セント―リーは、夏の季節に、乾燥した草原や畑の隅の草の間に生える地味な植物で、総状花序(そうじょうかじょ)の優しいローズ色をした五芒星の花を咲かせます。
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セントーリーが秘めている魂は、自発的な決定能力と自己実現です。
●セントーリーの性質がマイナスに現れたとき
セントーリーの特徴が強く現れている子どもは、性格がよく、何事にも快活に反応します。両親や学校の先生の手を焼かない子どもですが、その分、大人から褒められたり褒められなかったりすることにたいへん敏感です。両親のいう通りに勉強や習い事をし、両親が望む進学や就職をするのもセントーリーの子どものパターンの一つです。
セントーリーの性質を持ったまま大人になると、両親だけではなく、職場の上司、パートナーと、無意識のうちに考え方や言動が似ていきます。また、生来の人のよさのために、他人を利己的な目的で利用しようとする強い性格の人に影響されやすくなります。このように、セントーリーのエネルギーがマイナスに現れている人は、自分自身の意思を強く表現できなくなります。
●セントーリーの性質を持つ人
セントーリーの性質に支配されている人は、人を助けることに自分の時間を費やします。職場、学校、家庭内などで、他の人にばかり奉仕して、自分のしていることがどういうことなのか、その本質的なところではわかってないのです。そこで、人生における自分の真の使命を果たしてないことに気づくことができず、さらに、自分が置かれている状態を少しも苦痛に思うこともありません。この時、人の役に立とうとする動機は、自分の存在を人から認められたい、あるいは他人にとって価値のある存在でありたいという、人間に根ざした願い以外の何ものでもありません。
このような状態では、人を助けるということ、つまり奉仕や献身といった高尚かつ美徳の行為にも歪みが生じてしまいます。本来、高い次元の原則に従って行動すべきところを、まるで未成熟な子どものように無批判に他人に従属し、その人たちの欠点に根ざす判断にすら無批判に従ってしまうのです。
高次元の原則に従った生き方ができるようになるには、まず個性を伸ばして人格を形成し、個性と人格を魂の意志を実現するための道具にしなければなりません。また、人格を形成して保持していくことは、自分の意志を通してしかできないということを知る必要があります。バッチフラワーにおいて、他のお花の性質と対応した魂の否定的な状態では、人格のレベルにおいて自分の意志が強く現れる傾向がありますが、セントーリーの場合は人格レベルの意志が現れず、むしろ弱すぎることが問題となります。
セントーリーのタイプの人は、人を助ける仕事に向かいやすいです。そして他人の望みがすぐに叶えられることが良いことだと歪んだ考えを持っています。そのような考えや行為は、相手がこの世界から学び取るプロセスを奪うことになり、それは本当の意味でその人を助けることにはならないということに気づけないのです。ですから、人のために何かをしようと思ったときは、自分自身に次のような問いかけをするとよいでしょう。『私は他人を助けることで、自分自身に目を向けないようにしていないか?』『私は人を助けることで、その人の学ぶプロセスを奪ってないか?』
●セントーリーで得られる目覚めた状態
人を助けること、つまり奉仕や献身といった高尚かつ美徳の行為を、歪みなく生かすことができるようになります。自分本来の在り方に沿って奉仕や献身をすることができ、エネルギー的に歪みが生じるようなことには、従わない意志の強さを持つことができます。もっとも大切なことは、自分の人格を放棄することなく人と関わり、また集団の中に溶け込むことができるということです。これらを充分承知した上で、ときには大きな目的のために、自分自身がその神聖なる力が流れる通路になることができます。
〈参考文献〉
メヒトヒルト・シェファー著「バッチの花療法」フレグランスジャーナル社
メヒトヒルト・シェファー著「魂の植物」フレグランスジャーナル社
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