峰寺、9時前に到着。


禅師峰寺山門から見た参道

境内に上るとお接待をされている親子がおられた。お子さん2人はまだ小さい。般若心経の最後の部分を真似ている。お遍路さん達が唱えるギャーテーギャーテーが耳についたのだろう。本堂で先に終えられた方と言葉を交わす。「良いお天気ですね。」「天気予報は曇と聞いていたので、こっちに来ました。快晴なら44番に行くつもりだったんですけど、天気はその時になってみないと分かりませんね。」確かにこの時間はまだ好天に恵まれている。


禅師峰寺からの眺め

この寺は桂浜方面と太平洋が一望出来て、とても眺めが良い。大師堂にお詣りの後、先ほどの男性にとても大きな柿とミカン2つお接待に頂いた。
納経所へ向かう途中、定年後に歩いておられるだろう歩きの方がベンチに腰掛けていたので話しかけた。行けるとこまでと言われたが、初遍路で通しだそうだ。今日は12日目ぐらいですか?と訪ねると正解だった。今朝は竹林寺の麓の宿を発ったそうで、土佐市辺りまで行くそうだ。今日まで雨に遭っていないそうだが、明日はいよいよ雨。雨に当たるのも経験である。「お気をつけて。」と別れた。
駐車場には観光バスが2台。途中の道は狭いはずなのに職業とはいえ運転手さんは凄いもんだ。

9時40分、33番雪蹊寺着。狭い駐車場は満杯である。ここの駐車場は隣接の秦神社のものを借りている。街中なので駐車場の確保が難しいと言うことか。


雪蹊寺

歩きだと30番から打ち始めるとこの辺りで2時半から3時頃になる。のんびり歩く人は雪蹊寺門前の高知屋に泊まる。この宿は評判の宿である。
車だとまだ10時手前である。37番岩本寺までは行けそうだ。

10時10分、34番種間寺着。ここは田園地帯にあり駐車場が広々としている。


種間寺入口

初老のご夫婦連れと手水舎で一緒になった。男性の方が柄杓から直接口に水を含んでいたので、手にとって含むよう注意した。「そうですね。」との返答。分かっているならそうすべきと思った。男性は柄杓を洗わずそのまま伏せて去ったので唖然とした。こういう人がたまにいるので柄杓はまず洗ってから使うべきである。

10時45分、35番清滝寺。相変わらずお寺への道路は狭い。土佐文旦の畑を抜けて行く。対向車の度にお互いバックしては離合である。


清滝寺本堂と薬師如来立像

このお寺の境内ではお爺さんが永年、土佐文旦を販売していたがお年を召されたのだろう、もう居られない。

清滝寺を打ち終えて11時半手前とちょっと早いが、36番青龍寺近くだと食事が高いので麓のセルフうどん店”きよたき”に立ち寄った。ぶっかけとかき揚げ、おにぎり1個で500円と安い。岡山だと、もう100円は高いかな。

腹ごしらえも出来たところで青龍寺へ。前を行く車が手前の駐車場へと入って行った。あ~あ、手前は有料なのに。自分は奥の無料駐車場へと進んだ。初遍路には分からないだろうところが嫌らしい。11時50分、清滝寺到着。


青龍寺山門

歩きだろうご夫婦連れが息を弾ませ境内へと上ってこられた。12時過ぎ、納経印を頂き青龍寺をあとにした。

須崎方面へと横浪スカイラインを通る。景色は良いのだがカーブが多くやや単調で疲れる道だ。随分と進んだところに”みっちゃん民宿”がある池ノ浦漁港への降り口がある。青龍寺から結構な距離だ。スカイライン途中には明徳義塾への入口がある。明徳は横浪丘陵の窪地にあり隔絶された場所にある。勉学とスポーツに集中させるためということか。

スカイラインの終点近くを右へと折れると鳴無神社(おとなしじんじゃ)がある。5年ぶりに参詣した。以前はひっそりとした神社であったが、参詣者がポツリポツリとある。
お詣りすると社務所から「パンフレットどうぞ。」と女性から声が掛かる。参詣者が増えたので4年前から第2第4土日は社務所を開けているそうだ。女性は現在の宮司さんの母親だそうだ。神社の御由緒などを教えて頂けた。記録が残っておらず伝承のみで伝えられている。御祭神は一言主神様で大国主命様のご長男、味鉏高彦根神様と同一であるとされる。船で横浪半島の太平洋側に辿り着いたところを里人が見つけ現在地へと誘った。乗った船は神社の裏山に安置した。現在、裏山は禁足地となっている。船を運んだ13人の子孫が夏季大祭で船を出す役目を担っている。
皇太子様の女官が縁結び祈願に来られ、その後すぐにご成婚されたそうだ。縁結びの御神徳がある。タレントのアンミカさんも願掛けをされて結婚されたとか。以前はこの地の氏神様であったが皇太子様の縁結びがネットや口コミで広がり有名になったという。
対岸の浦ノ内地区に遙拝所がある。そちら、つまり海に向かって鳥居が立っており”土佐の宮島”と呼ばれるようになった。大祭の時に神輿が北西にある対岸の御旅所に渡御する。


