![$スガ シカオという生き方 ~history of his way~](https://stat.ameba.jp/user_images/20121003/15/shikaorespect/5a/29/j/t01000100_0100010012218456640.jpg?caw=800)
黄金の月
1997.5.28発売
・SWEET BABY,Half
・黄金の月
・これからむかえにいくよ
タイトル曲が2曲目に収録されており、しかも1曲目のSWEET BABYからメドレーで2曲目の「黄金の月」に入っていく形をとっています。
1曲目の『SWEET BABY』はHalf Size。アルバム『Clover』に収録されている『SWEET BABY』がFull Sizeと言う珍しい形のシングルとなっています。
ちなみにこの『SWEET BABY』はHalf SizeはNHK-BS「真夜中の王国」のオープニングテーマに起用。
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GB(ギターブック)2001年4月号 history of his way Vol.11
「1997年スガシカオデビューの年」より
―デビュー曲なんですが、あの曲に決めたのはスガさんですか?
スガ「いや、うちの森川社長とディレクターがモメつつ決めた(笑)“サービス・クーポン”とか“SWEET BABY”とかって話も出てたし。トゲのあるオリジナリティの強い曲がいいのか、わかりやすいのがいいのか、そこでけっこうモメて。結局わかりやすいのになったんだよね。
でも、2枚目の“黄金の月”は俺がゴリ押しでシングルにしたの。歌詞が難解すぎるし、サビがどこかわからないって理由で反対されたんだけど。」
―しかも、冒険ですよねあの入れ方は。
スガ「そうそう、タイトル曲なのに2曲目っていう。(笑)あの形式がカッコよかったんですよ。“SWEET BABY"からメドレーで“黄金の月”に入って行く形が、だからシングルでは半分だけど、アルバムにはフルバージョンで入ってるっていう。」
―しかし、“黄金の月”は本当にいい曲ですね、何度聴いてもそう思う。
スガ「曲を作ってる時にそう思う時があるのよ。これはライブとかで肝になる曲だなって。でも、アルバムの1曲じゃ、そうはならないから、より多くの人に届くような位置に持ってこないとダメな曲だったんだよ、この曲は。
だから周りの反対を押し切ってでも、シングルにしないとって、そう思ったのはこれと“あまい果実”なんだけど。
ただ、“黄金の月”もチャートインしたのは、2ヶ月くらいたってからでしたね。“ドキドキしちゃう”は98位で一瞬で消えた(笑)
なのに『Clover』がいきなり10位でしょ。もうみんなビックシしちゃって、何が起こったんだーーーって感じだったよね。
そしたらレコード会社が『Clover』が売れてるうちに、もう一押ししたいから“愛について”を出したいって言ってきて。
リスナーがアルバムを消化する前に次の曲を出すのイヤだったのね。こんな良い曲をこんな時期に出したくなったんだよ。本当なら、2nd アルバムの前とか。ここぞって時に出したかったのよ。
だってこんな良い曲二度と書けないと思うから。だから今でもこの件で責めんの、チクチクとイジめたりしてるという(笑)」
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2007年ラジオ番組にて
スガシカオ
「この曲は一番最初に作ったときはねぇ、もうちょっと明るい曲だったんですよ。
で、テンポももう少し速くて仮タイトルがね「ドリカム」……っていうタイトルだったんですね。ホント、ドリカムが歌いそうなメロディだった。
それが、作っていく過程でどんどんテンポが落ち、ダークな要素がどんどん入ってきて。
歌詞も歌詞ですから「あまり明るい要素は要らないな」ということで変わってきて最終的にこういうアレンジとこういう曲になったんですね 。
この頃は、僕が自分で全部アレンジもやって。レコーディングもね、エンジニアの人と二人だ けでずっと全部やって。とにかく、マンションの一室でスタジオも取らずにずーっとそこでレコー ディングをしてたんですね。だからレコーディングの歌の中に〈密室感〉がすごくあると思うんです ね。
それはねぇ、レコーディングをした環境にすごく起因しているんじゃないかなと思いますね。
歌詞はねぇ、ともかく僕はこの頃ムズカしく考えすぎちゃってたきらいがありまして。すごく“技巧 的”な歌詞ですよね?
“こっからここまでは言うけど、こっからここまでは想像して考えてね”って。
「ナントカではない」っていう〈否定〉文があったら その〈否定〉文を〈否定〉するからそれを〈肯定〉と取ってねっていうような歌詞の書き方なんですね。
だからこれ、最初に歌詞を書いたときに、当時のディレクターとウ チの事務所の社長にですねぇ、あまりに歌詞が難解すぎるのでシングルにするのはダメだっていう風にいわれたんですけど、でも僕的にはやっぱりこういったテイストの曲って日本にはまだなかったので、「絶対シングルがいい!」と言って、無理やりシングルにしたという経緯があります。」