池波正太郎の「剣客商売」をたしなむ~波紋の巻~ | 池波正太郎・三大シリーズをたしなむ

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2020年5月に当ブログを開設しました。

現在は「剣客商売」の本編・16巻の読みどころや魅力を紹介する「剣客商売を極める」シリーズを投稿しています。月1投稿ですが、こちらの記事も是非、チェックしてみてください。

池波正太郎の「剣客商売」をたしなむ

~波紋の巻~

 
みなさん、こんにちは。管理人の佐藤有です。
さて、今回紹介する「波紋」は、目黒・碑文谷で襲撃を受けた大治郎の剣客としての試練と、ある浪人を手にかけてしまった異母兄を匿う岩戸の繁蔵の苦悩と、彼の左腕にまつわる因縁を描いた、13巻の表題作です。
 

剣客商売・波紋のあらすじネタバレ

あらすじ1)
まだ暗闇が濃いある日の早朝、秋山大治郎は、江戸の郊外・目黒の碑文谷にある法華寺に住む老剣客・藤野玉右衛門を見舞うべく、父・小兵衛からも頼まれた見舞いの品々を持って片道4里(約15km)歩きの道を歩き始めます。
 
玉右衛門は小兵衛と同年齢で、ちかごろは病気を患っていたものの、大治郎が見舞い伺ったときにはさいわい小康を得ており、法華寺からも世話を受けているそうな。
 
大治郎が法華寺を後にしたのは九ツ半(午後1時)で、新緑の爽やかさが漂う中、目黒不動門前で売られている「桐屋」の黒飴をおはる・三冬の土産に買おうとおもいつき、目黒不動への近道として竹藪と松の木立に挟まれた小道へ入っていきます。
 
その時、何かを察した大治郎はすぐさま片膝をつき、松の木立から一条の矢が走ると同時に、矢が飛んできた方角から2人の男が襲いかかります。
 
身をかがむと同時に太刀の鯉口を切っていた大治郎は、愛刀・越前康継二尺四寸余を引き抜き、襲いかかった1人の太ももを斬りつけます。もう一方は、一瞬の差で大治郎の刀をかわし、刀を正眼に構え直します。
 
襲撃してきた2人は浪人とみえ、裾を端折り、足袋にわらじという出で立ちで、顔には覆面をしていました。また、松林には、弓矢の使い手が潜んでおり、まずは弓矢の方を片付けるべく、松林へ向かうとした時、曲者が大治郎に斬りかかろうとするも、覆面を剥がされてしまい、慌てふためきます。
 
その後、通りかかった百姓の騒ぎを聞きつけ、浪人たちは素早くその場を去っていきます。一方、大治郎は、曲者たちの逃げ足の早さに驚きつつも、まずは桐屋で黒飴を買い、鐘ヶ淵を訪れます。
 
弓まで用意した相手の用意周到さから、曲者は大治郎が目黒・法華寺に向かうことを知っており、大治郎が橋場を出た時から見張っていたと思われます。
 
秋山父子が鐘ヶ淵で酒を酌み交わしていた頃、例の覆面の男は、北品川の旅籠屋「富士田屋」の裏手の桶屋の二階で、ある女性を相手に酒を飲んでいました。
 
大治郎に左半面を斬られたところに包帯を巻いた覆面の男は、関山百太郎といい、年は34,5歳ほど、女からは「百さん」と呼ばれていました。関山は、ある事情から大治郎の命を狙うも失敗に終わり、悔しさを女へぶつけていました。
 
上の階で関山と女が戯れている頃、桶屋の下階では、あるじの七助が静かに酒を飲んでいました。女の奇声にたまりかねた七助は、行燈を消して仕事場の暗闇に紛れながら何かに対する悔しさをにじませていました。
 
そして、一刻後(2時間後)、上の階が静まり返った頃、梯子段をよじ登って二階に上がった七助は、関山と女が寝静まっていることを確認すると、仰向けの態勢で眠る関山の腹部めがけて出刃包丁を突き刺します。
 
関山が絶叫すると同時に、七助は転げ落ちるように梯子段を下り、どこかへ去っていきます。一方、関山は、腹部に刺さった出刃包丁を引き抜くと、太刀を片手に下の階へ下り、仕事場の表口が開いていることに気が付きます。
 
