【「1095」スガシカオ】という本のまえがきに寄せられた森川社長の文章は、難解だという「黄金の月」の歌詞の解釈にもふさわしい素晴らしい言葉だと思います。
スガシカオ所属事務所
オフィスオーガスタ社長 森川欣信
僕がスガに出逢ってしばらく経ったある日。彼はこんな事を言ったような気がする。
「振り返ると僕の思い出の風景の中には、いつも黄金の月があるんです。」
幼い日、何らかの出来事がきっかけで心にその月は宿ったのだろうか。あるいは、まったく見過ごしていた月が、あの頃想像していた「未来の象徴」としてある日突然甦ったのかもしれない。
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10代の頃の僕はよく不貞腐れて言ったものだ。「大人にはわからない」と。下北沢のオデオン座の暗闇で見たスクリーンの中のビートルズ。あの、歌うたびにまやかしのように揺れるブルネットのマッシュルーム・カットにひどく憧れた。いつの日か髪を伸ばしギターを手に入れ、ロックスターになろう・・・・そんな無謀な夢を仲間と語り合った。そんな僕の、僕らの夢を大人達は当然理解してくれるはずもない。それどころか人生のベクトル自体を無理矢理ねじまげようと、何もかも頭ごなしに否定した。型にはめこもうとした。
僕はそんな大人が大嫌いだった。僕もいつかはあんなわからずやの大人になるのだろうか?ドブネズミ色の背広を着て子供達に説教をのたまうのだろうか!そんな事を考えるたび、僕は自分の成長を止めたいと思った。いつか10代でなくなる日が来る事に恐怖した。
あれから何十年経ったのだろう。僕は現在、粉うかたない「大人」の年齢になった。ロック・スターにはなれなかったが、音楽にかこまれて暮らしている。つまり「あの頃の未来」にちょっとだけ似た「未来」に辛くも立っているのだ。
年齢的に大人である僕は、幸か不幸か若い連中の考えすべてを生ぬるいたわごとなどとは思わない。むしろインスパイアされる時すらある。しかし、スガの「黄金の月」を初めて聴かされた時、僕はなんだか自分が責められているような気分に陥ってしまった事を覚えている。
少年の日の心をあのままの形で維持してきたつもりが、いつのまにか僕もまた、あのはしゃいだ真夏の午後を通り過ぎ、あたり前のように身近にあった大事なものをどこかに置き忘れて来てしまった。
「純粋」は少しずつ僕との距離を広げつつあった。
僕は自分がずっと否定してきた“あんな大人”ってやつに、実はなってしまったのだ。僕の心の「黄金の月」は消えうせてしまったのだ・・・そんなふうに言い当てられたまま終わるような気がして、歌詞の結末を聴く事を本気で恐れた。
だが、「夜空に光る黄金の月などなくても」と締めくくられるフレーズは、そんな僕にとっては救いだった。
そうなのだ、過去に失くして来たものや、あるいはこれから望んでいるものが暗雲に閉ざされ、その道さえ見失ったとしても、僕はやり続ければよいのだ。やり続けるしかないのだ。
これからもきっともっと失敗を積み重ねて行くのだろう。
そしてまたいつかの未来で同じように嘆き、後悔し、それでも人生を続けて行こうとするのだろう。そう、歩みさえ止めなければ僕は僕に許されるに違いない。」
黄金の月 MVの撮影地は神奈川県横須賀市猿島。
ちなみに猿島は仮面ライダーのショッカーのアジトがあるとされていた場所でもあります。