イキノヒトツネ
イククヒ ノツチ カグナツチ
イハ サク ネ サク イハツツヌヲ
カタカムナウタヒ第28首は、「イキ」という言葉から始まります。
「イ」は生命体を形づくる最小単位の粒子、「キ」は発生することであり、「イキ」とは、息、呼吸、生きること、生命(イノチ)、活き活きすること、活発なこと…など、その意味は広がっていきます。このことから、最初にうたわれる「イキノヒトツネ」というフレーズは、息をすること、呼吸すること、生きること、生命(イノチ)、活き活きすること、活発なこと…はすべて、一つの根でつながっていることを意味します。すべての生命はつながっている。そして命だけではなく、生命力や活発な動きをしているものもすべて、一つのところから派生しているということになります。
さらにこのウタヒでは、この「イキノヒトツネ」というフレーズのあと、これに関する神々が登場します。
まず最初に、天地開闢(てんちかいびゃく)によってあらわれる別天津神(ことあまつかみ)に続き、神世七代(かみのよななよ)の神々があらわれますが、その四代目となる男女の対偶神の角杙神(ツヌグイノカミ)と活杙神(イクグイノカミ)のうち、活杙神(ツヌグイノカミ)が登場します。この神は、同じく男女の対偶神である宇比地邇神(ウヒヂニノカミ)と須比智邇神(スヒヂニノカミ)による大地のお祓いを受けたあと、その大地に杙(クイ)を打ち、目印をつけ、そこに靈力を与えた神々です。まらに天から授かった靈力は、この地上においては活力の源となることでしょう。
このウタヒでは、活杙神(ツヌグイノカミ)が現れたあと、神世七代の七代目となる男女の対偶神の伊耶那岐神(イザナギ)と伊耶那美神(イザナミ)が、さらに神生みをおこない、それによって生まれた神々の中で自然界を司る四柱の神々のうち、野椎神 鹿屋野比売神(ヌツチ カヤノヒメノカミ)が登場します。神の息吹としての靈力が、大地に自然神を生み出していくようすが目に浮かび、こういった活き活きとしたイメージはなんともわくわくするものです。
このあとに登場するのは、火之炫毘古神(ヒノカガヒコ)という火の神で、母であるイザナミの産道を通る際に火傷を負わせ、これがもとでイザナミは死んでしまいます。妻であるイザナミを死に至らしめたことに激怒したイザナギは、天之尾羽張(アメノオハバリ)という十束剣(とつかのつるぎ)で、生まれたばかりの息子である火之炫毘古神(ヒノカガヒコ)首を切り落として殺してしまいます。この時に、剣の先についた血が岩について化生した神が、石折神(イハワク)と根折神(ネサク)、そして石筒之男神(イハツツヲノカミ)です。
◎言霊(神名)
・イククヒ:活杙神(イクグイノカミ)
・ヌツチ:野椎神 鹿屋野比売神(ヌツチ カヤノヒメノカミ)
・カグナツチ:火之炫毘古神(ヒノカガヒコノカミ)
・石折神(イハワク)
・根折神(ネサク)
・石筒之男神(イハツツヲノカミ)
カタカムナで「ヒ」とは、漢字であらわすと、太陽の光である陽(ヒ)、太陽と同じ意味をもつ日(ヒ)、魂や万物に宿る精気である靈(ヒ)、地上の四大元素の一つである火(ヒ)などがあり、すべて生命や活力にまつわるもので、天(神)という一つのところから派生しています。そしてその天(神)の意志あるいはエネルギーが最終的には岩にまで生命を吹き込むことになります。
神道において、神が天下る岩のことを磐座(イワクラ)ということからも、岩を信仰するのは天を信仰することと同じだとわかります。神道はもともと社殿を持たず、山深くに位置する大きな岩に注連縄(しめなわ)を張って磐座とし、ここに神を出迎えたことが原始的な姿であるとされており、カタカムナウタヒ第28首はこのプロセスを歌によって示しています。