溜めるな。出し切れ。今、終わらせろ。 | ヒキザンガヨガ

ヒキザンガヨガ

ヨガの本質をばらまきたい変態。ヨガは人間の可能性を開花させ 人生を自由自在にクリエイトし、これからの時代を生き抜くためにも必要な物事の本質を見極める視点を養う、超ロジカルなメソッド。自分を生きることができる時代がきた、ヨガをしよう!


サットサンガ、濃くなったなー



ここ最近の、

 



1期~4期の「ヒキザンガ塾」のサットサンガ、

「ヒキザンガ研究会」のサットサンガで思う。
 


 

研究会のサットサンガは濃くなってきた。

ほんと。

 

 

…………………

 

 

サットサンガ、
自分の感情や思考をアウトプットしていくんだけれど、



最初は、




「人前で」

「自分のこと」を、

「話す」



ということ自体、



多くの人にとって、

チャレンジだったりするよね。



ヨガをするのは、

身体的なクレンジングをすること、
(酸素を取り込み、インナーマッスルを動かし、脂肪を燃料に熱をつくる。熱くなった血が、全身をめぐり、身体の大掃除をする。主に腸の未消化物、細胞内の古い老廃物や水、疲労物質、不要な脂肪の燃焼)



だけではなく、



大切なのは、



目に見えない、形のない、抑圧してきた自分の感情や、外に出してあげていないエネルギーの解放だ。



そう、精神的なクレンジングだ。



簡単に言うなら、ストレスの解消。



ヨガ的に言うなら、

溜め込んだ、古い「氣」の解消。



この「氣」が溜まり、淀み、病をつくる。



この溜め込んだ「古い氣」が思考をループさせる。

 


 

 

 

↑大事。氣を溜めるから!過去の氣を溜めるから!体内に残った消化不良を起こした氣が、思考を起こしてるんよ。ここ、大事。超絶大事。

 

 

 

 

病は氣から、は、真実だ。



早いとこ、不調の根本には、



外にだすべき、自分のエネルギー=氣を、



抑圧していないか、溜めてないか、身体の処置も大事だが、薬ばっかり飲んでいないで、そこ(根本的な要因)を掘って解消しよう。



薬飲んだって(対処療法であれば)、根本的な要因=溜め込んだ負のエネルギーが原因だから、



症状は一時おさまっても、

また、同じ症状でるあるよ。



もちろん、身体は物質なので、氣ばかりが原因ではなく、摂取する食事なんかや、運動不足による身体の炎症が、病の原因となることも大いにある。



原因不明の「身体に出る不調サイン」は、自分の精神的に溜め込んでいる「氣」を探すことをしたほうがいい。




ヨガとは、ただ、アサナをとって、呼吸をすることが、目的ではない。



アサナやプラナヤマは、

準備体操のようなもんだ。



アサナとプラナヤマで、

身体&精神をほぐし、



身体に溜め込んだ、物質的な老廃物と、
肚の中に溜め込んだ、精神的な老廃物を、
(腹黒いの黒いは、溜め込んだ精神的な老廃物)
 



排出するために、

おこなうのらーーーー!



ヒキザンガでは、

アサナ&プラナヤマの先に、



身体的なクレンジングの先に、



精神的なクレンジングをしますの。



そのひとつが、

サットサンガ。



インドのひとたちのやり方は知らないけれど、
(知らないのかよ)