犯人が七助だと分かっていた関山は、刀を杖代わりにして外の様子を伺うも、七助は遠くに逃げ去った後であり、剣術の腕に自信のあった関山は、桶屋の七助の手で殺されることに悔しさをにじませながら絶命し、桶屋の二階では女がおびただしい血痕に悲鳴を上げていました。
 
あらすじ2)
その頃、七助は、四谷・仲町の長屋に暮らす岩戸の繁蔵を訪ねていました。その日は、千駄ヶ谷・松平肥前守の下屋敷の博奕場から帰ってきたばかりだった繁蔵は、すぐさま七助を部屋へ招き入れます。
 
七助は、関山に出刃包丁を突き刺してそのままここに逃走してきたと明かし、何者かに尾行されていないか見張っててほしいと繁蔵に頼みます。
 
実は、七助と繁蔵は、母親違いの兄弟であり、父親は板橋宿の桶屋・初次郎で、七助の母親の死後、後妻として入ったのが繁蔵の母親でした。
 
繁蔵の母親・おみねは、武州・熊谷の宿場女郎から板橋宿の古着屋の女房となった女性でしたが、夫の死後、同じく妻を亡くした初次郎と再婚し、繁蔵を出産しました。しかし、地元の噂では、初次郎と結婚してから繁蔵が生まれるまでの日数が合わないと言われ、その噂が本当だったのか、繁蔵が7歳の時に、おみねは桶屋から出て行ってしまいました。
 
繁蔵の父親について、初次郎も怪しいとみており、おみねがいた頃はそしらぬふりをしていたが、おみねの失踪を機に、繁蔵につらく当たるようになり、何かを庇ってくれていたのが、異母兄・七助でした。
 
その後、父・初次郎が亡くなり、桶屋は七助が継ぐことになり、繁蔵にとっても幸せな日々でした。しかし、兄嫁と折り合いが悪かったことや、繁蔵の博奕の借金が原因で、それら災難は七助にも及び、夜逃げをして一時は駿府城下の桶屋に夫婦で住み込みで働くなど苦労を強いられ、やがて妻も病死してしまいました。
 
それから品川宿に桶屋を構えることが出来た七助でしたが、一人暮らしの身軽さから博奕を打つようになり、それが縁で繁蔵とも再会を果たしました。
 
2人は、一昨年の夏に、芝・高輪の本多家下屋敷の中間部屋の博奕場で会い、繁蔵は家を飛び出してからのいきさつをかたり、左腕を失ったことを語ります。過去の失態から、七助の元へ会いに行くことをためらった繁蔵を想ってか、七助は三月に1度は繁蔵の元を訪ね、酒を酌み交わしていました。
 
そんな中、七助は、千住の宿場女郎・お米を身請けし、女房に迎えたのが昨年の春であったが、繁蔵は自分の母親のいきさつから七助とお米の結婚を心配し、それらは的中してしまいます。
 
始めこそ、もしお米に男が出来て出て行っても、引き留めはしないと豪語していた七助でしたが、まさかお米が男をつれてくるとは思わず、その男こそ七助に殺害された関山百太郎でした。
 
お米によると関山は昔馴染で、法華寺で偶然であったこと、関山には寝床がないから桶屋の2階に寝かせたいとのこと。亭主に有無を言わせず関山を桶屋に連れ込んできたのが今年の正月で、この事実は繁蔵も七助から聞かされていました。
 
一方、七助は、お米と関山の関係を認知しており、このまま桶屋を出て行ってくれることを願っていたものの、2人はすっかり桶屋の2階に居座ってしまい、それが七助の悩みの種となっていました。そして、その日は、顔に怪我を負っていながらお米と酒を酌み交わし、激しく交わり合っていることに、七助の我慢も限界に達し、やっとの想いで関山に包丁を突き刺しました。
 
