GB(ギターブック)2001年4月号
history of his way Vol.11「1997年スガシカオデビューの年」
―レコード会社が決まるまでって、けっこう大変だったんですよね。
スガ「かなり苦戦してたねぇ。まず年齢で断られてたな。結局13社断られて今のレコード会社だけだったもん、出してもいいよって言ってくれたのは。でも、俺はその頃って、例の習志野の家にこもって黙々と曲を作る毎日で。“ドキドキしちゃう”とかその頃の曲だしね。」
―「ヒットチャートをかけぬけろ」や「黄金の月」もその頃ですか?
スガ「“ヒットチャート・・”はデビュー直前。“黄金の月”はデビュー1ヶ月後くらい。1stアルバムまでの曲は、シングルのカップリング曲も含めて、ほとんどその頃一人でつくってた。今でこそキーボードは森俊之さんがやってくれてるけど、森さんくらいのものを自分で弾くと1週間とかかかっちゃうから。だからせっせと作ってた(笑)」
―すでにある曲だけでは足りなかった?
スガ「作ってあるものを全部出すのはイヤだったんで。旬のものも出したいじゃない。それでいっぱい作ってたんだよね。で、そうこうするうちに、クローバー商会っていうスタジオを都内に作って。機材一式そこに移して、習志野まで行ったり来たりしなくてよくなったっていう。」
―デビュー前から、プライベートスタジオがあるってすごいですね。
スガ「つったって、マンションの一室だよ。防音装置もないし。」
―大きな音を出さないようにしてるとか?
スガ「出してる、出してる。ガンガン歌ったりしてたもん。でも苦情も来ないから・・いいことにしてた。「ヒットチャート・・」も「サービス・クーポン」も歌はそこで録ってるから。しかも、“イジメテミタイ”は杏子さんをゲストに呼んでるじゃない。あんなキャリアの長い人を、あんな汚ね~マンションに連れてきて歌わしちゃって(笑)
“ストーリー”までの歌入れは、ほとんどそこで録ってたんだよね。でもストーリーで、大失敗こいてさ。それ以来、歌はあそこじゃ録ってないんだ。」
―大失敗?
スガ「あそこで録って聞いていいと思ったものをトラックダウンの時に改めて聞いたら、ひっどい歌だったの。バックと歌の関係が、シビアになって来てたの。前はバックの音にのっかった歌でよかったんだけど、それじゃすまなくなってて。それに気づいてないような環境で、歌ったり聴いたりしてたからまったくダメな歌でさ。」
GB(ギターブック)2001年4月号
history of his way Vol.11の記事に添えられていた「SHIKAO’s NOW SPECIAL」コーナー
南北に長い日本列島は、冬のツアーには厄介ごとがつきもの。問題は雪。スガシカオ一行も、今回はかなり激しく雪にヤラレていた模様であります。
「ヒドイめにあいましたね。まず金沢の空港で7時間待たされ。仙台~札幌に至っては、結局、飛行機が飛ばず。電車移動に切り替えて、9時間半もかかってたどり着いたという。
それもこれもたぶんマネージャーのせい。雨男なんだよ。
何かやろうとすると、すぐ、雨とか雪を降らすわけ。一緒にいるから俺が雨男だと思われちゃうんだけど、どう考えてもあっちなんだよね。
俺が大人しく家にいても、マネージャーがドライブ行く、バーベキューやるっていうと、ドバーっと降るからさ。
大事なロケんときは、本気で置いていくことを考えないと・・と思う今日この頃(笑)」