《大編集》”人を見捨てる勇気” | ヒキザンガヨガ

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ヨガの本質をばらまきたい変態。ヨガは人間の可能性を開花させ 人生を自由自在にクリエイトし、これからの時代を生き抜くためにも必要な物事の本質を見極める視点を養う、超ロジカルなメソッド。自分を生きることができる時代がきた、ヨガをしよう!

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今夜21時から、陰ヨガです、

お申し込みは、DMください。

 

 

 

 

 

 

話はまるで変わり。

 

 

 

 

リブログ記事に、

 

同感なのでシェア。

 

 

 

同感だから、か?

 

 

 

やってきて、

そうあることが大切だと、

経験したから、だな。

 

 

 

本当に本人は無自覚なんだけれど、変わりたいですって言って、変わらない人って、変わりたいんじゃなくて、そこ、にいくことで、先生から、とか、そういうのやってるじぶん、を感じるためとか、マウントチャージとか←どうしようもないよね、変わりたいんじゃなく、エネルギーチャージしているだけって超多いんだよね。中には等身大の自分見誤って来ちゃったパターンはあるから、それは、経験していかないとわからないものだし、他を紹介するとかする。

 

 

 

あと,これまでもだけど、これから色々課題となりそうなのが、"知識持っていくだけの人"とか。

 

 

 

あたかも自分がそうですばりに、情報や知識を売っちゃうとか。これからの時代、形ない、言葉や時間や場というエネルギーを売り買いする、その価値がわかるか否かって、感謝がわくか否かだとおもう。感謝はするってより、そのものが創り上げられるまでにどんだけのエネルギーを要したか、がわかれば、感謝って沸くし、雑に扱ったりできないよね、問われるよね、本当。これから。

 

 

 

いいながら、わたし自身も、エネルギー奪いまくっていたし、会社辞めて、自分で全部やってわかったよね。どんだけ、当たり前に他者のエネルギー、簡単にもらっていたか。

 

 

 

わたしも、ひとり・ヨガ屋になって、自分の無意識に自省しまくり、吐きまくり、先輩や先生らに、注意してもらったり、気づかせてもらい、わかったこと、マジで感謝です。

 

 

 

話は戻すが、本人は、無自覚だから、上記のようなマインドで、ここにきていた、がーん、と、講座中に気づく人もいる、それは全然オッケー、気づいたら、オッケー、気づいたらそれとどう向き合うか、だわよね。おもろー、無意識!って、笑えばいい。私は笑ったよ。

 

 

 

で、自覚して、先生頼りゃいい、自覚して、他力を借りればいい、自力養うために。自覚があれば、わたしは、向き合うよ。今いる等身大のとこで、やるべきこと、やれること、ちゃんと伝えるし、ゆっくりやろうな、って声かける。

 

 

 

それがないな、

とおもったら、

 

 

わたしは、

 

 

今、ほんとうに欲しているものを"提供"してくれる所をすすめる。

 

(昨日最初に投稿したのが本当のところなんだけれど、その真実が伝わらない気がして、表現変えた)

 

 

お金もらうほうがいやだわ。

 

 

変わりたい私!(本当は変わるのが怖い、変わりたくない私)劇場を運営させてくれる、エネルギー・供給サービスセンターへ行った方が、いい。

 

 

接客・サービス業として、そういう自分を味わい続ける、エネルギーを売っているところへ(接客・サービス業として、割り切ってやっている、こういう講座やワークやセミナー)に、行った方が、いいよ。

 

で、代理母業とか、ひたすらに癒して、依存させるところとか、今多いけれど、その人たちも、思いっきりそういうサービスです、ってバーンって出しちゃえばいいのにとも思う。弱っている人とか、依存させることで、月会費とか何十万の講座やセミナー代金支払いさせ続けるんじゃなくて、いつまでもここにいていいよ、互いに優しさを持ち寄り、寄り添いあい、一時でも気持ちが楽になる場所を運営しよう!って言ったら、それは、いいんでない?winwinだよね。

 

 

で、ナリくんはそうかわからんが、私は、見捨てるとか、見放すとか、そういう言葉通りのことを言っているんではなくって、ナリくんもそうだわな、

 

つまりは、見捨てますね、と言っているんではなくって、見捨てる理由は、他へ行けという理由は、

 

