おごし志保です。
今日は、浮かんできたことを
ツラツラ綴ってみよう。
何が出てくるか?わかりませぬ。
怖いもの見たさで読んでいただけたら嬉しいです。
では、いきますね。
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「自分に自信がある」のと
「自分を信頼する」のは
イコールではないと思うんですけど
いかがでしょうか?
つまり
自分に自信があるから、自分を信頼できる。
自分に自信がないから、自分は信頼できない。
とは限らないな・・ということなんですが
自分に自信があるから
自分に何かがあるから
信頼に値する
信頼の価値の基準はそこ?
自分の価値もそこ?
ほんとにそこ??
何かが足りていなかったり
何かが欠けていたりしたら
信頼に値しない
ほんとにそう???
足りていないや欠けている達の基準を
誰かとの比較だったり
世の中の普通に置いていたりしていたり・・
そもそも、自分を信頼するってなんぞや?
信頼する対象って自分なの?
相手じゃなくって??
これ、一般論とかではなくって
これまで私が長い漠然人生の中で
考えてきたことなのですが

ちょっと見えてきたんですよ。
私の中の自分を信頼するとは・・
「自分に起きた出来事はすべては必然」
と、意味づけることであり
もっと言うなら
「自分に起きた出来事から、何を学ぼうとしているか?」
を、考えることであるのかな・・って。
出来事を通っている最中では
そんなこと思えやしない!するもんか!
ブチ切れそうになったり(笑)
ドヨーンと閉じこもりたくなるような
まったく好ましくない、さっぱり望まなくような
出来事も起きてきやがるわけですが
もし、もしも、
自分は、神様か?誰か?に愛されていて
一見、試練や修行のような出来事を
わざわざ与えられているとしたら・・
違う言い方をするなら
何者かに守られているとしたら・・
やっぱり、必然なのかもしれない・・と。

実は、私の中では
これまでの体験を通して
密かに確信していて
それは、自分のことだけに
留まらないわけなのですが
でも、正解か?どうか?は、わかんないよね。
そもそも、答え合わせ、どこでするの?(笑)
だとしても・・
出来事を、表面上の意識の上では
選択することは難しいかもだけど
その出来事に対しての「意味づけ」は
自分次第で選択できる「自由さ」を
持っている。

その意味づけは
自分次第で自分の人生を切り開く
未来にも通じている。
せっかく持っている
そんな希望達を見失わずに
居られたらいいですね。
時々、見失うことがあっても
見つけることを思い出せたらOKですね。