翌朝、七助に長屋から出ないように言いつけた繁蔵は、ひとまず桶屋の様子をみに品川宿へ向かいます。さいわい、七助の桶屋を一度も訪ねていなかった繁蔵は、何食わぬ顔で桶屋で起きた事件をそれとなく聞き込み、桶屋の主人が女房の間男を殺害したことや、女房の方もどこかに逃げていったことを聞かされます。
 
その後、北品川二丁目の西側にある蕎麦屋「信濃屋」に入った繁蔵は、人込みの多さから諦めて外に出ようとした時、酒を飲んでいる侍の横顔が目に入り、慌てて外に飛び出します。侍と身に覚えのある繁蔵は、しばらく周囲を警戒し、日が暮れてきた頃に四谷・仲町の長屋に戻りました。
 
夕餉を済ませた繁蔵は、内藤新宿に住む傘屋の徳次郎の元を訪ね、昼間に見かけたある侍の居所を報告します。
 
侍の名は、井上権之助といい、江戸に戻ってきたとのこと、身なりは月代を切れにそり上げたきちんとした恰好で、愛宕下の岡部阿波守の屋敷に入っていったとのこと。また、井上は、5年前に繁蔵の左腕を切り落とした人物でもあり、繁蔵の敵でもありました。
 
井上は、元は四谷御門外に屋敷を構える千五百石の大身旗本・織田甲斐守の家来で武芸に秀でた人物でしたが、織田家の用人・大崎某に疎まれており、ついにたまりかねてある夏の夜に大崎用人を斬殺し、屋敷の金五十両を盗んで逃走しました。
 
織田家で起きた事件には、4年前に父親から御用聞きを引き継いだ弥七も捜索にあたり、彼の手先になったばかりの傘徳も井上の行方を探すも、事件から半年後に捜索は打ち切られました。
 
それから1年後、江戸にはいないと思われていた井上は、千駄ヶ谷八幡宮の裏手の百姓家で開かれている博奕場におり、酔いにまかせ暴れていた繁蔵と喧嘩になり、彼の左腕を切り落としました。繁蔵が、井上の正体を知ったのは左腕の傷が癒えた頃で、その後傘徳に拾われ現在に至ります。
 
井上が江戸に居ることを知った傘徳はすぐさま繁蔵を伴って四谷の弥七の元へ報告に訪れます。永山の旦那の死後、弥七は、堀小四郎同心の依頼を受け、今は堀の旦那の直属として働いていました。
 
井上が入っていった岡部阿波守は、小普請組を任された千石の旗本で、町奉行所の関与は限られてしまうものの、ひとまず井上の件は明日にでも堀の旦那の耳にも入れておくことにしました。
 
傘徳も深入りしない程度に井上の動向を追うことになったものの、何も知らない七助は、昼夜問わず外に出る繁蔵を不審に思い始めます。
 
七助を何とかなだめて傘徳と合流した繁蔵でしたが、自分は七助という犯人を匿っており、苦しい立ち位置に追いやられながら、傘徳と共に愛宕下の屋敷を見張り、井上と岡部阿波守の家来と思われる2人が屋敷から出ていくところを待ち構えます。
 
あらすじ3)
一昨日の夜、鐘ヶ淵から帰ってきた大治郎は、法華寺から目黒不動へ向かう道中で出くわした曲者の件について三冬にも話し、田沼家への稽古以外の外出を控えることや、相手方には弓の遣い手がいることから警戒するようにと指示、また、門人たちに心配をかけてはいけないと、この一件は飯田粂太郎たちには伏せることにしました。
 
翌日は、田沼屋敷での稽古日なので、橋場には三冬が残っていましたが、中には1歳の誕生日を迎えようとしている小太郎がいるため、石井戸へ水を汲みにいく間も油断ができませんでした。
 
次の日は、朝から橋場の道場で稽古を付けることとなり、田沼家から武芸に熱心な家来に加え、旗本の子弟や大名家の家来が稽古に励んでいました。また、小兵衛も、曲者の襲撃の一件から大治郎の身を心配し、朝早く起きると浅草・山之宿の駕籠屋「駕籠駒」へ赴き、四谷の弥七へ相談します。
 
夕暮れになり、門人たちが帰った頃、大治郎は下帯ひとつで水浴びをしていました。そして、てぬぐいで身体を拭き始めたその時、松林の中で一条の矢をつがえる覆面の男が大治郎を狙い、その付近には、同じく覆面をした2人の侍が刀を引き抜いて待機していました。
 
