今日は、私がコーチングのコーチになったきっかけをお話します。
4歳くらいの頃からだったかな?
幼い頃からこんなことを思っていた。
人には、自分にしかできないことが必ずあって
私も「自分にしかできない」ことを、みつけたい!やりたい!
この「自分にしかできないこと」
生きているうちに、見つけられる人と、そうでない人の違いがあって
その奥には、見つけることを
諦めずに探し続ける人と、そうでな人との違いがあって
その違いは、一度きりの人生において、すごくすごく大きい!
そう思っていた私は
母から「また大風呂敷拡げてる。他の人の前では言ってはいけないよ。」という心配を受けても、諦めるつもりなど1ミリぽっちもなかった。
人生をかけて、自分にしかできないことを見つけること、そう生きることが「生きるのど真ん中」だと普通に思っていたし
自分にしかできなことをやる!ことは、自分のためだけではないことも知っていた。
自分はじめ、ひとりひとりが「自分にしかできないことをやる」という「最高の幸せ」を生きること、その生き様が、誰かの生きるチカラとなり、希望となり、世の中へ貢献になることを確信していたんだ。
とはいえ、これほど確信しているにもかかわらず
自分にしかできないこと、なかなか見つからなかった。
見つけられないことが、歯がゆかったし、そんなの理想にすぎないのかも・・とへこたれそうにもなってね
探して、もがいて、また探して、もがき続けて、探し続けていく中で、はじめてコーチングの話を聴いて、5分で「これだ!」と思ったんだ。
やっとやっと見つけられた瞬間。
自分らしさ♪というちっぽけな枠を超えた瞬間でもあった。
自分の可能性は、自分が思っている自分なんか次元ではなかったことに気づいたんだ。
こんなちっぽけな私でも見つけられた。
誰かの「自分にしかできない生き様」を一緒にみつけさせていただくことは、私にとっても喜びでもあり、最高の幸せでもあって
それが、私にとって「コーチ」。
私もだったけど、人は諦めたく諦めているわけなんかじゃなくってね、諦めざるををえない何かに覆われているだけだと思うんだ。
諦めることが「いい、悪い」そんなことを伝えたいんじゃなくってね、諦めなくてもいいことを伝えたいだけ。応援したいだけ。
それが、私にしかできないことだと思っているから。
私にとって「コーチ」は、一度きりの自分の人生かけた、ちっぽけな自分への挑戦です。
~コーチング歴14年のコーチおごし志保があなたの一歩踏み出す勇気を応援します~