池波正太郎の「剣客商売」をたしなむ~おはる・佐々木三冬の巻~ | 池波正太郎・三大シリーズをたしなむ

池波正太郎・三大シリーズをたしなむ

小説家・池波正太郎の代表作「剣客商売」「鬼平犯科帳」「仕掛人・藤枝梅安」(三大シリーズ)の原作の解説や見どころを紹介しています。
原作小説を題材にしたブログ記事を読めるのは、おそらくここだけです。
時代小説が読めるかっこいい大人を一緒に目指してみませんか。

池波正太郎の「剣客商売」をたしなむ~おはる・佐々木三冬の巻~

 
みなさん、こんにちは。管理人の佐藤有です。
さて、今回は、剣客商売の主人公・秋山親子を陰ながら支える妻、おはると佐々木三冬について紹介します。2人は、当初、小兵衛を巡る恋のライバル(?)のような関係でしたが、結婚後は、おはるが三冬へ家事や針仕事を教えるなど、良好な関係を築いています。
 

剣客商売のおはるを知る

おはる(初登場時20歳)

秋山小兵衛の後妻・おはるは、鐘ヶ淵近くの関屋村の百姓・岩五郎の次女です。本編の2年前に小兵衛宅の下女として雇われたものの、後に小兵衛の手がついたことを機に、関屋村の実家と若先生こと大治郎の許しを得て、1巻・まゆ墨の金ちゃんの回で、祝言を挙げました。
 
年の差40歳
おはるは、義理の息子となった大治郎よりも年下で、夫・小兵衛との年の差は40歳です。そのため、小兵衛とおはるの夫婦関係を知らない者からは、小兵衛の孫娘と認識されることが多く、おはるが妻だと紹介された時には、驚きのあまり腰を抜かした者も。
 
小兵衛専属の女船頭
大川(墨田川)の入り江に面した小兵衛宅には、おはるの舟着き場が設けられており、小兵衛の外出の際には、おはるが操縦する舟で市中に赴きます。また、急ぎの用事の際には、大治郎を乗せることもあり、時には大治郎自ら舟を操ることもあります。
 
おはるの操縦技術は、幼い頃によく遊びに行っていた叔父から手ほどきを受けた成果であり、その腕前は小兵衛をも関心させています。
 
結婚後も「先生」と呼ぶ
小兵衛の祝言は、おはるの希望であり、同い年の女武芸者・佐々木三冬の出現により、以前にも増して祝言を望むようになりました。そして、念願の夫婦になれたものの、おはるは相変わらず夫・小兵衛を「先生」と呼んでいます。
 
一方の小兵衛は、夫婦になったのだから、「お前さん」や「だんなさま」のようにと、自分に対する呼び方を変えるように指示しています。
 
剣客の妻の宿命
剣客は、勝つたびに負けた者の恨みを背負わなければならない宿命であり、それらは剣術遣いの妻にも当てはまります。そして、狂気的な剣客の中には、敵を精神的に追いやるために、わざとその配偶者を襲うこともあります。
 
剣客の妻の宿命は、小兵衛の妻となったおはるも例外ではなく、小兵衛が用事で鐘ヶ淵を留守にする際には、関屋村の実家や、橋場の大治郎道場へ避難させたり、飯田粂太郎を鐘ヶ淵に呼び寄せ、おはるの警護を任せています。
 
そして、おはるの最大の危機と言えば、夕暮れに遭遇した妖怪小雨坊による小兵衛宅の下見と、彼による放火でしょう。放火時、おはるは実家に避難していたため無事でしたが、放火犯があの不気味な妖怪と聞けば、おはるも気が動転したことでしょう。
 
季節の移ろいを演出
「剣客商売」は、主人公たちの何気ない日常も読みどころの1つであり、鐘ヶ淵の秋山宅での場面では、おはるの仕事ぶりから、その物語の季節を知ることができます。
 
例えば、梅雨の晴れ間を利用してたまった洗濯物を洗ったり、たくあん漬けにする大根や柿を軒先に干す、年末の準備に追われ、暇を持て余す小兵衛を外出に促す場面で見られます。
 
おはるの名言
江戸時代の40歳差と言えば、祖父母と孫のような感覚であり、現代でも驚きの年の差婚だったでしょう。しかし、小兵衛・おはるのやり取りからは、40歳差を感じさせない穏やかな夫婦関係を築いています。
 