鳴無神社と御旅所の位置関係


御旅所遠望

社殿は土佐藩2代藩主山内忠義侯が造営した。彫刻は左甚五郎作だと伝えられており、拝殿に甚五郎の乗っていた馬の蹄痕があるそうだ。拝殿・幣殿・本殿とも国の重要文化財に指定されている。本殿の極彩色は昭和53年に塗り直したそうだ。


鳴無神社本殿

お話好きで、そろそろ発とうと思った時、遍路の途中で今日は37番まで行こうと思っていると話すと、奥様は窪川のご出身とのことでまた会話が暫く続いた。30分ぐらい会話していた。しかし、神社の言われなど詳しく教えて頂き大変参考になった。

須崎にある別格5番大善寺へと向かった。途中、須崎市街の新四国曼荼羅霊場第57番観音寺に立ち寄った。


観音寺 本堂(右)と大師堂(左)

歩きの時にもお詣りしたが、納経帳に空きが無く御朱印を頂けなかった。改めてお詣りし、御朱印を頂いた。納経所では小さな番人さんが「ちょっと待って下さい」と大人を呼びに行った。番人さんは可愛いお嬢ちゃんだ。
お若いお坊さん(ご住職か、副住さんか不明)が出てこられた。納経ついでにお寺の呼び名を訊ねた。”かんおんじ”と読むそうだが地元の方は”かんのんじ”と呼んでいるそうだ。通常、観音寺はどの寺院名も”かんおんじ”が正しいそうなのだが、ローマ字表記するとKan-on-ji、続けるとKanonjiとなるが”かのんじ”とはならず、概ねどの土地でも”かんのんじ”と訛ってしまうようだ。観世音菩薩様は”かんぜおんぼさつ”だが、観音様と縮めると通常は”かんのんさま”となり”かんおんさま”とは読まない。つまりは、これと一緒である。
このお寺の御朱印は三度栗である。三度栗の伝承は各地に残っており、この寺にも伝承がある。


三度栗の木

貧しい中でも弘法大師に栗を差し出し、感謝した大師が祈祷し年に三度、栗の実がなるようになったというものだ。

須崎市街を進むと大善寺がある。1時45分着。昔は海に突き出た岬だったようだ。この寺は別名、二ツ石大師と呼ばれる。弘法大師の頃には、大石が二つ立っており海の難所だった。また石鎚山の霊気がここから海に向かっている場所だった。


二ツ石大師

大師は海難者の供養と通行の安全を祈願しお堂を建てた。これがこの寺の縁起である。


大善寺 大師堂(手前)と鐘楼(中央上)

麓に大師堂、丘陵上に本堂がある。


大善寺からの眺め

納経は一旦境内を出て少し歩いた先にある有善会館で頂く。

2時過ぎに大善寺を打ち終えた。37番岩本寺には十分行ける。須崎から窪川まで高速道が延びている。しかも無料なのが有り難い。須崎西ICより乗り終点の四万十町中央ICで下りた。途中、そえみみずの階段が見えた。高速から見ると随分と上っているように感じた。高速道はトンネルが多く久礼坂はさほどの勾配も感じなかった。国道を走ると結構な山登りなのだが。

岩本寺まで高速利用だと40分足らずと早い。2時40分到着。


岩本寺山門

宿坊1階では開創1200年記念行事として奥の院の御本尊矢負い地蔵様の特別拝観が行われていた。間近にお姿を拝むことが出来る。最近、彫られたのか随分と新しい。お地蔵様の前で読経。左手には矢を持たれている。矢負い地蔵の伝承は歩き遍路の際のブログに書いたので、ここでは書かない。
本堂では天井絵に今まで見つけられなかったマリリン・モンローをやっと見つけることが出来た。続いて大師堂(奥の院)を参詣し本日の車遍路終了。

帰路、道の駅あぐり窪川で酒のつまみになりそうな土産を購入。三原村のどぶろくも販売していた。三原村で泊めて頂いた農家民宿風車が醸造している”富喜”もあった。懐かしいが機会があれば次回、三原村で購入しよう。

3時半、道の駅をあとに帰途についた。高知市内の渋滞を避け南国ICまで高速道を利用し再び坂出ICまで国道をひた走った。8時過ぎ帰宅。
やはり、車遍路は点でしかない。途中に花が咲いていようが目配せして通り過ぎるだけだ。

楽しい出会いと無事の帰宅に感謝。
南無大師遍照金剛