トヨ クモヌ フツ サカル ツミ
フトナ シメシ ウタ マリ タバネ
カブシ ウキ フヌ メグル マリ
ウヒ チニ ホロシ カタ カムナ
タカ マカ ムスビ ヌシ
イモ イク クヒ
カミ ワク サトリ
カタカムナウタヒ第30首は、すべて、2個または3個の単一音声符を組み合わせた単位語になっています。単位語の場合、第一位に置かれた音声がその単位語の意味を重点的に決めるという考えもあり、ためしに第一位の音を赤字で示すと次のようになります。
トヨ クモヌ フツ サカル ツミ
フトナ シメシ ウタ マリ タバネ
カブシ ウキ フヌ メグル マリ
ウヒ チニ ホロシ カタ カムナ
タカ マカ ムスビ ヌシ
イモ イク クヒ
カミ ワク サトリ
ちなみにこのウタヒを後ろから前に読んでみると、私の感覚では、濁ったエネルギーが浮かび上がり気持ちが悪くなるので、やはり単位語の第一位に重点があり、第二位と第三位は補足であるという見方は、音が発するエネルギーの観点から、その通りのように思います。
このウタヒには、日本神話の天地開闢(かいびゃく)にまつわる二柱の神さまがあらわれます。ウヒチニ(宇比地邇神)は神世七代の第三番目にあらわれる男性神で「土」の神さまです。イククヒ(活杙神)は神世七代の第四番目にあらわれる「杙(くい)」の神さまです。
◎言霊(国名、神名、他)
・ウヒチニ:宇比地邇神
・イククヒ:活杙神(イモイククヒ:妹活杙神)
宇宙の根源が、時間とともに、目に見える世界と目に見えない世界に引き裂かれ、その後、目に見えない世界から目に見える世界に向かって、さまざまな生命が創造されていきました。私たち人間もそのひとつであり、また、私たちひとりひとりの魂もそのひとつです。このプロセスについて、日本の神話では、天と地があらわれたあと、神さまは、土(ツチ)に杙(クヒ)を打ち、そこに生命が育む場所を作られたとされています。
カタカムナウタヒ30首を読んでいると、なんとなくこういう映像も浮かんできます。
これも土(ツチ)に打たれた杙(クヒ)の画像です。カタカムナウタヒ30首には ツミ フトナという言葉があり、ツミ=罪、フトナ=重合(繰り返す)と解釈すると、杙を打つというのは十字架を立てるという意味もあるのかな…といろいろとイメージが浮かんできます。かつて空海がいろは歌の中に「イエス」や「咎がなくて死す」などキリストの受難を暗号として込めたとされていることともつながる感じがして興味深いです。
空海やキリストは、潜象界と現象界の ムスビ ヌシ(結び主)として、肉体はなくても目に見えない存在のまま、ずっとこの世界で生き続けているように思います。私たちも彼らのように、あらゆる事象についてその本質を知り、氣づきを広げていくことが、サトリなのだと思います。
では、罪や穢れを祓う生き方とは何でしょうか…
頭を天に、足を地に、まっすぐ立つ。そうすると、自分が立っている場所(土)に、自分の身体が立つ(杙になる)ことで、天からのエネルギーがそのまま、自分の体を通して、その場所に顕現される。
それは、自分のまわりの雰囲気や、誰の意見にもいっさい惑わされず、ただただ、天から降りてくるエネルギーをダイレクトに感じ、神の声をダイレクトに聴く。そしてそれを指針に生きていく。これがサトリにつながる道。