制作会社勤務② | スガ シカオという生き方 ~history of his way~

スガ シカオという生き方 ~history of his way~

1997年デビュー、2011年フリーランスとなった音楽侍スガシカオさんの記録。
本名:菅 止戈男。戈(ほこ)を止める=争いを止めることが「武」の本義であるという孔子の著から取られた名前に込められた思い、それに恥じない生き方の足跡。

スガシカオ history of his way vol.8
(1991-1995就職活動~社会人時代)② GB(ギターブック)2001年1月号

$スガ シカオという生き方

「川越の仕事が終わった頃、今度は競馬場のライトアップとかデコレーションとかの仕事が決まったんだよ。これは長かった、2年以上やってたな。
で、競馬場の仕事するのに競馬も知らんのじゃあかんだろっって馬主の方が中央競馬に連れて行ってくれて、貴賓室みたいなところに入れてくれたんだよ。馬券の買い方も分からないから競馬新聞見ながら適当に買ったら、それ次のレースの表だったの(笑)
でも、ビギナーズラック?万馬券が当ったんだよ!(笑)
《この頃の経験から「競馬は悔しさを買いに行くものなんだよ。」と、後に、仰ってました。》

同じ制作会社でもうちの部署は特にいろんな事するのが多かったね。企画を立てて通したものも多かったけど、ボツになったのも多かったね。
特に自分で惚れ惚れするような企画に限ってボツになるんだよ。子供の科学館のリニューアル企画の時は凄く画期的だったけど、ギリギリの所でボツになったんだよ。
でもあとでそこ行ったら、えええっ~これ俺のアイデアじゃないの?みたいな事やってたりすんだよ。そんなのも多かったなぁ。

俺の企画で、国立病院のクリスマスツリーとか3年間ずっとやってたんだ。でも、国立病院だからスポンサーをつけられないから、お医者さん、看護師さん、患者さんの寄付金だけでやんなきゃいかないからかなり厳しいわけ、色々やりくりするんだけど制作会社からは、ものすごく責められるんだよ利益がないからさ。
でも、みんな楽しみにしてくれてたら・・まぁ、俺はそういう圧力には、結構耐えられるから、のらりくらりとかわしてたんだけど。俺が会社辞めた後はそんな圧力に絶えられるやつがいなくて、なくなっちゃったみたい。

死ぬかと思うほど忙しかったなぁ。俺、仕事結構出来たんだよ、仕事自体も面白かったし。残業月に260時間だとかだもん。
ほとんど家にも帰ってない、会社の簡易宿泊所みたいなとこでシャワー浴びて寝て・・みたいな生活だった。プライベートなんか全然なかった。彼女もいなかったし・・いてもデートなんか出来るような状態じゃなかった。
むしろいなくてよかった?ほっとけ!(笑)

学生の時からずっとバイトしてたし、せっかちだからかな?ぼーっとして過ごすのも苦手だし。だからなんかいっつもヒドイ目にあってるような気がするなぁ(笑)」
$スガ シカオという生き方


(このクリスマスツリー企画の詳しいお話は初期のブログに掲載されていました。)

企画会社のサラリーマンだった頃、毎年国立の某病院のクリスマスツリーイベントをやっていました。

30メートル位の木をライトアップやら、電飾やらで飾り付けて地元の高校生に賛美歌を歌いにきてもらうイベントなんで、演出に使う音楽も僕がセレクションしていたのですが、ジャクソン5とかサッチモとかチャックブラウンとか、やたらとマニアックな選曲が一部の患者さんに大ウケでした。

針葉樹というのは、色的に光を吸収しライトアップの効果が半減するので、枝にビーチボールを沢山取り付けてそれに照明を当てるのですが、ただぶら下げてもしょうがないっつーことで、患者さんに毎年願いごとをそのビーチボールにかいてもらっていたんです。

産婦人科や、外科なんかは『元気な赤ちゃんが生まれますように』とか『退院したら、ラーメン死ぬ程くいたい!』 とか、比較的微笑ましいものが多いのですが、たまらないのは小児病棟のやつでした。
「来年こそは、お家でケーキがたべられますように・・・ 」

ぼくは上空30メートルまで、クレーンで登って一人でビーチボールをくくりつけるのですが、ひとつひとつ読みながらつけるんですね。

小児病棟は重い患者さんがおおくて、 このイベントを毎年凄く楽しみにしていたらしいです。見れずに亡くなった方もいらっしゃいましたし・・。

だから、このイベントは続けたかったのですが、予算がどうしてもでなくて、最後の一年は自腹切ってもなお赤字になってしまいました。

ぼくが会社をやめてから、この赤 字仕事は引き継げる人がいないため、なくなってしまったようです。

この仕事だけが今でも中途半端に記憶の中でしこりになって残っています。

そんなこともあって、クリスマス&イブには自慢じゃないが1回もデートなんぞしたこともないのです。

(ちなみにこの国立病院は2002年に別の小児病院と統合され医療センターに変わり、2010年には独立行政法人へと改称されています。)