シーソーバランス | スガ シカオという生き方 ~history of his way~

スガ シカオという生き方 ~history of his way~

1997年デビュー、2011年フリーランスとなった音楽侍スガシカオさんの記録。
本名:菅 止戈男。戈(ほこ)を止める=争いを止めることが「武」の本義であるという孔子の著から取られた名前に込められた思い、それに恥じない生き方の足跡。

CLOVER/スガシカオ

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ROCKIN’ON JAPAN 1997年9月号
スガシカオ ファーストアルバム「Clover」発売前記事

「僕が葛藤してるのを見てヘラヘラ笑ってください」
シニカルでユーモラスでピュアで残酷・・・・突き抜けた変態、スガシカオのエキスが詰まった、しかし驚くほど軽やかな1stアルバム『Clover』完成

スガシカオと言えば、変態・・・もとい、変質部分と正常部分がシーソーのようにバランスを取り合いながら生きている危うい男である。ある時はストーカー、またある時はスワッピング愛好者(誤解のないように全くこんな趣味はないはずです!当時JAPAN誌が一番最初にスガシカオさんに、「変態」という表現を使用しはじめたもの)
・・・過去3枚のシングルを聴いても、そのヤバさは顕著であった。そして、そんな彼の1stアルバムが完成したのである。作詞、作曲、アレンジはもとより、できる楽器は全部自分でこなすという絶倫ぶりを見せつけつつ、3枚のシングルを1つの線で結び、全体をエネルギーに満ちたものに仕上げようととしたという今回・・・先に記した彼の特徴が余すところなく発揮されたのは言うまでもない。

$黄金の言葉  スガ シカオ(菅 止戈男)


-今作っていい意味で、非常に乱暴な、勢いに溢れたアルバムだと思ったんですよ。

スガ「実は、全部で16日で仕上げて・・・1日1曲、これしかないぞって言う中で、一番気持ちがいいものをどんどん使っていった。だからギターひとつとっても、本当は失敗してるとことかいっぱいある。フレーズ1個抜かちゃってるとことかいっぱいあるんですけど(笑)
でも、それもまたよしとして、勢いと解釈していっちゃったんですよね。僕も歳が歳だから冷静に作るのは後からでも出来る、勢いとかエネルギーとかっていうのはデビューの今しか残せないって思ったんです。」

-前回のインタビューで私はスガさんを変態変態と連呼・・・いや、もちろん正常な部分もあり、そのバランスがおもしろかったんですが。今回の1stアルバムでは無茶苦茶情けない部分や可愛いらしい部分等が加えられ、それがかなり愉快かつ爽快だったんですよね。特に“ドキュメント’97”。

スガ「あ、あれはね、僕ね、日本で初だと思ったんですけど、電話の内容をそのまま歌詞にしたっていう。」

-彼女からの電話を待ってる時に友人から電話がかかってきた・・・設定自体は珍しくないんですが、そんな状況を懇切丁寧に友人に説明し、勘違いしちゃうからもうかけてくんなよ~と懇願するスガさんがおり、ここまで情けない内容となると他に類をみない(笑)

スガ「それは、こういうところからきっちり整理しないといかんなというのがまずあって。だから、変態って言うのは題材として比較的取り上げ易いじゃないですか。でも、逆にこういう恥部っていうのは出そうと思ってもなかなか見つからない。下手をするとただ「俺はダメな奴なんだ~」みたいな感じになっちゃうし、そんな歌は誰も聞きたくないと思うんです。でも、自分の中にはそういう部分も変態と同じにあるから、それをどう出すかってなった時、・・・これが出て来て。ただ、この曲は、息継ぎのつもりで作ったんですよ。」

-では、今作で自分でこれが凄い、これ聴いて!という曲というとどれ?

スガ「そんなのないですよ~満足したんなら音楽やめろってことですからね~そりゃ部分的に気に入ってるところはありますよ。ブレイク・ビートのスネアの一発とか。でも音楽とかメロディーとかって正解が見えずらいし・・・とりあえず納得するなんて事は絶対にありえない。僕は何か音楽のレベルを上げること、自分のイメージに近づけることにもの凄い強迫観念があるんですよね。」

-でも、聴く方としてはスネアの一発よりも歌詞やメロディーに感動するもんなんですが。

スガ「聴く方は・・・そうやって僕が葛藤してるのを見てヘラヘラ笑っていただければ(笑)・・・うん、そんな関係性が理想かもしんないです。」

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この雑誌に掲載されていた【第一回 フジロックフェスティバルのエピソード】

1997年、日本初の野外ロック・フェスティバル「フジロックフェスティバル」が山梨県天神山スキー場で開催。それについての記事がこの号に掲載されていますが・・これちょっと興味深いです。
1997年7月26・27日開催の1日目は台風直撃の豪雨に見舞われると言う不運もあったのですが、会場内で雨をしのげる場所も少なく、雨や寒さに対する備えが不十分な参加者が多く体力を奪われて倒れる者が続出。
また、会場へのアクセス道路が1本しかなく、渋滞によって交通は麻痺状態、駅と会場を結ぶ送迎バスも機能せず、数時間にわたり立ち往生を余儀なくされたり、多くの参加者が徒歩で数時間も歩くなど、多くの人々が周辺の私有地に立ち入たりと会場周辺も混乱を極めた。

2日目は朝から晴天となったものの、警察や地元自治体などからフェスの運営にも批判が集中し、これ以上のイベント続行は不可能と判断した運営側が全てのプログラムを中止。
手探りの中で開催された日本初の野外ロック・フェスティバルは現在も語り草になっている程の惨状を呈し多くの課題を残しあえなく崩壊。

現在は、新潟県の苗場スキー場で毎年開催されており、今では、治安も良く、世界一クリーンなフェスとして有名になっていますが、最初はこんな有様でした。
「今回の我々の現実認識は非常に甘かった。夢を実現するには、確かな現実認識が必要とされるのだ。そんな当たり前のロジックとロックがこの日、真正面から衝突し、我々はその様を茫然と見ているしかなかった。」
$黄金の言葉  スガ シカオ(菅 止戈男)