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こんばんは、おはぎです。
かなり久し振りのブログになってしまいました…。(汗)
なぜこんなに期間が空いてしまったかは後ほどご説明させていただきます。
では、まずは前回のブログからの経過を報告しておきたいと思います。
かなり日にちが経っているので検査結果を引っ張り出してきて…っと。
前回は3月22日(金)までの経過を報告していました。
その後
4月4日(木)にCTをとり、翌日4月5日(金)に診察がありました。
採血結果
白血球 2310(基準値3300ー8600)
前回は2020だったのでやや上昇。
好中球 62.8%(2310の62.8%なので1450)
前回は1260だったのでやや上昇。
血小板 8.0(基準値15.8ー34.8)
前回は7.9だったのでほぼ横ばい。
腫瘍マーカー
(膵臓)
CEA 2月 1.8
3月 1.9
4月 2.0(基準値5.0以下)
CA19-9 2月 16.2
3月 15.0
4月 17.9(基準値37.0以下)
(卵巣)
CA125 2月 49.2
3月 68.3
4月 71.5(基準値26.9以下)
と、膵臓の方の腫瘍マーカーは基準値内で落ち着いており、卵巣の方の腫瘍マーカーもやや上昇はしているものの急上昇ではないと判断。
CTの結果は「大きな変化はなし」
体調も大きな変化はなし。
ということから総合的に、卵巣ガンの再発に対して内服しているPARP阻害剤(パープそがいざい)の「リムパーザ」は減量せずこのまま継続するということになりました。
その後も2週に1回は採血と診察に行き、白血球(好中球)や血小板は微妙に上がったり下がったりを繰り返しているような状況です。
相変わらず眠気はありますが、無理さえしなければ生活できています。
と、自分の報告はこれぐらいにして…
実は4月4日(木)にCTに行こうと家の玄関を出た時のこと。
母からスマホに電話がありました。
出てみると
母「今日なにやってる?」
「忙しい?」
と。
私「今から CTを撮りに行くとこだよ」
「何だった?」
と返事をすると
母「お母さん白血病みたいでさぁ」
私「えっ…?」
母「今から緊急入院しないといけないみたいで、先生が家族に話があるからっていうから来れるかなぁって思って…」
私はあまりにも突然の出来事で今すぐにも飛んで行きたかったのですが、CTを撮りに行かないといけなかったのでCTの時間と母のいる病院(豊田市)までにかかる時間を予測して、夕方4時半か5時ぐらいには行けると思う、と母に伝え電話を切りました。
姉は仕事中なので母はとりあえず私に来てもらおうと電話をくれたようですが、そんな時に限ってCTがあるという…。
そしてそんな時に限って母も携帯電話の充電がなく切れてしまうかもしれない…とか。
とにかく急いで仕事中の姉に連絡を取り、私はCTに行かなければいけないことや、CTも予約時間通りに行っても待たされることが結構あるので、母の病院に着く時間が確定できず、おおよその時間などを伝え、とにかくまず自分の病院に向かいました。
自分の病院に向かう途中も(名古屋市内)
白血病…
どうなっちゃうんだろぅ…
頭が真っ白になりそうで、いろんなことが頭の中をぐるぐる…
心ここに在らずな気持ちでとにかく病院に行き
CTもほぼ時間通りに終えることができ、会計など済ませながら姉とも連絡を取り合い、姉は仕事を早く切り上げて母の病院に向かってくれることになり、少し安心し、次は母の病院へと急ぎました。
何とか母に伝えていた時間ぐらいに病院に着くと、救急外来の点滴室みたいな部屋のベッドに座って点滴をしている母がいました。
見た目は元気そうで表面上は笑ってはいました。
姉がそばについていてくれました。
よくよく話を聞いてみると…
最初は1ヶ月前ぐらいから両足に赤紫の(点状出血)点々がたくさん出てきており、かゆみもあったのですが様子を見ていたようです。
なかなか治らないので姉に(同居2世帯住宅)病院に行くよう促され、渋々近くの皮膚科に行ったそうです。
皮膚科ではアレルギーではないか?と採血をして(アレルギーの検査)内服と塗り薬が処方されたそうです。
その数日後皮膚科から電話があり、採血の値がおかしいからすぐに大きな病院に行くようにと言われたそうです。
そして一人で豊田市内にある総合病院に行ったところ検査の結果白血病だと言われたとのこと…。
あとあともらった採血の値を見てみると
白血球は31.0(基準値3.3ー8.6)と異常に高いのにその中の好中球(細菌をやっつける細胞)は何と0。
赤血球とヘモグロビンも低くやや貧血気味。
血小板に至っては1.0(基準値15.8ー34.8)と命の危険があるほど低い値。
Other cell(アザーセル)という血液中のがん細胞の割合は何と98%。
私が病院に着いてからはCTの検査を行ってから病棟に上がり緊急入院となりました。
