”追いかけていない人には、追いつけない。” | ヒキザンガヨガ

ヒキザンガヨガ

ヨガの本質をばらまきたい変態。ヨガは人間の可能性を開花させ 人生を自由自在にクリエイトし、これからの時代を生き抜くためにも必要な物事の本質を見極める視点を養う、超ロジカルなメソッド。自分を生きることができる時代がきた、ヨガをしよう!


本日、omusubi不動産、岩澤くんのおかげ様で、隠居屋ヨガOPENします。



#Repost 

@omusubiestate with @make_repost

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ヨガ教室「ヒキザンガヨガ」が「隠居屋」にて定期開催します🧘


せんぱく工舎での「出張ヨガ教室」も大盛況だった「ヒキザンガヨガ」が、この度レンタルスペースの古民家「隠居屋」にて定期開催することが決定いたしました!


初心者から指導者まで、「本格的なヨガ」の指導に定評のあるshiho.yamamotoさんによるヨガ教室「ヒキザンガヨガ」。

ヨガそのものだけでなく、ヨガで行うアサナやプラナヤマ、物の見方考え方(哲学)の一つ一つ、その理論と目的の実践方法を学ぶことができます。


新しいことをはじめてみたい、心身ともに健康的な習慣を取り入れてみたいとお考えの方は、この機会にぜひヨガをはじめてみてはいかがでしょう?


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「ヒキザンガヨガ」開催概要


【営業日】

-毎週月曜日-

9:30:OPEN

9:45~11:15:LESSON

11:45:CLOSE


【場所】

〒271-0065 千葉県松戸市南花島中町196

つながる古民家 隠居屋 IN kyo-Ya(@in_kyo_ya)


初回のご予約 & お問い合わせ】

hikizanga.yoga@gmail.com

or

「ヒキザンガヨガ」instagram(@in_kyo_ya_hikizangayoga)DMより


詳細はプロフィールリンク(@omusubiestate)の「WEBSITE」→「おむすびマガジン」よりご確認ください。


#松戸 #隠居屋 #イベント #ヨガ #レンタルスペース #ヨガ教室 









あんな風になりたい、


 

こんな私になりたい、

 

 

これを手に入れたい、

 

 

あの人と同じところまで行きたい、

 

 

これ(自分へのなんらかの不足)がある人は、

 

 

①なりたい、に向かう、

 

 

全力で向かう笑

 

 

そこで、見えてくる、

 

 

出発する前に、置いてけぼりにしてきた、

 

 

等身大の自分が、見えてくる仕組みなのだ。

 

 

じゃがいもの種が、ニンジンに憧れて、ニンジンに全力で向かったら、

 

 

ま、この場合、野菜なので、一応同種なので、ニンジンの育て方を学んでまねてみたら、じゃがいもも、芽が出るかもね。

 

 

で、芽がでたら、ニンジンが育たないどころか、でんぷん質が育っていくじゃないですか。

 

 

どこまでも、ニンジンになれない自分を、見せつけられるわけでして、

 

 

なりたいものになれない、と、

 

 

降参するまで、向かってくれ。

 

 

 

この、自分への何らかの不足、が

 

 

自己肯定が高い人の向かい方と

 

 

自己肯定が低い人の向かい方で、

 

 

全然ちがうんだけどね。

 

 

 

あと、あるあるが、じゃがいもの種が、ニンジンに向かうなら、まだいいのよ。同種だから。野菜だから。

 

 

じゃがいもの種が、鳥に憧れちゃって、鳥の講座にいったり、本読んだりするとどうなるっぺ。

 

 

まじで、飛べないのに、飛べない飛べない、って、じゃがいもが泣いたってしゃーないでしょ。

 

 

これ、どこの講座行っても、セミナー行っても、受講生見てて、なんでここにおるねん、きみ、って人、一定の割合でおるわい笑

 

 

そこで、自分を嘆くな。

 

 

そこじゃない、ってこった。

 

 

ま、だから、学ぶってことを、学ぶ必要があると思うのよ。知識や情報をそのまま鵜呑みにするんではなく、かといって、好きな知識や情報を取り入れるってのもちゃうちゃう。

 

 

じゃがいもだろーが、ニンジンだろーが、牛だろーが、人間だろーが、物事の本質は一緒でしょ。

 

 

自分にチューニングを合わせて、自分で自分を開発していく、学び方を知らんと。

 

 

でも、自分ではまるでない、何者かになる、という時代があって、本来の自分に返ることができるので、そのプロセスは大事。そのプロセスで気が付く。

 

 

苦しい、、

 

 

うううう、

 

 

くるぴっぴー

(ちょんこ登場)

 

 

って。

 

 

で、みんな、なにもわかっちゃいませんでした、とか、正しいとおもって積み上げてきたものが、重荷になっておりました、とか、成長できていない自分を責める人多いんだけど、

 

 

それが、成長だばよ。

 

 

後退するように感じるそれが、成長。

 

 

自分に降参する、ってのは、自分の事実を見ざるをえない状況までもってこれているってこった。

 

 

なんか、明るくないのよ、ポジティブに感じないのよ、成長って、等身大の自分、本来の自分を知るってことは、後退する感覚、降参する感覚、すごくないってことを知るっていう、なんかね、孤独に自分に向かっていく、ひとりずつ、仲間が減っていく、ひとりずつ、共感できる人が減っていく、そんな道の先にあるのだなぁ、と私は、いつも思います。

 

 

独りぼっち、誰もいないの意味合いの、孤独になるといういみではない、どこまでも他人は自分とは違う個性を持っていて、外にチューニングを合わせていても、どこまでも不足を強めるだけなのだ。

 

 

だから、自分は、生徒のその様子を見て、

 

 

順調っていうんだけれど、へこむ子もいるわけです。

 

 

そこを突き抜けられるか、なんでしょうな。