少しずつ元の生活へ

気持ちだけは取り戻し前向きにはなったものの、息苦しく眠れない夜や、胸が苦しくなりベラパミルを飲むことも、しばしばあった。深夜の救急外来から1週間後、2019年2月7日(木)担当医師の外来の日に受診した。そこで、医師からビソプロロールフマルを1/2錠ではなく1錠飲むことを提案された。そもそも強い薬ではないから1/2錠では効かないのだろう。薬の副作用はだいぶましになっていたので、私も異論はなかった。翌日から1日1錠飲んだ。

 

それでも、夜に息苦しくなったり、胸が痛かったり、嫌な汗をかいたり、不調はあった。すべてが心臓のせいなのか、精神的なものや年齢的なものもあるのかわからず、なるべく気にしないようにしていた。

 

 薬の副作用が気にならなくなった

そのうち、薬の副作用のだるさが気にならなくなってきた。薬を飲み始めて1か月が経った頃だった。やはり、薬剤師さんの言った通りだった。一歩前進した。薬の副作用での体の不調と発作の恐怖で、病気を発症してから1か月乗っていなかった電車にも乗るようになった。

 

こうして少しずつ、出来ることが多くなり、友人とランチに出かけるまでになり、数か月後には、日本語教師養成講座の受講を再開するため、スクールへも復帰した。たしか講義は午前10時30分から夕方近くまでで、長かった。スクールへ向かう途中、発作が起きたら、受講中に発作が起きたらと考えると、親しい友人と出かけるのとは訳が違い、不安はあった。でも、恐怖に打ち勝たなければ何もできない。

 

結局、心配するようなことは起きず、420時間以上のすべての講義と60時間の教育実習を終え、無事修了した。そしてそのまま非常勤講師として1年間、教えた。そのスクールは、マンツーマンレッスンだったし、私の受け持ちは週に3回だったので、幾分気も楽だった。万が一、急な発作で授業ができなくなっても、一人の生徒さんなら埋め合わせはしやすい。結果的に、生徒さんからレッスン日程の変更を求められたことはあっても、私が欠席することは一度もなかった。これは、私に大きな自信を与えた。薬さえ飲んでいれば、大事に至らないのではないかと思い始めていた。

 

 新たな展開に

日常生活を取り戻しつつあったけれど、ある日を境に新たな展開になった。2021年10月、薬もそろそろなくなるので、受診した。(その時は以前の担当医は、もうその病院をやめていて、別の医師(前の医師の後輩だと言っていた)が担当して1年以上が経過していた)

 

その日、血圧の上が80台だった。たまにあることなのだけれど、担当医は、私が病院で今まで測った血圧は90台なので、80台は低すぎるから、ビソプロロールフマルを1錠ではなく1/2錠にしようと言った。私は従う他なかったが、嫌な予感がした。もともと1/2錠では効かないから1錠にしたのだ。この2年9か月をなんとか過ごせたのも1錠飲んでいたからこそなのではないか。

 

嫌な予感は的中することになる。私は次のステージへ移ることを余儀なくされた。

 

次回へ続く。

また振り出しに戻る【発作性上室性頻拍⑤】

 

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