今回は食について少し自分の考えを書いていこうと思う。

 

若いときには本当になにも考えずに食べたいものを食べ、あまり好きでもないものは避けてと実にわがままな食生活をしていたものであった。

 

そんな自分でも最初のきっかけはやはりオーストラリアへ一人ワーキングホリデービザで1年間を超のつくド貧乏生活を送ったことでまず好き嫌いはあまりなくなった。

 

実家ではとくに食に関してうるさく注意されたという記憶もなく、歯磨きですら 朝起きたら歯を磨きなさい!!と言われていたくらいである。

 

このことが後々自分にとっては後悔する習慣となった。

 

なにしろ朝起きて歯を磨いて朝食をとって学校に行って、夜も歯を磨くことをしなかったので小学校から中学校にかけて歯が抜け変わってからもよく歯科医院に通っていたものであった。

 

高校くらいになってから 何かおかしいのではないか?

 

と思い始めて、自分で夜も磨くようにし、朝は朝食後に歯を磨くように変えていった。

 

それからは徐々に歯科医院には通うというほどではなくなったが、出発が悪かったため奥歯は上下ともに詰め物だらけである。

 

親の幼少期は戦前戦中世代であったため、そういった知識を養っておらず、今では総入れ歯となってしまっている。

 

そういった自分の経験からも息子たちには 朝食後、寝る前には歯を磨け!とうるさく言っている。

 

自分のボクシングジム仲間である歯科医院の先生の名言に

 

年をとっても自分の歯で食べることができるほどの贅沢はないであろう!!

 

と言っていたが、本当そう思える。

 

それにはなにが大切かというと、やはり“知識” と思えるか。

 

健康でい続けられるためにもその知識が最も大切かと思えるようになった。

 

食に関して、病気や薬に関して、なにがどうしてこの現状になっているのかを、歴史からも知ることが必須なのかと思える。

 

自分も幼少期を昭和の時代を過ごし、なにも疑問に思わぬままに食べ物をとり、テレビなどを観続けて過ごしてきた。

 

そうして高校のときに進路で悩み始め、やはり自分も兄たちに習って社会のレールに乗ろうと大学を目指し落ちて1年間を宅郎し、翌年に再び全滅。

 

最後には夜間大学を受けようとしたのが、なんと受験日を間違えて受け損なって途方にくれてそのままフリーターもどきになってしまう。

 

そうして最後に海外旅行でもしてから就職でも探しましょうと思い、旅行雑誌を調べ始めると当時はワーキングホリデービザの取れる国がニュージーランドとオーストラリアとカナダの3ヶ国だけに行けるということを知る。

 

今では10ヶ国以上も行けると聞くが、当時1年も外国に行ったら英語も話せるようになって人間も大きくなれるのではなかろうか?と純にも思ったものであった。

 

まぁ、そうして生まれて初めての一人旅をしてみたのが今ではものすごく本当に大きな門出となるキッカケであったと思える。

 

ワーキングホリデー中は楽しいという経験ではなく、常にいつも金がなく追われ続けて働いて終わってしまったのだが、このときにフルーツピッキングにテント生活という当時は苦しかったが得難いいい経験をしたと思えている。

 

今になって改めて あのとき大学に行けないでワーホリで海外に行っておいて本当に良かったと心から思えるようになった。

 

若いときには大学なんかよりも、あちこちの国にワーホリで行って色々なものを見て体験してきた方がずっといい思い出が得られるであろうと思える。

 

ただ、行く前に自分の国の世界で一番長い縄文から続く日本の歴史をよく勉強してから海外に行ったほうがよろしいかなと思える。

 

オーストラリアでは楽しかった!すごくよかった!という経験ではなく、働いて終わり、最後にはタイで女二人組に現金全て(2・3万円分)をスられ、その1週間後にはカード賭博詐欺にあって借金が3倍ほどまでに膨れ上がって成田に放心状態のまま帰ってきた。

 

そうして1週間か10日くらい実家で過ごしたのちには、旅行中に聞いていた車の期間工社員で契約をし、住み込みで半年と少しほどで借金を返し、翌年計画したリベンジ旅行の蓄えもした。

 

ここでも今思い返すと、ある意味ではいい期間であったかとも思える。

 

働ながらももう毎日・毎日・毎日頭の中では チッキショー!! なんだってオレはこんなにここまで運が悪いんだぁー!!なんだって最後の最後の最後にあんなカード詐欺なんかに出会ってしまうんだよー!!

 

ともう頭の中は恨みや愚痴や後悔の念で埋め尽くされていたのが、ある日に本当突然 ”フ!” と

 

あれ?こんな過ぎたことをいつまでも恨んでも悔やんでも今のこの時間が楽しく過ごせなくなって損だよな??