一方、小兵衛は、難事件には、気難しい顔をしながら黙り込むことがあり、事情を知らないおはるにきつく当たってしまうことがあります。
 
「先生の、ばか・・・」
 
小兵衛の状況を分かっていれば、おはるも余計な一言を言わずに済むものの、事件について一切語ろうとしない小兵衛の姿からは、おはるを巻き込みたくないという想いがあるでしょう。しかし、小兵衛の機嫌が悪い理由を知らないおはるは、ただ涙ぐむしかない一方で、夫の身を案じる妻としての一面も垣間見えるでしょう。
 
さて、以下からは、女武芸者・佐々木三冬を紹介します。
 

剣客商売・佐々木三冬を知る

佐々木三冬(初登場時20歳)
剣客商売・第1話から登場する佐々木三冬は、老中・田沼意次の娘で、生母は、田沼屋敷の侍女・おひろで、三冬を出産後まもなく死亡しています。三冬が誕生した頃、父・田沼は、遠州・相良一万石の大名に取り立てられたばかりだったことや、正室が妾腹の子供を認めようとしませんでした。そのため、三冬は、田沼家の家来・佐々木又右エ門勝正の養女になり、実父・田沼から江戸に呼び戻される14歳まで、遠州で育ちました。
 
同時に、出生の秘密や、これまで実の親と信じ込んでいた佐々木夫妻との関係、実父・田沼の身勝手な行動を知った三冬は、田沼老中への反発をつのらせ、それらが三冬の男装のきっかけとなりました。
 
江戸へ来てからは、田沼屋敷に寄り着かず、母方の実家・書物問屋和泉屋吉右衛門が所有する根岸の寮で生活し、三冬を遠州から江戸に送り届け、老中の支援で江戸に道場を構えた井関忠八郎の元で剣の稽古にいそしみます。
 
三冬は男装の麗人
三冬の男装は、男物の着物だけでなく、成人前の男の子がする髪型に結い上げる姿からも見られます。また、整った顔だちや立ち振る舞い・男言葉から、大治郎からも当初は、男性と勘違いされており(1巻・剣の誓約)、三冬を美少年と讃えたり、三冬の美貌に魅了され想いを寄せる女性も登場しています。
 
剣術がたまらなく好き
「剣は三冬の命」と豪語するほど、三冬にとって剣術は嫌なことを忘れさせてくれる、かけがえのないものです。井関道場時代は、四天王と呼ばれるほどの腕前を持ち、時には門人たちの稽古に当たっていました。しかし、大治郎や他の剣客と異なり、剣客として名を上げたい、道場主として成功したいという欲はなく、井関忠八郎の後継者争いにも消極的でした。結果、井関道場の次期当主は、小兵衛の計らいで三冬に決まったものの、一連の事件を受けて道場は解散しました(1巻・井関道場・四天王)。
 
その後は、市ヶ谷の大道場・金子信任孫十郎の元で稽古を再開し、更なる剣術の向上に励んでいます。
 
井関道場時代はモテていた?
複雑な生い立ちや、田沼老中に対する嫌悪から男嫌いし、自身も男のように振舞う三冬ですが、あからさまに男嫌いをひけらかすことはなく、性別・身分に関係なく平等な態度を示しています。
 
その姿勢は、井関道場でも見られ、道場内では、老中・田沼意次の娘と認知されつつも、身分にものをいわせない誠実な態度や、どんな相手にも公平に稽古をつけることから、門人たちの間では密かに人気を集めていました。一方で、女が剣術を習うことを快く思わない門人もおり、三冬に稽古を付けてもらったことを喜ぶ門人たちへ、冷ややかな目を送ると同時に、三冬の腕前を認めざるをえない複雑な心境を抱いています。
 

結婚相手は、立ち合いで決める

6巻・品川お匙屋敷で、大治郎と三冬の結婚が描かれましたが、三冬の結婚は、田沼老中にとって一番痛い頭痛の種でした。
 
三冬の縁談は、1巻・女武芸者の回で初登場し、この回では、老中・田沼意次の隠し子・三冬の存在や、縁談の条件として自分より強い人を希望していることが明かされました。しかし、縁談相手として挙がった永井右京は、刀を腰に差すと重みでふらついてしまうほどのひ弱な若殿であり、三冬の理想とはかけ離れた人物でした。
 
しかし、三冬と右京の縁談の裏には、息子を老中の娘婿にすることで出世を図ろうと目論む、永井和泉守の策略がありました。そして、息子可愛さのあまり、三冬の両腕を負傷させ、試合に出場できなくさせることで、縁談を成立させようとするも、手下が秋山大治郎に依頼したため作戦は失敗に終わります。
 
