
こんばんは、おごし志保です。
OL時代の電話応対が
何故か、周りから好評だったようで
長年、担当営業マンが手こずっている
クレーマーからお礼状をもらったり
支店長に呼ばれて、えっ?何??と思いきや
大学病院のドクターが褒めていた!
と、いう話だったり
(製薬会社だったもので、ドクターはお得意サマサマなわけです。)
こんなこと書いたら、自慢みたいですが
ほんとにね・・
敬語は、超怪しいし
横文字は、さっぱり聞き取れないし
何がどう良さげなのか?
いまいち分かっておらずで
それどころか・・
普通のことを、普通にしていただけで
かえって、すみません!みたいな
いたたまれなさがあったりして。
数年経った今も、パート先で
トーキングレッスン(電話応対)というのを
受けたのですが
内線をとる、かけるくらいなのに
基礎、応用コースで
全国1位、2位になってしまい
内線とる、かけるくらいなのに
ほんとにすみません。。の方が
まさってて
なんかさー、自分、いつまで経っても
同じようなことを繰り返してるよな。
この繰り返しに、なんの意味があるのか?
妙に考えちゃったりして。
ここまできて、(ようやく)思うのは
自分が自分を受け入れられない!
と、いうこと。
その理由は
普通のことしかしていないから。
特別なことをしない、がんばってないと
褒められるに値しない自分なのか?
認めるに値しない自分なのか?
長年にわたるいたたまれなさの素は
どうやら、ここ!だった様です。
普通を、みくびっちゃいかん!でよね。
自分にとっての普通は、普通なわけで
特別なことでもなんでもない分
自身では見えないことや
気付かないこともあるわけで
というか、その方が多いのかもしれない。
自分にとって、特別でもなんでもない
普通の輝かしさを
周りの人が気付かせてくれる。
考えてみたら
これって、貴重でありがたいことですものね。
そして、いくら人が、その素晴らしさを
伝えてくれようとも
自分がその素晴らしさを
受け入れない限り
素晴らしさ!にはならないのです。
自分自身では気づいていないかもだけど
自分の普通には
自分が大切にしてきたこと、していることが
ごまんと詰まってるから
普通に生きることって
私たちが思っているより
ずっと素晴らしことかもしれない。
■単発コース(90分)(120分)
■継続3か月コース(90分)
■継続6か月コース(90分)
*継続コースは、メール、Facebookメッセージ等、サポート付き