はじめに
 
一般的に自己紹介というと
自分の情報を伝えます。
 
それは例えば、
どこに住んでいるとか、家族構成とか
好き嫌いとか、職業とか肩書きとか
これまでにどんな成果をあげてきたのか…とか。
 
ですが、
ここに伝えることは
私はどんな人なのか?という
条件や結果ではない私自身です。
 

 

 

東京の中でも目の前に自然がある環境で育った私は

 

日が沈むまで家の外の世界で毎日遊んでいました。
 
小学校も徒歩1分のところにあって
記憶に残っている思い出といえば
1年生の夏休みの炎天下、
毎日逆上がりの練習に行ったこと
毎年秋には、
学校外の畑で育てたサツマイモの芋掘りに行って
家の目の前にあった山から枯れ葉を集めて
学校の校庭で焼きイモ大会をしたこと。
 
マムシ退治に行くとう父について行って
田んぼでアオダイショウをつかんでいたこともあった。
そんな父は
幼少期の私の髪にホットカーラーを巻いて
ドライヤーでヘアセットしてくれたりしていました。
父が見るもの、行くところには
いつも着いていく私でした。
 
家にいる時は
可能な限りアニメをテレビで見るのが好きでした。
色鮮やかで主人公は愛らしくいつもハッピーエンドで
終わりの歌には
いつもどこかもの悲しさを感じていたような。
その主題歌を外で遊びながらよく歌っていました。
両親に主導権のある番組を一緒に見ていた中では
「サウンド・オブ・ミュージック」という映画がお気に入りでした。
日曜日の朝はテレビを見れなくて
でもそのサウンドトラックのアルバムがよくかかっていました。
 
人と違っていたり目立つことがいつも嫌で
ずっと普通で標準内でいたいと思っていたけれど
私についてくる結果は
私自身が求めたわけではないものが多かったように思います。
 
通信簿はよかったと思うけれど
いい評価の科目であっても
その評価に値する自分はその中にはいないように
ずっと感じてきた気がしています。
 
その感覚は
大人になってからも続いていて
何をやっても出来ている感じがしない一方で
「この業界はこんな感じなのね」 としている自分がいました。
だからずっと
どんな職業にも興味が持てずに
仕事は生活のためのものでしかありませんでした。
 
様々な部署を経験した上場企業を辞めてから
カウンセラーをすることになりましたが
縁があって私を採用してくださった方々は
「カウンセラーは資格じゃない」 と
なぜだか同じようにそのような考えをお持ちで
何も資格がなかった私ですが
人と向き合う経験を6年以上にわたって積んでいくことができました。
 
大人になるとアニメは見なくなったけれども
なぜだかたくさんの夢を見るようになって
それが一般的に心理分析で語られているような
ネガティブでトラウマ的なものではないことがほとんどで
それはとても心地のよい印象のものが多くて
私が見たい世界は、
この現実の世の中にはないのではないか… と
 
そうして実社会を見ていくうちに
世の中にも、
何もできてない自分にも
いつしか絶望するしかありませんでした。
 
けれども、それは
《本当の世界》の見方を私が知らなかっただけでした。
 
 
絵画の中で私が好きなのは肖像画でした。
 
それは人を感じるからなのだと気づきました。
被写体になっている人だけではなくて
そこには見えていない
描き手の想いを強く感じていたからではないかと。
写真では一瞬で残すことができるけれども
描くというのは、どれだけの想いの結晶だったことか。
 
そうした美しい軌跡を見るのは好きだったのに
私の中には
いつも生きている現実の生身の人が存在してはいませんでした。
 
クリニックでカウンセラーをしていて
どれだけの人に向き合っても
本当の自分を見失って麻痺させていないと
生きていけない世の中だと思っていたから。
 
肉体はあっても、
本当の意味で
人間として生きてはいなかったのだと思います。
 
自分の人生の中に奇跡を見ることを
いつしかあきらめていったから。
 
 
そんな私に生きる希望を与えてくれたのは
 
「まだ見ていない世界があるから
 人生を終わるのは、それを見てからでもいいんじゃない?」
 
と、私と同じように
絶望の淵にいた方へかけられていた言葉を聞いた時でした。
 
 
 
パンドラの箱
 
パンドラは、《すべての贈り物》という意味で
ギリシャ神話に登場する人類最初の女性とされる
 
そもそも女性がつくられたことそのものが
男性を悩ますもの(災い)となり
美しい彼女は天界から
けして開けてはいけないとされている箱(壺)を授けられます。
けれども、
それを開けてしまうのが人というもので。
その中から種々の災いとされるものが飛び出してしまった。
それがこの世の中にあるのだけれども
彼女の持つ箱の中に残っているのは《希望》でした。
 
 
特別な目標を持てずに生きてきた私の
志ってなんだろう… と見つめた時に
 
生きるとは、希望を持ち続けること
 
そのためにも
生まれてきた意味を知って
生まれてきて本当によかったと実感すること
 
1人でも多くの人が
どうかすべての瞬間と
これからの未来に
そうした実感を持ち続けていられますように
 
そんな祈りの中
 
人生の軌跡に
奇跡を確かめたくて
 
願わくは
これからの人生を
あなたと共に
 
shiho