世間一般では、ネガティブと呼ばれる感覚を
ただ、ただ、許し続けて、認めていってあげると
もう一つの私の側面を見ていく出来事が始まっていきました
本当に当たり前のことですが
出来ないって側面があれば
出来るって側面があります
得意な事って意味より
挑戦できる、人に勝手に褒められる
そんな側面です
ネガティブな自分を私のすべてだと思い込んで
その側面しか私にはないと感じていたのですが
そんな事もなく、
この出来ることがあるっていう自分をを受け取る始まりは、
めちゃくち
それでも
意外とやれる
意外と平気だった…
あれ…?私って、思ってるより出来てる?
そう感じていく事が少しずつ起きてきました
誰かと比べて、出来るって話でなく
私の中で思い込んでいた、私より出来てる、やれるって感覚でした
でも、ここで難しかったのが
自分を低く見積もる事に慣れすぎて
出来る私を受け取るのが、すごく下手くそでした笑
出来る私を感じても、
そんな事ない
私より出来てる人なんていくらでも居る
出来るなんて感じて、恥かいたらどうするの?
いつも、そうやってまた否定が出てきました
その、自分を低く見る癖から抜け出す為に
日々のほんの少しの達成感を
丁寧に味わっていく事をしていきました
些細な事が出来て生まれた、
出来た!って小さな体感をちゃんと受け取ったり
仕事の中できた、小さな直感を
少しだけ勇気を出して、実行してみて
出来た!を味わったり
そんな事を少しずつまた、増やしていきました
そこで気づいたのは
他人と比べる、比較の視点を凄く握っている自分でした
何か嬉しい事が起きても、他人と比べている以上、素直に受け取れ
自分を出来るって認めてあげる感覚と、
でも、一番じゃない
そういう、肯定する感覚と否定の感覚が行ったり来たりしてました
でも、ある時に
自分を低く見るのを本当に手放し出す
きっかけが起きました
働いている先の上司の人に
怒りが湧いて、ハッキリと言うという
出来事が起きたのです
その人とは、普段はそこそこの距離感で
普通に接してたのですが、
その日は相手が少し気持ちが不安定な雰囲気があり
こちらを軽く見た、態度で接してきた瞬間があって
それをされた
すぐに怒りが湧いて
もう、こちらでしますので結構です
と怒りました・・
そしたら、少し経って向こうから
申し訳なさそうに、こちらに声をかけて来られて、
その瞬間怒りがスッと引いて
何をあんなに怒ってたんだろう?って不思議になるほどでした
その後にその怒りについて気づいたのは、
私は相手に軽く見られて、
雑に扱われたのに凄く怒りを感じていた
でも、ちゃんと立ち止まって感じ直してみると
世界は自分の周波数で出来ているので
結局のところ、
私が私を軽く見て、雑に扱っていたから、この事が起きたのか!と
自分の出来るって達成感の気持ちをちゃんと受け取らないのも、
私が私を軽
自分を認めてないのも、軽く扱ってい
自分の素直な感情、感じた事を適当に流していたり、
我慢させて言
私が私を軽く扱っていたんだ
その事が一気に紐解けていきました
それが分かると
私の世界という視点が生まれ出して
他の人の世界では、違うかもだけど
私の世界ではこう感じた、こう思った
だから、私の感覚は、私の世界では何一つ間違ってない
そう思える様に少しずつ変化していきました
一般的な正解やジャッジなんて
何一つ必要なくて、そんなものは誰にも決められない
けれど、私の世界では私の感じたこと全てが正解で
それでいい
他の人の世界では、他の人の正解があるけど、
それでいい
だから、相手に私の正解を押し付ける事も必要な無いし
私は他の
あなたはそうなのねって思うそれだけで良くて、
比較しなくても良かっ
少しずつ、出来る事がある自分を認めていってあげて、
でもそれを
そうして、自分自身を軽く扱っている事に気づき、
私の意見をちゃ
自分に対しての自己主張を
今まで、たくさん私にしてくれていた
その事にやっと気づいた出来事でした
自分が自分をこんなに雑に軽く扱ってるなんて、すごく気付きづら
自分に優しく丁寧であるって言うのを、ちゃんと考えようと思わせ
自己肯定感の次のステージ③へ続く・・・・
最後までお読み頂きありがとうございました