みなさま、おはようございます。
今日は10月3日。
ドイツでは、大切な祝日。
「ドイツ統一の日」です。
今から22年前の1990年10月3日午前0時。
高々しく国歌が響く中、ベルリン旧帝国議会議事堂前に「統一ドイツの旗」が掲げられ、東ドイツ/西ドイツの分断は克服されました。
ひとつになった ドイツ。
そもそも、東ドイツ/西ドイツを隔てていた「ベルリンの壁」ってどんなもの。
何となくは分かるけれど、いまいち全体像がつかめない。
ここで少しまとめてみます。
■ベルリンの壁とは・・・
ドイツは第二次世界大戦後、連合軍(イギリス、フランス、アメリカ、ソ連)の共同統治下に置かれます。
このうちのソ連占領地域がドイツ民主共和国(東ドイツ)、それ以外がドイツ連邦共和国(西ドイツ)になります。
ドイツ北東部を占領していたソ連。
つまり、北東部にあるベルリンは「東ドイツ(ドイツ民主共和国)」側です。
ベルリンはドイツの首都。
重要な都市 という意味で、ドイツ全体とは別にベルリン内部を上記4カ国で分割占領します。
そのソ連占領地域が東ベルリンです。
ということは、ベルリンの中でもイギリス・フランス・アメリカ占領地域は西ベルリン(西ドイツ)。
つまり、当時、「東ドイツ」のベルリンという都市の中に、西ベルリンという「西ドイツ」と、東ベルリンという「東ドイツ」、二つの国が存在していたのです。
だからベルリンの蚤の市には 「東ドイツ」製と「西ドイツ」製のものが混在しているのだね。
不思議な魅力あふれる、ベルリン。
ある日、ある事情から東ドイツ側の国境警備隊が西ベルリンを取り囲むように、人が乗り越えることのできない高さ3メートルの壁を作りました。
これが、「ベルリンの壁」。
こうしてベルリンの中の西ドイツ(西ベルリン)は、東ドイツ(東ベルリン)から分離されたのです。
ベルリンの壁ができた理由は、また次回。