同じ頃、愛宕下の岡部屋敷周囲では、傘徳と岩蔵が見張っており、一向に現れない井上権之助にしびれを切らしていました。実は、井上は、朝早く岡部屋敷を出ており、弓矢で大治郎を射抜こうとしていました。そのため、傘徳・岩蔵がどんなに張り付いても、井上が屋敷から出て来るはあずがなく、2人はひとまず四谷の弥七の元へ向かうことにします。
 
一方、四谷・仲町の長屋にいる七助は、これ以上岩蔵に心配をかけたくないとの思いから、前に駿府で働いていた桶屋に行き、ほとぼりが冷めるのを待つと書置きを残し、夕闇が迫る中、菅笠と草履という出で立ちで長屋を後にしました。
 
また、愛宕下に向かった弥七は、傘徳たちと入れ違いになってしまい、あたりを見回した後に四谷の家に戻ります。
 
3人が血眼になって探す井上権之助は、橋場の道場で無防備な姿で水浴びをする大治郎の元へ来ており、松林に身を隠しながら矢を放ちます。同時に、どこから石塊が飛んできて井上のこめかみに的中し、矢は井戸端に身を隠した大治郎の前方斜めに落ちました。
 
三冬から太刀を受けた大治郎は、武器を弓から刀に持ち替えた井上と対峙し、曲者2人は小兵衛が相手をしました。あたりが暗闇に染まりはじめ、得体のしれない剣客の登場に曲者は恐怖を覚えます。
 
一方、井上は小兵衛の石塊を受けて思うように動けず、大治郎によって悶絶させられたところで首筋を打たれ、気絶させられます。また、曲者2人も小兵衛によって捕まります。
 
その日は、弥七の家に向かっていた小兵衛でしたが、あいにく午後になっても帰ってこないため、大治郎の周辺の様子を見るべく、橋場へ向かいました。そして、念のため竹藪から大治郎の道場へ向かったことが幸いし、曲者たちを捕らえることが出来ました。
 
相手が弓遣いと知っていながらあまりにも無謀な行為に呆れつつも、大治郎は曲者をおびき寄せるためにあえて隙をみせていたことや、弓をつがえる気配は察することができたため、万が一、矢が飛んでも井戸端に身を潜めるつもりでいました。また、道場の勝手口には三冬が戸を細目に引いたところから様子をうかがっており、手元には刀を用意していました。
 
曲者3人は、手足を太い木材に縛り付けられた状態で道場の真ん中に転がされ、そのうち1人は骨折による激痛で人相が変わっていたそうな。
 
翌朝、弥七をともなって小兵衛が橋場の道場に訪れると、そこには飯田粂太郎をはじめ田沼家からの門人もきていました。
 
捕まった3人の顔を確認した弥七は、人相書がまわっている井上権之助がいることに驚きます。
 
あらすじ4)
井上を含めた曲者3人は、弥七と田沼家の家来衆によって奉行所へ連行され、取調の結果、大治郎の襲撃を命令した黒幕が、愛宕下に屋敷を構える旗本・岡部阿波守俊光と判明します。
 
大治郎との因縁は、3年前の春にさかのぼり、牛込・早稲田町に住む町医者・横山正元宅からの帰宅途中の出来事でした。
 
裏手の畑道にて、杖をつきながら野菜の入った駕籠を背負う腰の曲がった百姓の老爺をみかけ、その背後から馬を走らせながら通行人に道を開けるようにと横暴を振るう侍を見かけます。
 
歩くのもおぼつかない老爺は、道をあけることもやっとのところで、騎乗する侍は追い越しざまに老爺へ鞭を振るいます。老爺は悲鳴を上げながら転倒してしまい、侍の横暴ぶりに黙っていられなかった大治郎は、侍を追いかけてあぶみにかけた左足を掴みます。
 
侍の身なりはよく、近くの高田の馬場で馬を走らせていたとみえました。一方、侍の方は、大治郎の無礼に怒りをおぼえ、供をしていた家来2人と小者2人に大治郎を斬るように命じます。
 
