
こんばんは。おごし志保です。
息子が少年野球の合宿から帰ってきまして
部屋を移動するごとに
のれんのような洗濯物達をくくりながら
生活しております。(笑)
出発前に、ちょっとしたハプニングがありまして
ちょっとは想定内だったけど
おいおい、まさか!このタイミングで??
マジカよ感!じだったのでした。
息子が入っている野球チームは
4年生の合宿までに丸坊主にする!が
暗黙の了解らしくって
合宿の出発1週間前の金曜日に床屋に行く際に
私は息子に
「そういうことらしいから、丸坊主にした方がいいんじゃない?」
と、促したわけでしたが
当の本人は・・というと
野球経験ありの父親からの意見
「言われてもいないのに、その必要はない。」
も手伝ってか?どうなのか?
頑として丸坊主になることを拒み
俺は俺の考えを貫く!的なことを
言い放っていたのでした。
息子に、貫き通すポリシーとか覚悟とかは
なんとなく感じられなかったものの(笑)
息子の性質を考えて
「そうかい、そうかい。」
「なら、それはそれで。」
と、していた私だったんですが
24時間も経たない翌日
野球チームのみんなが
丸坊主になってきたのを目にして
帰宅するなり
「やっぱり、丸坊主にする。」と、自ら言いだしまして。
床屋代と、床屋に行く時間と
ダブルにになったのでした。
息子がこの経験から何を学んだのか?
事が収まって結果オーライなのか?
まったくもって謎ですが
母の私が、息子を通して学んだのは
人って、
自分の中で、必要性をキャッチ途端
それが、現実味があればあるほど
なんとかするために(結果を手にするために)
何ができるか?どんな可能があるか?
瞬く間に開拓していくもので
決断力と行動力も恐ろしいほど素早い!といこと。
重要ポイントは「現実味」で
例えば、親の私たちの
「もっと勉強しておけばよかった」
「せめて子どもには」は
子どもにとっては「どうやら、そうらしいぞ」にすぎなくて
ピンとこないし、現実味がないから
さっぱり勉強しなかったり
やらされ感でなんとなく勉強するわけで
先回りの親心は、案外
子どもには届いていないのかもしれません。
経験者は語りましたが
(あっ、私のことね(笑))
自分もそうだったから
息子に対しても「マジかよ」はあるものの
あり!の範囲内でもあるのでした。
息子に対しての、母の勝手な望みだけど
将来、息子が
お友達関係で、社会の中で、自分が創る家族へ対して
「そういえば、自分もそうだった。」を思い出して
相手への許容を持ってくれたら
ばんばんざいですわ。