選択から生み出された思考錯誤は、成長の素。先日のブログ記事 できない・・と思った時の最高の選択 へ、素敵なコメントをいただきましたご紹介させていただきながら、今日の記事を綴っていきます 選らんでいいんだ by.おだますみさん 諦めない!を誘発しないこと、は、救いがありますね。別の道を選らんだのだ!と考えられるように、見守れたらイイなと思います。相手の選択にかかわる時「正しい」「正しくない」、もしくは「ふさわしい・ふさわしくない」という「自分の くくり」から、相手の答えを、すでにこちらで用意していることって多いかも。もし、相手が、自分が用意している「正しくない」「ふさわしくない」を選択しようものなら、「なんで?」「どうして?」「そーじゃないだろっ!」と、たちまち苛立ちが沸き起こり、相手を正してあげずにはいられなくなったりする。例えば、子どもに「宿題、どうするの?やるの?やらないの?」と、選択を迫った時、子どもが「後でやる」と答えた。1秒も置かないくらいの権幕で「なんで?!今やらないわけ?!そういっていつも後でやらないじゃない。まずやることやりなさいよ。もぉぉぉぉ!!!」と、攻撃モード。言われた子どもにしてみたら「やるか?やらないか?聞いたから答えただけなのに」と、腑に落ちないモードだが、言い返しても長くなりそうだから黙るを選択する。 うーーっ、心当たりありでイテテテテ・・これって選択?「選択」と「正解さがし」は違うし、「正しい・正しくない」というくくりでもないし、迫るものでも追い込むものでも、決めつけるものでもない。「正しい・正しくない」を用意された不自由な選択を続けていると、自分はどうしたいか?自分次第で決めることよりも、相手は(世の中は)何が正しいのか?相手次第、世の中次第で正解を探るようになっていく。ならざるを得ない・・の方が近いかな。相手次第、世の中次第を続けていると、自分次第の選択力も薄まることは自然なことで、責任をとりたくない、責任から逃れることが普通になっていく。自分のことなのに自分のことが解らない・・という、自分なのに自分じゃない感も、くっついてきたりもする。怖いことをツラツラ書いてたけど確かに、不自由な選択の機会も多いには多い。自分の選択どうこうではなく、やるべきことをやらなくてはいけない状況って奴ね・・。でもね、自由な選択まで不自由だと思いこんでいることも多い気がする。選択して、思う様な結果にならなかった時は、また選択したらいい。きっと選択は自由であって、きっと選択肢も無数にある。相手の選択が思うような結果がでなかった時は、どうしたらうまくいく?を、また一緒に考えて、その時なりのベストな選択を、またまたしていったらいい。選択から生み出された思考錯誤は成長の素。相手の選択にかかわる時に必要なのは、成長を見守る気持ちと寄り添う覚悟かもしれない******************************おだますみさん、素敵なコメントと探究の機会をありがとうございました おだますみさんのブログ おいしいもの好きなフェミニンおデブ
先日のブログ記事 できない・・と思った時の最高の選択 へ、素敵なコメントをいただきました

ご紹介させていただきながら、今日の記事を綴っていきます
選らんでいいんだ by.おだますみさん

救いがありますね。
別の道を選らんだのだ!
と考えられるように、
見守れたらイイなと思います。
相手の選択にかかわる時
「正しい」「正しくない」、もしくは「ふさわしい・ふさわしくない」という「自分の くくり」から、相手の答えを、すでにこちらで用意していることって多いかも。
もし、相手が、自分が用意している「正しくない」「ふさわしくない」を選択しようものなら、「なんで?」「どうして?」「そーじゃないだろっ!」と、たちまち苛立ちが沸き起こり、相手を正してあげずにはいられなくなったりする。
例えば、子どもに「宿題、どうするの?やるの?やらないの?」と、選択を迫った時、子どもが「後でやる」と答えた。
1秒も置かないくらいの権幕で「なんで?!今やらないわけ?!そういっていつも後でやらないじゃない。まずやることやりなさいよ。もぉぉぉぉ!!!」と、攻撃モード。
言われた子どもにしてみたら「やるか?やらないか?聞いたから答えただけなのに」と、腑に落ちないモードだが、言い返しても長くなりそうだから黙るを選択する。
うーーっ、心当たりありでイテテテテ・・
これって選択?
「選択」と「正解さがし」は違うし、「正しい・正しくない」というくくりでもないし、迫るものでも追い込むものでも、決めつけるものでもない。
「正しい・正しくない」を用意された不自由な選択を続けていると、自分はどうしたいか?自分次第で決めることよりも、相手は(世の中は)何が正しいのか?相手次第、世の中次第で正解を探るようになっていく。
ならざるを得ない・・の方が近いかな。
相手次第、世の中次第を続けていると、自分次第の選択力も薄まることは自然なことで、責任をとりたくない、責任から逃れることが普通になっていく。
自分のことなのに自分のことが解らない・・という、自分なのに自分じゃない感も、くっついてきたりもする。
怖いことをツラツラ書いてたけど
確かに、不自由な選択の機会も多いには多い。
自分の選択どうこうではなく、やるべきことをやらなくてはいけない状況って奴ね・・。
でもね、自由な選択まで不自由だと思いこんでいることも多い気がする。
選択して、思う様な結果にならなかった時は、また選択したらいい。
きっと選択は自由であって、きっと選択肢も無数にある。
相手の選択が思うような結果がでなかった時は、どうしたらうまくいく?を、また一緒に考えて、その時なりのベストな選択を、またまたしていったらいい。
選択から生み出された思考錯誤は成長の素。
相手の選択にかかわる時に必要なのは、成長を見守る気持ちと寄り添う覚悟かもしれない
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おだますみさん、素敵なコメントと探究の機会をありがとうございました