また、肝心の息子は、立ち合いに負けたことで、三冬のように恐ろしい女を妻に迎えなくて済んだことに、喜びを隠せずにいました。
 
そして、三冬の2度目の縁談は、5巻・三冬の縁談で登場した大久保兵蔵であり、一度立ち合ったことのある大治郎は、今回ばかりは三冬は勝てないと、半ばあきらめていました。
 
しかし、大治郎の想いを知った小兵衛のお節介や、大久保の悪事が露見したことで縁談は白紙に戻され、三冬の縁談は本人の意思で決めることになりました。
 
そして、秋山大治郎との縁談は、田沼老中からの申し出により成立しましたが、三冬・大治郎にとってお互いの恋を成就させる結果となり、幸せな結婚となりました。
 
恋には不器用
三冬と大治郎の恋模様も「剣客商売」の読みどころですが、最初に相手を意識し始めたのは、三冬の方からでした。3巻・陽炎の男の回で、曲者が敷地内に侵入したことを受け、入浴中の三冬はそのままの姿で曲者に対峙します。その後、我に返った三冬は、人目をはばかることなく、曲者の前に出てしまったことを後悔します。
 
同時に、夢の中で自分に近づいてくる陽炎の男が大治郎だと分かると、自身に芽生えた恋心に戸惑いを隠せず、大治郎の前にぎこちなくなってしまいます。しかし、回を追うごとに自身の恋心を自覚するも、お互いに想いを打ち明けることができず、小兵衛からは「朴念仁」と称されています。
 
小兵衛のことも好きだった?
三冬の理想の男性像は、「自分より強い人」であり、初期は、「女武芸者」の回で窮地を救ってくれた小兵衛に対して想いを寄せるようになり、
おはるの嫉妬を買っていました。そのため、おはるからは、小兵衛を巡る恋のライバルとして認識され、自分が不在時に、小兵衛と三冬が2人で話し込んでいた事実を知ろうものなら、おはるは泣きわめき、小兵衛を困らせていました。
 
しかし、小兵衛とおはるの結婚や、大治郎への想いを自覚してからは、理想の父親像を小兵衛に重ねた三冬の憧れであったことが判明しています。
 
女は難しい?
結婚を機に、本来の姿に戻った三冬でしたが、これまで男装の癖が身体に染みついてしまい、女の振舞いを難しいと感じています。また、髪も若衆髷に結っていたことから、通常の女性より髪が短く、当分は髪を伸ばす必要がありました。そこで、おはるの考案で、髪型は、髪を後ろに垂れ下げ、先を紫ちりめんで包んだ形に仕上げました。当初は、髪が伸びるまでとされていましたが、三冬がすっかり気に入ってしまったことで、その後もおはる考案の髪型を変えることはありませんでした。
 
そして、着物の帯もいくらか細目のものを使用し、60年前の享保の時代を思わせる水木結びが施され、童顔の三冬に良く似合うと紹介されています。
 
一方、妾腹であるものの、老中・田沼意次の娘として育てられた三冬は、大治郎の元に嫁ぐまで料理をしたことがなく、新婚間もない頃は、お米の炊き方はおろか、固い米粒が柔らかいご飯になることすら知りませんでした。しかし、鐘ヶ淵のおはるから、料理や針仕事などの手ほどきを受け、日々精進しています。
 
佐々木三冬の名言
男嫌いの三冬ですが、窮地を救ってくれた小兵衛には、特別な感情を芽生えさせていました。以下は、小兵衛の「男はきらいかね?」という質問に対する三冬の答えです。
 
「きらい」 「秋山先生だけは、別」
 
その後の三冬の振舞いから、小兵衛に対する恋愛感情が示唆されましたが、おはるとは異なり、憧れの要素が強いでしょう。
 

剣客商売~おはる・佐々木三冬まとめ~

登場初期は、60歳の老剣客・秋山小兵衛を巡る恋のライバル(?)関係だったおはると三冬でしたが、大治郎との結婚を機に、気の置けない友人のような関係を築いています。また、お互いを「母上」「三冬さま」と呼び合っては、そう呼ばれることに照れくささをみせています。
 
おはると三冬は、従来の江戸時代の女性像とは少しかけ離れた設定となっていますが、どちらも「剣客商売」には欠かせない、魅力あふれる女性キャラクターです。
 
さて、次回の「剣客商売」をたしなむは、秋山親子を陰ながら支える名脇役と、彼らがメインとなった短編を紹介します。
 
本日も最後まで読んでいただき、ありがとうございましたほっこり