
おごし志保です。
人って、いつでも完璧だと思うのよね。
それは、今の自分が、今の現実が
申し分ないか?もの足りているか?とか
何があって、何がなくて
何が足りてて、何が足りていないとか
どこが満ちてて、どこが欠けているとかの
次元じゃなくってね。
そもそも、完璧とはなんぞや?
あるようでないようなものかもしれないね。
あるようでないの中で
自分にどのくらい期待をかけているんだろう。
目指したり、志したりが
自分の背中を押したり
いい感じの追い風になったりするときは
良いかもだけど
完璧でなくてはいけない!という
自分への期待と、否定、ある意味脅迫モードがはじめると、もれなく欠乏感を伴うよね。
自分への欠乏感を持ち抱えながら
前へ進むのは
とてつもなくしんどいから
進もう!という、頑張りと気合いがいくらあっても足りないくらい。
そもそも、足りない、できていない、欠けているは
今の現象に対する意味づけで
自分という存在が
足りていないわけでも、できないわけでも
欠けているわけでもないわけで
自分という存在の完璧さには
何ら揺るぎがないわい。
それは、この世に誕生した瞬間から
今も、この先も、同じことが言える様に思うんだ。
完璧でも、そうではなくても
自分にどんな意味づけをしようとも
せざるを得なかったとしても
これも自分として、自分を受け取って
自分の目の前にある現象と
人生において与えられている課題を
どう見るか?どう扱うか?
ここだけなのよね。
どう見てようとも、どう扱おうとも
やっぱり、自分という存在価値に
なんの変わりはないけどね。