それ以前に、その自分(自分可哀想劇場、小公女セーラ劇場みたいなの、変わりたいけど変われない自分)を飽きるまでやりきらんと、いけないからなのです。やりきらないと、もう、この劇場飽きたわ、おかしいわ、って気が付かんと、

 

自分の核となるところと向き合いたいとか、思えないよ。あのね、上記やりきると、思えるのよ!飽きるまで、やりきると、自分としっかり向き合いたいって思えるのよ!やらんで、未来掴んで、ただなんか、凄い自分になりたいみたいな感じで、そういう講座やワーク(うちもです)に行っても、目的意識が不明確で、頭と肚がズレてるし、

 

優しいことや都合の良いことしか採用したくないし、ワークの必要性も感じられないのです、何より、苦痛なはずなのです。だから、ナリ君がリブログしている、優しくて真面目な先生みたいな人は(私も最初そうだった)、エネルギー吸い取られておわりだよ。

 

本当に自分と向き合っていくってのはさ、自分の無意識に気が付いていくってのはさ、あのさ、感動なわけよ、自分を知っていくってことなんだから。

 

これを生きればいいのか!って、自分の本文がわかるんだから。それを求めてもいないで、それを本気でやっている人のところいっても、その感動は、感じられない。どころか、更に私かわいそう劇場や、こんなこと言われた被害者マインドを強化してしまうよ。

 

 

丹精込めてつくった大根を、買っても、調理もせずに、それが、家でしなびていくのであれば(うちにそういう大根あるんだけど…どうしよ…)、

 

そんな元気今はないんだからよ、誰かに力を借りたり、どっか大根を美味しく調理してくれるところいったほうが(サービスとして受ける)いいでしょ。

 

 

あとはさ、もう、ハッキリ言うけど、丹精込めてつくった大根を、無料で受け取り、あたかも、自分がつくりました、って、お金にして、言ったり、売ってる人もいっぱいおるけれど、それも、それが人としてどうよ、って話をしているんではなくて、感謝しないとだめですよ、って言葉通りのこといっているんでもなくて、そういう段階に居る人は、まずは、自分で何かひとつ、コツコツと創り上げるってことをしてみたほうがいい。何かをつくって、それを誰かに買ってもらう、オリジナルをね。その経験が無いと、自分の理想と一体化して、アウトプットしたものには、感動がない、影響力がない。これは、わたしも無意識にやってきて、自覚は痛かったわーウインク

 

で、何かを丹精込めて作ったことがあればね、目の前にあるものの価値がどれほどのものかがわかるようになるんよ。

 

 

 

コツコツと、ただひたすらに点をうっていく仕事をしていって、つくりあげたもの、自分がつくったものが、どんだけ赤字でもね、誰かに喜ばれて買われたら、その体験こそが、価値になる。財産になる。

 

だって、世の中にあるものが当たり前ではない、ってわかるんだから。世の中にあるあらゆるものを、雑に扱えなくなる。頭で感謝するんでも、謙虚になるんでもなくて、それが、肚から腑に落ちる、んです。

 

ちなみに、それ、この人わかってるな、点紡いでここまで来たんやな、がんばったなって人には、私は自分のコンテンツなんて、無償であげることもある。

 

「大根」の価値が分かる人だからさ。価値をわかってくれるから、渡すんじゃないのよね。

 

価値がわからず、感謝が生まれない人に、安易に渡したり、安価で渡したり、ディスカウントしたりするってのはさ、価値あるものを価値があるとよくわからずに、簡単に手に入れてしまったら、価値を見極める視点を養う機会、体験を奪うことにもなるわな。

 

だから、ちゃんとお金を払わせないと。そんな簡単に、何かが手に入るわけではない、という、体験こそが、その人の人生に、価値があるものがたくさん創出される、ってことじゃないでしょうか。

 

 

 

その価値がわかる人は、その価値ある大根をつくるに必要なエネルギーがわかる人。ってことは、その人がその大根を使ってくれたら、良きエネルギーが派生していく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うちも、スパッと事実を伝えるところなので、宜しくです。

 

 

 

引用⬇︎

 

うちもそうですたい。

 

聞こえてますねん。

 

見えてますねん。

 

表面なんて見てないですねん。

 

本気ですねん。