しかし、侍こと岡部阿波守一行はあっけなく大治郎に倒され、気が付いた時には小者たちは逃げ去っており、道端に倒れ込んだ岡部阿波守と家来衆は通りすがりの人々の嘲笑を浴びる結果となってしました。
 
大治郎は、その時の出来事をすっかり忘れていたようであり、まさか、あの時に注意した相手からこのような仕打ちを受けるとは思っても見ませんでした。
 
その後、この事件は、奉行所から評定所の扱いとなり、岡部阿波守と大治郎も取調を受けることになりました。
 
岡部阿波守が大治郎の襲撃にいたった経緯は、大治郎が目黒で襲撃を受ける5日前、田沼屋敷での稽古帰りの大治郎を、浅草橋御門外で岡部阿波守の家来が見かけていました。彼は、3年前、主君と共に大治郎から制裁を食らわされた1人で、大治郎の居所を掴み、岡部阿波守に報告します。
 
岡部阿波守は、3年前の屈辱を晴らすべく、大治郎への復讐の機会を伺うも、千石の旗本の当主という身分柄、大治郎宅を包囲することもはばかられましたが、岡部家の用人の甥にあたる田村国太郎の提案で、井上権之助に大治郎襲撃を任せることにしました。
 
田村と井上は、品川の妓楼「住吉屋」で知りあい、岡部阿波守は、金百両の支払いを条件に井上に大治郎襲撃を依頼します。
 
そして、井上は仲間2人を引き連れて目黒・碑文谷で大治郎を襲撃するも、1人は太ももを斬られ、もう1人は覆面を剥がされた末、左顔面に浅い傷を負い、後者の人物は、桶屋の七助に殺害された、関山百太郎でした。
 
傘徳によると、関山を殺害した桶屋の主人の件は、お上の方でも深追いはしないこととなり、繁蔵と七助の関係を知らない傘徳は、桶屋の主人の大胆さに感心していました。同時に、繁蔵も、七助のことで肩の荷がおりて安堵するも、それらを悟られないように平静さを装いました。
 
話は、井上権之助の犯行に戻り、目黒での襲撃に失敗した井上は、作戦を練り直すべく、その翌日に関山の住む品川の桶屋に向かうも、関山は七助に殺害された後でした。その後、近くの蕎麦屋で酒を飲んでいたところを偶然入ってきた繁蔵に見られ、今に至りました。
 
一連の事件が解決したのはその年の夏で、岡部阿波守への処罰が検討されていた頃、鐘ヶ淵へ弥七と傘徳・繁蔵が訪れていました。
 
繁蔵と対面を果たした小兵衛は、彼の働きぶりに感心し、彼が手に職を持っていないことを知ると、何か小商いを始めたらよいと言い、それらに必要な資金は小兵衛から出すと申し出ます。
 
その時、鐘ヶ淵の隠宅へ野菜売りの老婆が来ており、台所でおはると世間話をしてました。この老婆は、武州・草加のあたりに住んでおり、年は63,4歳くらい、季節の野菜だけでなく、川魚や泥鰌も持ってきてくれることもありました。
 
普段は無口な老婆は、その日は珍しく昔話をおはるにきかせていました。
 
自分は若い頃に板橋で2度嫁いだものの、最初の亭主とは死に別れ、2度目は板橋宿の桶屋の亭主の後添えに入ったものの、よそで男をつくってしまい、しまには亭主と息子を捨てて夜逃げをしたことのこと。その後は、散々な苦労を強いられたものの、いまは何とか落ち着いたものの、今の亭主は具合が悪いそうな。
 
