ストレスに気づく日 | 長めの呟き

長めの呟き

読むだけ無駄。

肌にも口内にも胃袋にも、なにか不安を覚える近所のクリニックに通っているが、よくわからず、

胃カメラを飲むかCTスキャンを受けるか、どうしたものかと症状で病気を検索して出てくるのは

自律神経失調症、はてさて、今の今までともう20年以上同じ生活をしているのになぜだろうか。

体調が悪くなると、気も弱くなって要らぬ不安を自ら想像してしまう。

 

ただただ加齢による、老化現象ですら過剰に死を意識してしまうほど、その時の私は精神をやられていた。

が、数日ほどして、体調が急激に改善して、今こうして文字を打っている次第で。

思い返してみれば人生で何度もこういう経験をしていることを思い出す。

その時もいかにして対処しただろうか。

 

だが、記憶の限り何かした覚えもなく、人生にはそういう波があるだけなのだと思っていた。

しかし、それも数年以上前で今やネットで症状を書けばいくらでも答えが出るはずと思い

いろいろと検索結果の答えを複合して俯瞰してみて、客観的に思案してみた

という感じでカッコつけてみたのだが、ただのストレスであった。どう考えても間違いなくストレスであった。

 

もう物心つくときにはストレスという言葉も、病気の元であると知っていたのに

この齢にして、ついに気づく次第である。馬鹿である。

風邪をひいているのに、風邪にきずかないバカな私は、また同じことを繰り返していた。

 

何せ今現在仕事も休止、家でだーい好きなゲームをして、コメと肉食って風呂入って糞して寝るだけのニートですから

ストレスなんてあるわけがない。あるはずがない。あるわきゃねーだろ。ただの自律神経の乱れだな。これで解決。

 

と思っていた。

が、気づくのである。ストレスとは精神的なものだけはなく肉体的なものもある、何かに集中して脳を興奮状態にし続ければ、

体にはストレスになるのである、そしてそれは私が幼少よりし続ける、ゲームそのものであると気づいたのだ。

手足や脇の発汗や、ストレスにより胃腸の不調も、思い当たることばかり。

そもそも楽しむ目的では遊んでいなくなって何年たつだろうか。

人生を使ってそれをしているのに。それがストレスになっているとはなかなか受け入れがたいが、これが答えであることは理解してしまった。

ゲームしているのにゲームでストレスって・・・・・・

 

ほどなく、部屋にこもらず、ふらふら外を歩く、散歩かもしれないが、放浪でもあるし、ゲームからの逃走でもあった。

多分またやるけど、いまはいい。体調は戻したい。

少し前まで不安から孤独感も強く、日の出ている時間を歩くのも久々だった。

 

外には多くの人が歩いていた。常に人とすれ違い、誰かの声がした。

部屋の中では聞こえない音だ、こんな音は毎日私が地蔵のごとく居た場所から数十メートルの場所でしかない。

車の音、雨の音、自分の足音すら、部屋では聞かなくなっていると、弱っている人間には孤独を感じる。

もし何かが原因で、部屋で孤独死するかもしれない。そう思っていたが、今はどんなに孤独に生きようが、

誰かが死体を見つけてくれることは知っている、毎日飯を食う時だって、金を使う、金を使うってことは人とかかわる事だ。

 

人は一人では生きてはいけないというが、

今日、どこか誰かもしれない人がそこにいるという音だけで

人は孤独にはなれない。ということに気づいた。

 

歩けば音がして、誰かの視界に入れば見られる、これ読む誰か知らないあなたも、

私と一方的な赤の他人という関係を持っているのです