その後医師から母の状態と今後の治療について説明がありました。
あっ、ちなみに父もいるのですが耳がかなり遠いため(体は元気)おそらく医師の説明も聞こえにくくおそらくわからないだろうと、後で父には説明しようということになりました。(家で待機)
医師から説明があった母の病名は「急性骨髄性白血病」
いわゆる血液のがんです。
なかなか厳しい現状が突き付けられました…。
医師が言うには若い人(子どもを除く)でも治る確率は50%程度。
65歳以上の人の場合は20〜30%。
母は73歳なのでそちらに該当するわけです。
65歳以上の人の場合の治療は決まったものがないらしく、若い人の治療(抗がん剤)を少し減らした量で行うということでした。
そして65歳以上の人は「骨髄移植はできません」とはっきり言われました。(理由も含め)
その他治療のことなどいろいろ説明を受けました。
母はあまりにも突然なことで困惑しているようでしたが、少し覚悟を決めたような雰囲気もありました…。
現在73歳になる母ですが、ここまで大きな病気になったことはなくお産以外は入院したことなども一度もありませんでした。
この歳になっても仕事をしていて、毎日1時間ぐらいのウォーキングも毎日しており、とにかく元気な母だったんです…。
不思議なことに病院に来るまでも足の点状出血(今思えば血小板が異常に低かったことから出ていたもの)以外の自覚症状もなく、白血病になるときによく出る症状である倦怠感なども全くなかったと言います。
入院した当日にPICC(ピック)と呼ばれる中心静脈カテーテルを腕から入れ、血小板の輸血をし、翌日から抗がん剤治療が始まりました。
ということで、私はその日から毎日自宅から(名古屋の隣の市)1時間、往復2時間かけて母のいる豊田市の病院に行っていたのでブログを書く余裕がありませんでした。(精神的にも)
あまり詳しいことは書きませんが、最初は抗がん剤治療をしその後は高熱が続き、口内炎がひどく食事もあまり食べられす、といろいろなことがありました。
そして1ヶ月ほど経ったところで、2泊 3日の一時退院をし、今また再入院をし2度目の抗がん剤治療が始まっています。
ずっと無菌室で治療をしています。
母は私の体のことを心配し、「毎日来なくていいよ」と言ってくれるのですが、わたしが母の事が気になり心配でほぼ毎日病院に行っていました。
あれこれ必要と思われるものを買って持って行ったり、母が食べられそうなものを持って行ったり(食事制限はいろいろあります)。
お風呂に入れない時期には看護師だった経験を生かし、洗髪をしてあげたり(今は副作用でもう髪の毛はありません)、(個室についている)シャワーを手伝ったり…
いろんな看護師がいるので、いちいち行動や態度や言葉の掛け方が気になったり…(看護師あるある)
もちろん素晴らしい看護師もいますが…。
きなこも仕事が休みの時には一緒に母の病院に行ってくれて、いろいろ協力してくれています。
姉は仕事をしながらも母のことに加えて、家事などほとんどしたことのない父に洗濯の仕方を教えたり、ご飯の炊き方を教えたり(今後のことも考えて父にもいろいろできるようになってもらいたいので)、父のためにおかずを多めに作ったり…。
母の体のことを考え家にベッドを置くため、母の介護認定のための申請をしたり…。
と、まぁ今はこんな生活をしています。
もう自分の体のことなんて二の次というか、とにかく私が病気になって母にはとても心配をかけ、いろんなことをしてもらっているので、今は私が恩返しをする番だと思っています。
でも今回、2泊3日の一時退院を終え再入院したことをきっかけに、母の病院に行くのは2日に1回ぐらいにしようと苦渋の決断をしました。
自分が元気でないと母のために動けなくなることや、まだまだこれからも(母の)闘病生活が続くことを考えた結果です。
そのため今日は病院には行かなかったのでこうしてブログを書いています。
私自身も病気がわかった時には末期の状態で、生存率も2%とか3%と言われていたのに今こうして6年半以上生きています。
私には母の血が流れています。
数字的なことだけにとらわれず、まだまだ生きられることを信じて頑張ろう!と母を励ましています。
では、恒例の内容とは関係のない写真を。
病院に行く道中、私が小さい頃よく家族で行ったハンバーグ屋さんがあります。
きなこと一緒に母の病院に行った時に、「このお店小さい頃よく連れてきてもらったんだぁ〜」という話をしたら、きなこが「私も行ってみたい!」というので何十年かぶりに行ってみました。
料理人の方もおそらく代替わりしてしているのかと思うので、こんな味だったかな?(おぃ)という感じで、椅子やテーブルもおそらく変わっていたのですが、とても懐かしい時間が流れました。
前回の静岡の「さわやか」に引き続きまたハンバーグになってしまいました。(苦笑)
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