 

そうして

 

よし!!もうこのことは忘れよう!!忘れずに悔やんでも 起きたことは戻らないから忘れよう!!

 

と前向きに考えようとしたことを今でも覚えている。

 

それからはあまりネガティブにものを考えずに なるべくよかった!” とポジティブにものごとを考えられるようになったような気がする。

 

そして今では子どもたちには

 

つかれた~! とか いやだなぁ~!とか だるいなぁ~! とか いやだなぁ~! とか えぇぇーーー!! などなどというネガティブな言葉を使わないように諭している。

 

すると、本当に自分でも驚くほど素直に育ってきていて自分でも驚くほど素直に言うことを聞く子に育ってきている。

 

無論自分の目の前でこれらのような言葉をつかったときには

 

あっ!おまえ そんな言葉をつかってもいいと思っているのかぁ~!!

 

と言いながら、羽交い絞めにしてくすぐりまくるという罰を与えている。

 

なんとなくではあるが、子どもたちも嫌がりながらも楽しんでいるような感じもする。

 

本気で怒ってひっぱたくよりも、こうしてユーモアを交えてわからせるというようなことも必要なのかなと。

 

そして子どもたちにも

 

学校の勉強を一生懸命に勉強しても、昔米国が日本を戦争で負かした後に教育を全部塗り替えて嘘も含んでお前たちに教えているから自分の頭で考えないで ただただ勉強だけしていると騙されるぞ!!

 

知りたければ自分から色々な本を読まないと知ることもないで騙されるぞ!!

 

というように教えている。

 

わざわざ授業料の高い日本人学校に通わせながらも学校の勉強ばかりしていると騙されて今の日本人の大人のようになってしまうぞ!!

 

と教えているので我ながら変なものであるな?と思えてしまっている。

 

ここで述べられていることなども本当に自分でもそう思える。

 

子どもたちが学校なんか行きたくない!!

 

などと口に出したら自分などは本気で 

 

なら行く必要はないよ!!

 

と言えてしまうだろうと思える。

 

実際コロナのためにオンライン授業などで授業を進めるなどという期間のときには次男坊はまだ学校に行ってないときで、長男坊は一時退学をしてダラットにずっと遊びに行っていた。

 

学校には勉強に行かせているという意識は全くなく、ただただまぁ小学校・中学校くらいまでは団体行動や友達なんかも作れればそのほうがいいであろうということで行かせているという程度。

 

高校などは本人次第ではあるが、別に行く必要はないと自分は考えている。

 

 

やはり中学を卒業したらこういったようなところに行って生きてゆく術を学んで行くのが一番よさそうに思えてしまう。

 

 

 

 

こうやって食べ物すらも戦後に日本の昔からの続いていた歴史ある職を奪われて日常の食から計画的に変えられて行ってしまっているということをまずは学ぶ必要があるかと思える。

 

砂糖を使用する甘い食べ物やおかし類、そして戦前にはなかった乳製品類、さらには油物を使用した料理などはなかったということを知ってからは炒め物や揚げ物類などもなるべくは避けるようにしている。

 

それに加えて菓子パンや冷凍食品やインスタント麺などはここ何年も食べたこともない。

 

ベトナムのバイン ミーも数ヶ月に一度くらいである。

 

まぁラーメンくらいは月に一度くらいは口にするが、やはり食べているときには美味しいのだが、食後感の腹の重さがどうにもこちらのフォーとかフーティウなどと比べても明らかに違う。

 

やはり麺が小麦粉だからなのか、野菜類が圧倒的にこちらの麺類と比べても少ないからかとも思える。

 

フォーに香草を好きなだけ入れて食べても最後の食後感は明らかに軽い。

 

こうして多少意識して食を体に入れるようにしていると本当に体の調子が日本で過ごしていたときよりもすごく体調がいいような気がする。

 

毎日毎晩ビールを何リットルも呑んで最後は焼酎で〆て寝ているのだが、体の調子はすこぶるよろしく本当にShika家族は誰も滅多に風邪をひくということはない。

 

本当にこうして食に少し意識して気をつけているだけで、薬要らずに医者いらずで過ごすことができてしまうものだと身をもって感じている。

 

日本にいたときには、なにかいつも将来とか老後とか ”なにかあったら大変だ!!” 云々で心配ばかりして保険に入って年金を払い続けてそうして毎年健康診断に行って病気を見つけてもらって入院して病院に投資する老後の人生を送る人の多いこと。

 

こうして自分で食にも気をつけて、薬要らず医者いらずでなにかあったらもう ”おさらば!!”のほうがずっといいかと思えてしまう。