この年末年始の出雲バトンでは
恋愛、異性との別れの経験に触れていた方々がいました。
私が付き合っていた人はダメ男だったのですか?
どうしたら、ダメ男がわかりますか?
自分が幸せにできる人はどうしたらわかりますか?
どれも私の中からは出てくることのない質問だったので
なんだか新鮮でした。
私は誰かを幸せにしようなんて
そんな前向きで積極的なことを思えたことがなくて。
「自分が幸せにできる人はどうしたらわかりますか?」
について
そらさんはこう言っていました。
それはそもそも相手が決めることだと。
幸せにできる人を探すのではなくて
相手が幸せになろうとしたときに関われるかどうかだと。
「見る目を養うこと」については
条件や個性で人を見極めるわけではないし
相手は何を求めているのか
その先には、相手は何を幸せだと信じているのか
その幸せのヴィジョンを自分も持てるのだろうか。
と、問いかけ続けること。
付き合って別れたときには
別れがあるのではなくて
「相手が幸せを選んだということ」
違う幸せを選んだということでしかなくて
本当は幸せに向けて進んでいるはずだということ。
関わりが続かなかなくなった相手とは失敗だったわけではなくて
本当はそれがお互いにとっての幸せだということ。
でも、世間では
関係性が続かなくなったことが失敗という経験になっていて
またゼロからのスタートに戻るように捉えてしまうのです。
その考え方では、残念ですが
人生が失敗の連続にしかなり得ません…
いくら「いい経験をした」と
自分に折り合いをつけようとしても
『いい経験』と表現するその真意は
同じことを繰り返さないために経験した失敗談という位置づけなのですから。
その経験した別れ自体はよくない経験だと思っているのに
『いい経験』と言うってなんだか皮肉ですよね。
『失敗』と《人生にとっての経験》は別物。
そこが…
バトンで深めていないと、なかなか理解しがたいかもしれませんが
それが
ネガティブは存在しないということだったりもします。
でも、世の中は
ポジティブが前提にあって
ネガティブなことが起こったら
ポジティブなことで
ネガティブなことを打ち消す方法しか存在していない。
離婚するとき
子供がいなかったからまだよかったと解釈したり、慰謝料もらうから とか
という考え方は
わかりやすい例かもしれませんね。
でも本当は、その人の中で
ゼロに戻ってしまっているだけで
人生は進んでいません。
韓国ドラマの中で
壮絶な人生を生きた敏腕脳外科医の最後の台詞を思い出します。
記憶は思い出したければ 思い出せるものだ
だが
消したくても消せない記憶もある
生きるということは
消したい記憶を作らぬよう
幸せな記憶を重ねる努力をすることかもしれない
身近な人であればあるほど
傷ついたは跡は
長い間消えずに残るものだ
だが
消すことのできないその傷もまた
人によって癒される
誰もが多かれ少なかれ
幸せな記憶を糧に生きていくんだ
人を救うことができるのは
人だけだから
なんだかとっても切ない終わり方な気がして
そんなふうに折り合いをつけて
そんな世界の見方を
もうやめにしたくはありませんか?
傷って、消そうとするものではなくて
shiho
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