その頃、居間では、小兵衛から傘徳へ金三十両が渡され、それらを元手に繁蔵に身を固めさせるように託します。
 
このような好意を生まれてはじめて受けた繁蔵は、嬉しさのあまり言葉に出来ずにいたものの、浅野幸右衛門の話を聞き終えた頃には、顔を泪で濡らしていました。
 
ちょうどその時、野菜売りの老婆が小兵衛に挨拶に訪れ、庭先から堤の道を去っていきました。
 
繁蔵は、小兵衛への恩から頭を上げることが出来ず、老婆の顔を見ることはありませんでした。
 
澄んだ青空と松蝉の鳴き声が鐘ヶ淵に漂い、夏はすぐこそまで来ていました。
 
-波紋・終わり-
 

剣客商売・波紋の登場人物

岩戸の繁蔵:傘屋の徳次郎の手先で、博奕場などいかがわしい場所への出入りの多さから、傘徳や弥
        七へ情報提供を行っている。家は、四谷・仲町にある長屋、通称「貧乏横丁」に住んでおり、
        博奕等で生計を立てている。
 
        出自は、板橋宿の桶屋・初次郎と後妻との間に生まれた次男坊とされるも、土地の噂では 
        初次郎の子ではないとの噂も。異母兄・七助とは幼い時から仲が良く、関山百太郎の殺害
        後、自身の元へ逃げ込んできた七助を匿う。
 
七助:品川宿の桶屋の亭主で、繁蔵の異母兄。父親に疎まれていた繁蔵を何かと庇うなど弟思いの性
    格であるが、嫁と弟の折り合いの悪さや、弟の借金のせいで夜逃げし、駿府城下の桶屋で住み込
    みで働いていた時期があった。
 
    その後、品川宿に店を持ち、千住の宿場女郎・お米を身請けし後妻に迎えるも、妻が関山を連れ
    込みはじめ、ついにたまりかねて関山を殺害した。一時は、繁蔵の元へ身を寄せるも、いたたまれ
    なくなり、置き手紙を残し、駿府へ旅立った。
 
関山百太郎:目黒・碑文谷にて大治郎を襲撃した覆面の男で、井上権之助の仲間。七助の妻・お米とは
         ただならぬ関係にあり、お米の手引きによって桶屋に居座るようになるも、大治郎の襲撃
         に失敗した晩に、七助に殺害された。
 
         一刀流の遣い手で、碑文谷での大治郎襲撃時には彼からも相当な遣い手とみられた。ま
         た、関山自身も剣術の腕に自信があったものの、大治郎への敗北に悔しさをにじませ、そ
         れらが七助の我慢を限界にのし上げてしまった。
 
井上権之助:岡部阿波守の依頼で大治郎を襲撃した弓の遣い手。元は、千五百石の大身旗本・織田甲
         斐守の家来であり、弓術・剣術に優れていたが、用人・大崎某に疎まれ、事あるごとに嫌が
         らせを受け、ついにて大橋用人を殺害し、屋敷の金五十両を盗む。
 
         また、岩戸の繁蔵の左腕を切り落とした犯人でもあり、千駄ヶ谷八幡宮の裏手の博奕場で
         争いとなり、脇差で切り落とした。井上が元旗本の家来だったことは、博奕場でも知られて
         おり、繁蔵も左腕の傷が癒えたことに聞かされた。
 
岡部阿波守:愛宕下に屋敷を構える千石の大身旗本で、役目は小普請組の統括。3年前に高田の馬場
         の帰りに、野菜売りの老爺に横暴を振るったところを大治郎に咎められ、その時に受けた
         屈辱を晴らすべく、井上に大治郎の襲撃を依頼した。
 
         しかし、橋場の道場襲撃に失敗し、井上と岡部家の家来2人が捕まったことを受け、事の真
         相が明かされる。一方、大治郎は岡部との一件を忘れており、評定所での取調を受け思い
         出した模様。
 
藤野玉右衛門:小兵衛と同年の剣術遣いで、大治郎とも親交がある。橋場から往復8里のところにある目
          黒・碑文谷の法華寺の裏庭の小屋に住んでおり、病で伏していると聞き、大治郎が見舞
          いに訪れた。法華寺からも世話を受けており、小康を得ている。
 
横山正元:中年の町医者で、牛込・早稲田町に住む中年の町医者で、秋山父子と親交がある。医者であ
       りながら無外流の遣い手で、酒と女も得意、私生活では独身。岡部阿波守との一件が起きる
       前に、大治郎が立ち寄っていた場所。
 