ヒキザンガでは、



普段、抑圧している、自分の感情や思考を、ガンガン吐き出してもらいます。



家族や、友達に言えないことって、

すっごく多い。



誰にも言えない、

行き場のない、解消の仕方のわからない、



自分の中にある、外にださないエネルギー=感情や思考を、ヒキザンガ仲間たちの前で吐き出していきます。



特に、本格的に、

そのクレンジングをしてきたのが、

ヒキザンガ塾。



この塾でできる仲間ほど、本音で話ができる仲間はいないんではないかしら。



自分の感情や思考を、

勇気を持って、アウトプットし、



仲間同士、

共感や迎合をしあうのではなく、



その溜め込んだ感情の、

更に奥にある深層意識を見ていく。



その溜め込んだ思考を、いつインストールしたのか、考え方を柔軟にしていくための、ディスカッションをしていく。



その人により、

段階により、対応は違ってくるのを前提に、



安易な共感は、
辛い人のその辛い状況を、

継続させることがある。



辛いよって言ってきた人に、辛かったね、とえねるぎーをあげてしまうような共感は、



辛いよって言ってきた人は、
また、そのエネルギーを貰うために、辛かったことを繰り返すことがあるからね。



優しさ、癒し、愛ってやつの取り扱い方って、



その「人」「段階」によって、まるで違う。




ヨガってやつはさ、



誰かに救ってもらうんではなく、



自分で自分を癒す、

自分で自分を救う。



ことができるんだよ、っていう、自分への信頼を取り戻すための、メソッドなわけですの。




仏陀が、

自灯明、法灯明と言ったように、



誰かを頼るんでなく、

自分の灯を頼りにすすむこと、



自分の灯を頼りにすすんでも、困ったら、わからなくなったら、それでも他者に頼るな、そのときは自然を頼ること(自然界に答えがある)と言ったというけれど、




これは、

厳しいことをいっちょるわけではなく、



自分の肚にね、本当にね、自分がどう歩むべきかの情報を拾う磁場があって、

(骨盤内、仙骨の手前)



本能っていうか、

インスピレーションってやつ。



これを頼りに歩めばいいということが、これこそが灯であることを、この灯と繋がることが、唯一の幸せになる方法だってことを、人体実験を通して、実感に至り、で、そのやり方を、徹底的に、塾で話してきていますの。



この灯、

を確かにお腹に感じた時、



驚いたもんだった、




何か居る。



肚に何か、居る笑



ここまでくると、

理屈じゃないんだよ。



真理ってやつは。



自分のセンサー研ぎ澄ましていってごらんなすって。みなさん。



誰ものお肚に、

あなたの本質がおわしますの。



変な話してるんじゃないよ。



この灯=自分の本質=これを、

ヨガで「アートマン」といいます。



このアートマンと繋がるために、

アサナ&プラナヤマしてさ、



身体のクレンジングして、繊細なエネルギーをキャッチできるようにしているわけ。



精神のクレンジングしているわけ。




常に、どこかに、

何かを探していたわたしゃ、



このお肚に、

わたしが居る、と体感した時、

 


人生において、

これ以上に神秘的な感動の体験は無いんじゃないかって思った。



もう、何も怖くないと思った。
(怖いことがなくなるってことじゃなくって、怖いこともオッケー、ここに私が居てくれる感)



何より、

 

 

 

 

 

感じたことのない、

安堵感で包まれた。







不純物ない、自分と繋がるためには、

 

 


リアルタイムの消化できていない、

 


 

消化不良を起こしている、物質的な未消化物や、精神的な未消化物を、排出する必要がある。だからヨガをする。

 


 

本来の自分と繋がるためには、本来の自分にこびりついた、本来の自分を観えなくしている、未消化物のクレンジングが必要。

 


 

だから、サットサンガをする。

 


 

ヒキザンガ塾、1年を経て、

みんな、自分の掘り方が本当に深くなった。

 

 


ただ、日常をアウトプットするだけではなく、そこに潜む、本当の自分の声に気が付けるようになってきたね。

 

 


ふっかい、学びを一緒にできる仲間とのこの日々に、本当に本当に、充実している。

 


 

これが、

当たり前になるのは、5年~10年先、かな。

 

 


それまで、みんなで、ブラッシュアップしとこーぜ。このメソッド。

 

 


ヒキザンガのやり方だけではなく、

塾生のみんなと、研究会のみんなのオリジナルメソッドをつくっていってほしい。

 

 

 



shiho