剣客商売・波紋の読みどころ

岩戸の繁蔵の過去
本編に関わる重要人物として取り上げられた岩戸の繁蔵は、若い頃は悪さの限りを尽くし、それが原因で左腕を失った人物でしたが、彼の身の上は「波紋」にてようやく判明しました。岩蔵の出自や兄夫婦が借金取りに追われた経緯はここでは省いて、七助が駿府城下にいた頃の繁蔵の経歴を辿りましょう。
 
繁蔵は、借金取りから逃れるべく、兄から金二両一分を盗んで家出をし、多摩群・岩戸で生き倒れていた所を助けてくれた百姓の娘と結婚し、一時は畑仕事にいそしんでいました。しかし、博奕で身を立ててきた繁蔵にそのような生活は耐え難く、2年後にはその家を出ていき、博奕場で喧嘩となった井上に左腕を切り取られ、現在に至ります。
 
大治郎が生み出した波紋
「波紋」で起きた事件の数々は、1つ1つ見れば接点のないように思え、大治郎の襲撃事件とは無関係のように思えます。しかし、事件を紐解くと、事の発端は、大治郎と岡部阿波守との間に起きたある事件が原因と判明し、過去を含めて複数の事件との関連性を生み出しました。
 
大治郎・岡部阿波守の一件から、目黒・碑文谷の事件に発展し、それらに加担した関山は桶屋七助に殺害され、兄の窮地を救うべく動き出した繁蔵は、偶然入った蕎麦屋で因縁の井上をみかけ、その井上は大治郎襲撃犯として関与していたことが発覚します。
 
大治郎にとっては、特に気にも留めるような出来事ではなかったとしても、岡部阿波守にとっては忘れがたい屈辱を受けた出来事となりました。また、大治郎が放った小さな波紋は、彼とは無関係の場所にも影響を及ぼし、それが繁蔵の因縁の相手や兄・七助へと広がり、井上の仲間・関山が討ち取られる結果となったでしょう。
 
野菜売りの老婆の正体
岡部阿波守との一件後、鐘ヶ淵に野菜を届けに来る老婆が登場し、その正体は岩戸の繁蔵の母親ではないかと思われ、30数年の時を経て、繁蔵母子は思わぬ再会を果たします。
 
繁蔵は、自分を捨てた母親についてどう思っていたのか、母親が女郎上がりだったことからあまり良い感情は持っていないと思われるものの、昔話をおはるに語った老婆は、いまでもよそに男を作り、亭主と息子を捨てて出て行ったことを後悔しているようでした。
 
もし、小兵衛の前で2人が顔を合わせていれば、もう一度母子としてやり直せるはずでしたが、肝心の2人はお互いの素性を知らないまま別れていきました。
 
浅野幸右衛門の遺金が繁蔵の人生を変える
浅野幸右衛門は、6巻・金貸し幸右衛門で登場した高利貸で、巨額の財を成した代償として1人娘を殺害され、自らも命を断つ壮絶な最期を迎えました。
 
彼の巨額の遺金・千五百両(1両10万円=約1億円超)は小兵衛に託され、亡き人の想い尊重し、世のため人のために大切に使われました。
 
時には、小兵衛の巨額の金を狙って盗賊が鐘ヶ淵を襲撃する回もありましたが、幸右衛門の遺金は小兵衛を介して30余名の人々の更生に役立てられ、今回は岩戸の繁蔵が身を固めるための元手として配分されました。
 
生涯、自分が高利貸であったことを疎ましく思っていた幸右衛門でしたが、彼が高利貸で得た遺産は、巡りに巡って岩戸の繁蔵に人の優しさを気づかせる結果となり、同時に、繁蔵に全うな人生を歩ませるきっかけをもたらしました。
 

剣客商売~波紋~まとめ

大治郎への襲撃事件から始まった今回の短編は、1つ1つの事件は無関係に見えながらも以外なところでつながっており、それは水面に浮き出た波紋のように、1つの小さな事件が大きな事件へと発展させたでしょう。
 
さて、次回の剣客商売をたしなむは、剣術道場の主になったことを機に性格が豹変し、道を踏み外してしまった剣客の末路を描いた「剣士変貌」を紹介します。
 
本日も最後まで読んでいただき、ありがとうございましたほっこり